■11/21(Wed)
昨日の続き(えっ。続くの?続くらしい。でも今日で終わるはず)。
えと、私的には、不安に満ちた時間はかなりきつかったので。そういう意味でもあんまりもう一度あの状態に陥りたいとは思わないんですけど(笑)、でも、価値観として「それも愛のひとつの形」(大笑)とも言えるかもしれませんよね。だから「苦しいけど、それでもいい」っていう人は別に不安に満ちた苦しい状態でいても、まぁ、構わないような気もします。それは個人の自由で。大変そうだなぁとは思うけど、私も真っ最中のときは多分無意識にそう感じていたと思うので、「苦しいだろうから、それはどうか…」っていうのは、余計なお世話かなっちゅー気も。
でもねぇ、私的にああいう状態になることでいちばんよろしくなかったなぁと思うのは、本当は、自分が苦しいことではなくて、視野狭窄に陥ったことなんですよね。しかも無意識ですが、自主的に視野を狭めることで自分の気持ちを確認しようとする心の動きがあったように思うので。「あの人だけいればいい、他はいらない」っていうのは「純粋」かもしれないんですけど、でもやっぱり私的にはよろしい状態だとは思えないし、自分がそうなっていることを「それでもいい」とは思えないんですよね…。
わりと他者として見た場合は、そういう歪んでるかもしれないけど純粋かもしれないっていう状態は嫌いじゃなかったりするのです。私の感覚だとそういうのは、どこか美しかったりキレイだったりする部分を含んでいる気がするし、そういう心の在り方は他者として見るなら可愛いようないとしいような。まっすぐで正しいことだけが美しいわけじゃないと思うし。でも、自分自身の在り方としてはそういう視野狭窄とか、はた迷惑になるってわかっているような問題をはらんだままでいたくはないなぁと思っちゃうんですよね。ていうか、実のところ、自分のこととして考えると「心狭くて物事まともに見れてなくてなんとまぁみっともない…」と感じるわ「なんと迷惑な…」と思うわで。さっきの「正しいだけが美しいわけじゃない」ってのと矛盾してますけども。でもそれはそれぞれ価値観なのでいいとしても、はた迷惑なのはどうかなぁと。
視野狭窄がはた迷惑っていうのは…当時の私の場合、YOSHIKIさんに目がくらんで視野狭窄に(無自覚だったけども、自主的に)なった結果、私の心の中で理由なく切られて捨てられたのが、まさにラルクだったりしたので(ラルクだけじゃないけど)。そのときの自分の心の動きを覚えているので…あの状態はよろしくない、失礼無礼の何よりもはた迷惑だと思っちゃうんですよね。まぁ…そういう状態に陥っているときっていうのは結局「あの人だけよければいいのよ」って感じになっちゃってるわけですから、その切り捨てられる「他の存在」のことなどどうでもよくなってるわけですが。でもそのときの気持ちの上ではよくっても…その「他の存在」側から見れば失礼無礼のめっちゃ迷惑ですよねぇ。しかも、昨日の日記の部分に戻りますが、わりと自分に言い聞かせないといられない状態になっているわけで…「他の存在を切り捨てる」ことそのものが「対象に向ける愛情の確認手段」になっている以上、それも言葉にして自分に言い聞かせる必要があったりする。心の中でこっそり思っているだけならともかく…これは確実にその「他の存在」にもそのファンにも迷惑な話だなぁと。
そんなわけで、私的にはそういう状態って「自分が苦しい」ってだけじゃないので、あんまりよろしくない状態なんじゃないかなぁ?って思っちゃうんですよね…。人の気持ちの在り方なんていい悪いで判断できるものではないので、別にそうであっちゃいかんというようなものではないですけど。でも、私はそうはなりたくないなという感じでしょうか。その他の存在に対してかなり迷惑な気がするんですけど、それもわかってるんだけど、それでもその状態でいたいなら…まぁそこは個人の自由で(笑)。好きにしてくださって構わないんですけど(笑)。
すっごい個人的かつ極微な話を拡大して書いてきた気がしますが(笑)。おまけにこれ、理屈としてわかる文章になってるのかしら…。なにしろ過去の自分をめためた切り刻んで書いている内容なので、流れが通じる文章なのか自分では判断できない…。でもすっごい極微な話なんですけどたまたま「同じような状態に陥っているんじゃ…」っていう文章を見かけちゃったから(笑)、この状態ってのは私の個人的経験に過ぎないわけなんですけど、ファンとしてのめりこみすぎるとわりと起こりうる状態なのかなぁと思ったので、書いてみました。何度も読み返して書きたいような内容ではありますが(いっぱい誤解も生みそうだし)、もう時間ないし、いいやー!<と言って昨日もアップしてしまった。
…さて、原稿…(爆)。
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