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新世紀エヴァンゲリオン

実は、はるか昔にテレビ版と映画版を分けて二つの文章が書いてありました。二度のPCクラッシュを超えてその文章がFDに残っていたので、それを載せておきます。これを書いたのは一年近く前です。ちょうど映画版をビデオで見た直後で書きたくなったんですね。というわけで、テレビ版も書かれてますが、主に言いたかったのは映画版です。

「奇跡」――新世紀エヴァンゲリオンTVシリーズ

ふだんはあまりアニメは見ない人です。いや昔はよく見てたんですが。ここ何年かは全然です。でもエヴァは周囲の人が本放送の段階で、もう話題にしてまして。なかでも意外だったのは弟で、エヴァ以降の彼はアニメをマメに見る人になっているんですが、当時は全然だったやつなんで意外だった。

結果的に弟が強力に勧めたのがきっかけとなって見たわけなんですが……弟が最初に見て「おっ?これは?」って思ったのって「ヤシマ作戦」だったみたいなんですね。なので、最初の段階ではクオリティが高いっていう言い方だったような気がします。その後、当然言い方はどんどん変わっていきましたが。

でも実はその前に一瞬だけ私、エヴァに遭遇してます。Rei1のエスカレーターでシンジとレイが下りていくシーン。あれだけでも相当ただごとじゃない雰囲気が濃厚だったのでよく覚えています。でもそれだけ(笑)。

結局私が見たのはあらかたの人がそうであろうって感じの、深夜のまとめて再放送のときでした。弟が録りまして、それをちくちくとあとから見ました。だから、ラストのこととかは話はだいたい聞いていて、怒りようはないですよね。「ああ……」という感じでした。

私はなんとなくテレビシリーズのエヴァは4つにわけて考えている場合が多いです。一話〜六話が第一期、七話〜十三話までが第二期、十四話〜十九話までが第三期、二十話〜二十四話までが第四期ってな具合です。二十五、二十六話はこの場合は、第四期の結果として存在している感じで、「結果的にこうなったもの」という印象があって、いまいち四期にいれるのにそぐわない感じがしてます。なので、単独で二話だけ浮いちゃうんですけど。

個人的に好きだったのはやはり、第三期。十四話は「いよいよネコかぶりのネコを脱ぎ捨て本当の姿がいま!!」ってな感じがします(笑)。でも第三期はこれを描けるスタッフを、もう本当に素晴らしいと思いましたね。なんちゅーか、このときは「お話」と「心」が奇跡的なバランスをとって、奇跡的なクオリティに達していたので……。特にすごいと思ったのは、フォースチルドレンの話の二話。あんな見てて鳥肌を立てた話は他にないです。十三話までは出来は素晴らしくいいけれど、まだ「お話」としてのクオリティの高さにすぎないから。で、「心」を描き出したとき、それまでの「お話」のクオリティとすごい歯車が噛み合って、奇跡的に「お話」としてのクオリティを保ちつつ、「心」を真摯に描くという凄いものが出来ちゃってた気がするですよ。

でもやっぱりこれは「奇跡」でしたね。お話のクオリティは保てても、それとあの辛すぎる「心」を共存させるっていうのは……きっと技術だけの問題ではないんですね。もちろん技術は絶対必要だけれども、その最高の技術をもってしても、いつだってできることじゃない。最高の技術をもってして、なおかつそこには「奇跡」が必要だったと思います。

そして、辛すぎる「心」は当然お話を崩壊させていきました。仕方ないと思う。第四期はお話が壊れていく過程だなぁと思っています。エヴァはもしかしたら最初からそうなるべくしてそうなった話なのかもしれないですが。描きたかったのは間違いなく「心」の方だったわけだろうしさ。「心」にどんどん比重が移っていくのは当然だったのかもしれないんだけど……でもエヴァが最高に輝いた瞬間というのはやっぱり第三期――お話と心が奇跡のバランスをとって共存した瞬間だった気がするです。でもこれは本当に奇跡だったと思っているから、そうじゃなくなっていったエヴァもまた、それでいいんだ、あるべき姿って気がしてるけど。

1999.11.6

続いて映画版の一年近く前の感想文です。と言っても映画をはじめて見たのは映画館でしたから、再見してこの文章を書いたのも、初見からは二年以上が過ぎてたわけです。ただ、感想は初見も再見も、それから今もあんまり変わりはないです。

癒されなかった物語―新世紀エヴァンゲリオン「THE END OF EVANGELION」

映画はどのように受け止められたんでしょうねぇ? 私、リアルタイムではネットもやってないし、アニメ雑誌とかも読んでないしで、世間の反応を知らんのです。いっしょに見に行った友二人は、見終ったとき、もう自殺してもおかしくないぐらいないきおいの(苦笑)怒濤の鬱状態に陥ってました。イヤ、マジで凄かったですよ。二人とも。私は……鬱でもあったけれども、そこまで凄くなかった&客観的にはよくぞここまで…って思ってました。でも二度見ようとは思えませんでしたが(苦笑)。

でも私は、この「二度見ようと思わない」っていうのは重要だったと思うんですよ。テレビシリーズの最終回、エヴァはやっぱり終わってなかったと思う。テレビはね、笛吹いて、子供達を家から連れ出して、さらったまま、帰してくれてなかったっちゅー印象です。そこで投げ出したら……やっぱりセミナーと同じって言われてもやむを得ないと思う。心を奪ったっきり在るべきところに帰してないんだからねぇ。意図はちがくても起きた現象は同じだから。そして映画は……みんなを帰したと思うんですよ。映画でね、エヴァという熱病は確実に終わったんだと思う。みんな語らなくなったものね。

いま、思い出すと、違うんですよ。エヴァと他の好きな作品のあれこれって。エヴァは……何故かしらとても遠い。他の作品に比べて、セピア色の思い出になっているような気がします。子供のころの思い出とかさ、そういう遠い、でも大事な思い出って感じですよ。私の年齢からして、そんなことは本来有り得ないんですが。十代の3年とか4年とかってめっちゃ大きいでしょうが、この年になるとそーでもないです。同じ時期だったはずのオウムなんかは最近の記憶として認識されているもの。でもエヴァはとても遠い。きっと私の中で、それぐらい心の奥深くにしまいこまれてしまっているんだと思います。そして私も映画を見たあと、語らなくなりました。

じゃあ、なんでいまごろになってエヴァを語るんじゃ、おのれは、という感じですが――実は今頃になってようやく、映画の「二度目」を見たからです。公開からまる二年半のときを経て、ようやく二度目(苦笑)。……ま、あの映画というのは、そういう映画だったという、ある種の証でしょう。

ほのかに聞こえてくる噂では当時は賛否両論だったとか。でも私の耳に実際に入ってくるのは賛否というより否定の方が主だった気がしますけど。でもほのかな噂なので、世間様が実際にどのような根拠、意見をもってして、賛否を述べていたのかどっちにしても具体的なところがわからない。だからテレビシリーズに続いて、私のまるっきり個人的な感想を述べるだけなんですけども。

私は最初から人類補完計画というものはなんちゅーか胡散臭いシロモノだと感じていました。そしてテレビシリーズで「これがもしかして補完?」の二十五話、二十六話を見て、知っていたにも関わらず、やっぱり失望してました。それは作り手さんへの失望じゃなくって、お話として見たときの失望だったという気がします。ああなっちゃったのはわかる気がしてたし、それを責める気は全然なかったんだけれども、辿りつけなかった悲しさはあったんだと思います。お、おめでとうってあんた!!(涙)っていう突っ込みがやっぱり内心ありましたから。だから、映画を見たときは、私自身の鬱は横においておいて「辿りついた」感がありました。「ああ、ここまで来た……」っていう感じでした。ものごっつ辛いお話でして、なんちゅーか、最後の最後まで辛い辛い心が語られ続けて、シンジとともに泣きたくなるような終わりだったんですが、それでもこれがエヴァの辿りつくところだったと私は思います。

エヴァはテレビシリーズのときから「お話」としての要素と「心」の要素がありましたが、映画では完全に「心」が優先されてましたね。うん、それはテレビシリーズ第四期を越えてきた以上、そうなるしかあり得ないですね。もし「お話」の論理が優先されていたら、あのエンディングではきっとないです。アスカと融合しないままの、表層でもわかりあえる幸福の瞬間が用意されるんじゃないかな。でも……まぁ、この場合はやっぱり庵野さんなんでしょうが……彼は、その「幸福」を「幸福」とは思えないのでしょう。それがエヴァの「心」の本当のところだから、「まごころ」だから、あのエンディングなんでしょうね。「まごころを、君に」。まさにそうだったと思います。

巨大綾波の恐怖(二度見ても衝撃はでかい)、人々が消えていく気持ち悪い描写、すべてがエヴァから帰れと言っていました。でも帰ってもそこにはやっぱり苦しい痛い辛い現実が待っているよとまでエヴァは言うわけです。それでも帰らないわけにもいかなくて、どう考えてもこれは救いでもセミナーでもなんでもないです。だって、辛くなるばっかりですものね。

でもそれが、エヴァのまごころなんですね。だからこの映画はこれ以外のカタチは有り得ないのだと思います。これがエヴァンゲリオンが辿りついた、間違いなく本当のエンディングです。

――そして、ここから先は、ちょっと無意味な繰り言です。

本当はさ、まごころでもって、さっきの文章の「表層でも」という部分をとりのぞいたシーンが描けたとしたら……そんな空想もちょこっと思ったりします。これだけ苦しい、痛い、辛い物語だからこそ、もしも本当のまごころでそこに辿りつけたなら。そんなことも思うんですけれど、でもそれは悲しいけどしかたのないことですね。人の心はそんなに都合よくできていないのだ……。

友二人の見終った後の激しい鬱状態――そして私はそこまでひどくはなかったんですけれども、それでも心にものすごく重たいものがあったのは確かで……結局のところ、エヴァンゲリオンという物語の癒されざる結末の無残さに落ち込んでしまったのかなと。私はエヴァを病の話としてとらえていいのか判断しかねている部分があるので、「癒す」という言葉でいいのかも迷うところなのですが……病を癒すのではなく、傷ついた心、傷つき続ける心、痛む心、そういうものを癒すという意味でここでは使いたいと思います。

エヴァンゲリオンは私にとって、最後まで癒されなかった物語でした。

1999.11.6

補足と言うほどのこともないですが。病かどうかっていう点については今も迷っているところであります。なぜならエヴァの描いた心は病と言えば病ですが、誰もが心の奥底では感じている苦痛だったり、欲求だったりするのではないかと思っているからです。

分裂病という病名を出されてしまえば、確かにエヴァは分裂病的な人の苦痛の心を描いているとは思うのですが…それでもレベルこそ違え、今という時代にこの苦痛をまったく持ってない人はいないのではないかと。それは病ではありますが、この現代という時代に生きるうえでは必ず負わざるを得ない病なのではないかと。私は私を鑑みてそんなふうに思います。

たとえば、謎解きに打ち興じていた人やほかの美少女アニメと同じように「アスカ可愛い」とか言っているように見えた人も、実はその奥である種の共鳴があったのではないでしょうかね。ただ、その人にとって、自分の心が揺り動かされていることを表現する手段がそれしか思いつかなかったんじゃないかなぁなんて、私は当時大流行だった謎本のラッシュを見ながら思っていたんですね。

だから病の人、そうでない人という選別をエヴァを見る上でしたくないと思うので、敢えて断言はしないでおこうと思います。ま、とにかくアニメ界に詳しくないので、本当のところはわかりませんが。

2000.9.23

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