■music
最初「Cocco活動中止」と聞いたとき、その言葉の意味がよくわかりませんでした。「中止ってなんですか?休止じゃなくて、終了でもなくて、中止?」と思ったのです。強い意味があるのはわかったけれども、どういう意志なのかがわからなかったのです。もちろんこっこが自分の意志じゃないところで動くとはとても思えなかったので、これはもちろんこっこの意志なのだろうとは思ってました。でも、それがなんで「中止」という言葉になるのか…私の言語感覚からするとどう読んでいいのかわからず、どう受け止めていいのかすごい迷ってました。
私が過去に読んだインタビューで、こっこは、歌うことはツライと言っていました。歌うのはツライだけだから早くやめてクレープ屋さんをやりたい(笑)と。彼女は踊ることが大好きなようでした。踊ることのほうが彼女にとっては天からもらったもので、歌はそれしかなかったから歌っているだけなんだと言ってました。排泄物と同じだと言ってました。ちなみに、京極作品をご存知のかたは関口君が言っていたことを思い出してください(笑)。言っていることはまったく同じでした。でも関口君と違って、そんなことを言い放ちながらも、彼女は自分の歌に感銘したファンに対して、ものすごく責任も感じているようでした。私はそんなの感じなくていい!あなたはそーでなくてもツライ人なのだから、ファンまで背負いこむ必要はまったくないです!!と真剣に思ったものですが、同時になんて真摯なひとなんだろう…と思いました。
でも嘘をつくはずのないこっこが、歌うのをツライというのならば本当にツライのだろうと思いながらも、私にとっては彼女は天性の歌姫でした。私はだから、彼女自身が「歌なんか早く止めたい。歌やめてクレープ屋さんやりたい」と言っているのを知っていても、彼女は歌うことはやめないだろうと思ってました。彼女は歌姫だから。彼女自身が気付いていなくても、彼女は、命を歌に込めて歌っている人だと思っていたから。だから、彼女はきっととてもツライのだろうけれども、歌うことはやめないだろう…やめられないだろう、と思っていました。
そのあと私は知らなかったけれども、いつのまにかこっこは変わっていました。そして、歌が大好きだと。歌いたいと。歌が身体からあふれてくる、歌いたくて仕方がない、と。だから彼女はCocco活動中止を選んだ…と。やっぱり彼女は歌姫だったし、どこまでも真摯な人だったです。そして、そうなら、この中止はこっこが選んだこととは言え、あまりにも悲しい。歌が大好きだ、歌いたいというこっこの言葉があまりにも悲しいです。
彼女はあらゆることに、なによりも自分の歌に真摯すぎて、Coccoという音楽業界に生きる存在を焼き尽くすしかなくなってしまったように受け取れました。焼け野が原。負け戦。一人で突っ走ってしまった。「言って ちゃんと言って 聞こえないふりをしないで」「ここに居たいの 私は側に居るのよ」。――活動中止。
そんな彼女の言葉からすると、いまの中止という状況は本当に痛くて悲しい状況だけれども――でも同時に私は、彼女はとても強い人だとも思っていて。彼女は死を常に見据えていて、喪失を激しく泣くけれども、同時にここに居るという当たり前のことを当たり前に感じられる人なんだろうと思います。「焼け野が原」のようにとても痛い言葉をぶつけるけれども、同時に「コーラルリーフ」で「たとえ聞こえないとしても、私はここで手を振るから」と歌えるのが彼女の強さだと思う。
私はCoccoをずっと聞いてきました。とても大好きでした。彼女は私にとって本当の歌姫です。でも、彼女になにかを望むことはとてもできない。とても、いつか届けてくれとは言えない。彼女自身が最初から負け戦だったと言うぐらいですから、この業界で彼女のように在ることは絶望的に無理なことなのでしょうから。だから、Coccoというアーティストの歌が私のもとに届くことはもう二度とありえないのかもしれないけれども、でも、新しい扉を開けた彼女はきっと歩き出すのだろうと思える。その姿はとても美しいと思う。そしてやはり歌姫だった彼女は、いまや「歌が大好き」という彼女は、きっと、このあとも沖縄の海で歌うのでしょう。彼女がどこかに在って歌っているだろうと思えるのは、うれしいことです。
彼女は痛い歌をたくさん歌ってきたけれども、その痛みの中でも走り出すひと、愛する人を優しく抱きしめるひと、それがCoccoだったと思います。最後まで、彼女は痛みのなかに輝くキレイな光を見せてくれました。
2001.04.19
4/20のMusic Stationをいま見ました。
白いドレスをまとった裸足のこっこは、途方もない力で歌ってました。いまにも泣き出しそうな顔をしながら、それでも声を張り上げて魂を振り絞るような歌い方で歌ってました。最後まで歌い尽くしました。あの歌は、こっこを知らない人にもなにかが届いたにちがいないと思います。本当に、儚いけれどもキレイで強い、命そのもののようなうつくしい歌でした。
歌い終わって、泣きそうな顔をしてバレリーナ風に礼をして、キスを飛ばして――そして泣き笑いのようににっと笑ってピースをしてから、こっこはだっと走り出してカメラの前から去りました。最後の笑顔は本当に可愛らしかったです。
歌を焼き尽くして、焼け野が原に立ったこっこはこれからどこに行くのでしょう。でも、こっこはああやってどこへでも裸足で全力で走って行くんでしょう。きっとすぐに、焼け野が原をあとにして、走り出すのでしょう。その姿は儚くて、強くて――とてもキレイです。本当になんてスゴイ、かけがえのない人なんでしょう。
いま私は、あまりにもこっこがキレイすぎて凄すぎて、その反動で、喪失の痛みで悲しくてしょうがないけど…それでもやっぱり彼女の存在は輝いて美しくて…本当にうつくしい光を見せてもらいました。
彼女にはなにも背負わせたくないから、言っていいことなのかわからないけれど――私はきっとこの日のこの歌を忘れません。
2001.04.20