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…このトーク、いちど書き上げたあと、不注意で全部消えてしまいました。
まぁ、そんなことはさておき。京極一冊目ですね。すでに「百器徒然袋」まで読んだあととなっては、これを読んだ当時の私が関口君のことをどう思っていたのかというのは果てしなく謎ですが…とは言っても、あそこまで情けない人だとは思っていなかったはずだということは確信できます。だって百器徒然袋で私ちょっとショック受けてましたもん(笑)。本島君の目から見た関口巽の姿に(^^;;。情けないとは聞いていたけど、ここまで本当に情けなかったとは…みたいな(笑)。
でも、今姑獲鳥を読み返すと、やっぱりそこまで情けなくないですよねぇ、関口君。ちゃんと最後には涼子さんを追っかけて走ってるし、ちゃんと赤ん坊も受け取って、涼子さんにとって重大な役割を果たしてるじゃないですか。百器徒然袋を読んだあとに読み返すとちょっと違和感があるくらい頑張ってるし、役に立ってますよねえ。
でも、違和感といえば、実は私はもっとものすごい違和感を覚えている人がいまして。それは、かの榎木津大明神様。何故、あの榎木津が、たかが内藤ごとき小物にあれほど真剣に怒らなくてはならないのかしら…と。今のエノさんならどう考えても内藤ごときは怒る暇もなく一瞬で粉砕してのけるでしょうに。しかも真面目に怒ってるがゆえに、エノさんは内藤を懲らしめることができてないじゃないですか。めっちゃ不思議なんですよ、このシーン。いったいあのときのエノさんに何があったのでしょう…(笑)。
この辺のことから鑑みて、京極堂のキャラクターはすでに落ち着いてますし、今読んでも違和感ないんですが、関口君とエノさんはなんだかその後、どんどこ過剰になっていったような気がしなくもないです。関口君のだめっぷりもエノさんの超人奇人ぶりも。まぁ、そんなこた別によいのですが(笑)。
この作品はシリーズ化するということを前提に書いたとはちょっと思いにくいので、関口巽というのはおそらくこの作品の仕掛けのために生まれたキャラクターなんだろうと思います。まぁ、京極の場合、キャラクターが生まれた時点ですべてが決まるということですし、そのためのキャラクターのように見せかけても結局そのあともずっと出てくるのが普通になってますから、一概に需要があってもそのままの形で供給されるというわけでもないらしいですが…それにしても他の作品で登場するキャラクターに比べると、関口君は作品の構造に直結的に関わっていますよね。彼の曖昧模糊とした視点の語りがなければ、根本的にこの話のトリックは成立しません。冒頭の京極理論も、関口君のこの語りを援護するためだけに費やされていると言ってもいい気がします。最初からいかに彼の語りが怪しいかということを、念を入れて言い訳しているようなもんですし。
だから、単純にミステリーのトリックとしては脆弱ですよね。実際トリックに関しては弱いと言われていた気がしますし。私がどう思ったかは覚えてませんが(爆)。まぁ、私はよほど突飛なことを言われない限り、ほとんど何も考えないで読んでしまう人なので、きっと気にしなかったのだろうと思います。で、気にしなかったということは「んなムチャクチャな!」とは思わなかったということですから、ちゃんと京極理論は役目を果たしていたのでしょう。でもこれは援護という役目を果たしていたのであって、別にトリックがすごかったという結論にはなりません。
ここでむしろ、京極の凄さが出てくるんですが、中核にあるトリックは今までにもあるものだし、わりと脆弱なものです。で、トリックを仕掛けるとき、いかに卑怯と言われずに読者を騙すかで、ミステリー作家は苦心惨憺するわけですよね。京極もこのときは、同じようにミステリーとして読者を騙す方法を考えたんだと思うんですよね。個人的には。
そこで京極が考えたのは、関口君の言葉の端々で騙しながらかつ卑怯にならないように苦心惨憺するのはなく、新しいルールを作ってしまうことだったわけですね。そのルール説明が京極理論。…ルールというよりも、新しい視点を切り開いたというか…。トリックのためにそれを取り巻く世界のほうを曖昧にしてしまった、場合によってはひっくり返してしまったという感じでしょうか。それも、世界全部のルール変更です。
綾辻行人という人は常に世界の崩壊感を醸し出すためにミステリーを書いてきた人だと思うんですが、十角館と姑獲鳥の構造を比べると、十角館はまさに台詞や文章の端々で騙しを盛り込むカタチなわけですね。それで、騙されていたことに気付いて愕然とするというミステリーの王道かなと。対して姑獲鳥は、その文章が並べられている小説世界そのものを京極理論によって変えてしまっているわけです。だからその内部(ということは小説のすべて)の言質は最初から無効化されている。
さらに綾辻はその後、時計館という世界に至ります。時計館と姑獲鳥は世界の崩壊という点でちょっと構造が似ています。これは騙しに気付くというよりも世界自体が本当に崩壊するっていう意味なんですけど。で、綾辻の時計館は時計館内世界というものを物理的に構築して、それを崩壊させるというトリックだったわけですよね。対して姑獲鳥は、屋敷一つではなく小説内世界のすべてを、物理的にではなく京極理論によって構築してしまった。だから、構造は同じなんですけど、構築する発想が逆なんですよね。
でも、とにかく、ミステリー界にとってはこれは、ルール違反と言うか、碁盤をいきなり広げられたようなものだったんだと思います。実際認めない人もいましたもんね〜。
これ、どこで読んだのか忘れてしまったのですが…榎木津のあの能力もやはり姑獲鳥のトリック補強のために考えられたものだろうという推論を読んだんですよね。榎木津は通常見ないものを見る人。で、見ないものを見る人が、死体を見て「死体だ」と言うというシチュエーションによってさらに騙しを強固なものにしたのだろうという。で、私は「ほほー。なるほどー」と納得したのですが、それと同時に、京極の思考の馬鹿広さにちょっと呆れてしまいましたね(笑)。だって、たかが一つのトリックを成立させるために、あんな突飛な能力を作るって……普通じゃないじゃないですか(笑)。やりませんよ、普通(笑)。でも、やってしまうのが、世界をひっくり返すことでトリックを成立させた京極なんだろなぁと。本当にそういう計算であの能力が生まれたのかはわかりませんが、さもありなんという気がしてしまうのが、京極たる所以かと。
実際にそういう言葉が生まれているのかは知りませんが、こういうことを踏まえると、絶対「京極以前」「京極以後」という視点は生まれてくると思います。実際、浦和なんとかさんの「記憶の果て」ですか。これは、京極夏彦というポイントがなければ、生まれていない作品だと思います。読んでてずっとデジャヴってました(笑)。や、もちろん新たな要素はありましたし、ちゃんと結末でもういちどひっくり返してくれてましたんで、ミステリーとしてとてもおもしろかったです。が、それにしてもあの作品世界の前提として京極理論が存在してますよね。
ただ、いちどこうやって世界をひっくり返す方法を提示してしまったのち……京極以外の人はどうすりゃいいんだ?みたいなのはありますよね。京極本人はよいのです。彼はもともと碁盤の外に碁を置くという暴力的な方法論を成立させるだけの力量があった人だからこそ、京極以前、京極以後なんですから。でも、この方法論は、力量がなければ、ただのルール違反…という気もする(笑)。実際、あの手この手で碁盤の外側に置きまくってくれている清涼院流水がいい例なのではないかと(笑)。注・私は相方が言うほど案外彼は嫌いではありませんです。読んでておもろいし。最初からそういうものだと思って読めば、まぁ腹も立たないし(笑ってしまったけど)。でも買ってないからだという気もするんですが(爆)…お金出してたら怒るかも(爆)。
京極以後、ほとんど新しい人を見つけることができてない私としてはこの辺に少々不安を覚えているのですが、それにしても京極の為したことの大きさ、その衝撃を知ることができたのはミステリー好きの私としては本当幸せなことだったなと。しかもリアルタイムで。それと読む順番を間違えずにすんだことも(笑)。やっぱりウブメ→コズミックという順番で読みたいですよね(笑)。
2000.10.15