Under the Sun

TOSHIについて4「マインドコントロール。」

2003.07.15(Tue)

報道では「洗脳」という言葉が使われましたし、私も洗脳報道と書いてきました。でも、固有名詞として「洗脳報道」「洗脳騒動」と呼んでますが、実際には、この問題は洗脳ではなくて、全面的に「マインドコントロール」の問題だと思います。

洗脳とマインドコントロールの違いは、詳しくはわかりませんけど、いちばん単純に言ってしまうと、洗脳は暴力的手段などを使い、圧倒的に個人の思想、感情を制限する、マインドコントロールはソフトに自然に個人の思想、感情をコントロールする…って感じなのかなぁと。だから、洗脳は完全に犯罪ですけど、マインドコントロールは程度問題かな…と思ったり。どうかな(^^;;。ま、とりあえず、TOSHIは確かに洗脳は受けていないと思います。レムリアに監禁やら虐待やらを受けたとはまったく思わないので。とゆーわけで、この場合は「TOSHIはマインドコントロールをされているのか?」ってことで話をすすめます。

GRACE時のTOSHI

TOSHIの問題で誤解されがちなのが、「TOSHIが突然変わってしまった」という言葉。98年時、さんざんあちこちで言われました。そして、TOSHIはずっと反対してきました。「自分の考えは急に変わったわけではない、徐々にそうなっていっただけだし、レムリアや倉渕氏に出会ったことはひとつのきっかけ」というわけです。

私は、この発言には同意です。私はTOSHIソロもX本体と同レベルに追いかけてきましたし、実際に雑誌やラジオなど表に出てくる数はTOSHIがいちばん多く、メンバーのなかでももっともよく見てきた人だったので、彼の発言はけっこう知っていると思います。そして、TOSHIの97年以降の発言というのは、Xの彼しか知らないと「ん?」って思うかもしれませんが、継続的に見ていくと、そんなに方向性がとんでもなく変わってしまったってことはないと思うんです。方向性としては、TOSHIの言うとおり、あるていど継続した流れがあったと見ています。

だから、彼の発言を取り上げて「TOSHIが変わってしまった」っていうのは、ちと微妙かなと。確かにそれまでになかったことを言い出すってのはあったにせよ(ご家族の話などがいい例)、思考自体はGRACE時にすでに言っていたことをさらに発展させたものだったかもしれないなと思っています。

そのように書くと「じゃあGRACEのころからマインドコントロールされていておかしかったのか?」という疑問が出てくると思うのですが。そうではないのです。GRACEレコーディング時、TOSHIはレムリアにはまだ会ってません。まぁ、香夫人には出会っていますし、彼女の影響は受けていたとは思いますが、影響を受けるのとマインドコントロールじゃ大きく違います。個人が個人に影響を与えたり、影響を受けたりするのは、普通のことでしょう。

私がそういう思想の萌芽と感じる代表例はやっぱり「Beautiful Harmony」ですけど、当時のTOSHIのライブでのMCやラジオ、そういうところでの発言でも、感じていたことです。ただ、そういう萌芽が見えるからといって当時の彼の発想が悪いとは思えないのです。それは彼の考え方であって、Xとはもちろん違ったけれど、それはそれで好きだったわけですしね。単にひとつの考え方でしょう。

そして、その萌芽の見えていたGRACEがその前のTOSHIソロと断絶しているかというと、そんなこともありません。GRACEは私たちが普段ラジオやインタビュー、ライブのMC等で見てきたTOSHIの素に近く感じました。むしろ音楽ではないところで言ってきたことを、曲として表現できるようになったんだなぁと感じましたから…全然違和感はなかったわけです。紹介で書きましたが、GRACEのリリース時は「ソロのスタイルがいったん完成した」と思っていたわけですから、違和感がなかったどころか集大成と見ていたぐらいです。

このGRACEを見ると、方向性として彼はそういう思想に行く素地を、もともと持っていた人だったんじゃないかと。そういうわけで、思想的には継続した流れがあったと思うのです。ついでに言うと、少なくともその方向性自体は、私にとって忌むべきものではなかったんですよね。

問題の97年時

さて、内容的に完全にレムリアの思想の影響下にあると思われる「碧い地球の旅人」リリース、同じくレムリアの影響下にある香夫人との結婚、X脱退、と大きな動きのあった97年時ですが、この時期に関しては判断するのが難しいです。TOSHIの発言内容に関して言えば、アルバムからして完全に影響下にあるよなぁと思わざるをえないと思うんです。

でも、一応私はこの段階ではまだ「マインドコントロール」は受けていないと考えています。TOSHI本人の様子がそこまで異様ではないという、とっても個人的な主観による判断ですけど(^^;;。

例を挙げますと、THE LAST LIVEでの、TOSHIのMCなんですが。言っている内容は、レムリアどっぷりであるのは確かです。最後のMC「何者にもならなくていい、そのままのおまえたちがXそのものです」辺りは、すでに98年以降にTOSHIが主張している内容と同じです。でも、内容は別に間違っているわけじゃないですよね? これはこれで一つの考え方だと思います。で、TOSHIはこれをけっこう気を使って言っていると思うんですよ。YOSHIKIがこのとき、なにを言い出すか「警戒して」TOSHIのそばまで来てます。それにTOSHIは気付いています。で、「続けてもいいか?」とYOSHIKIの様子をうかがっていると思うんです。そして、続けてもいいらしいと確認してMCを続けてるんです。

それがなんだと思うかもしれないけど、この「様子をうかがっている」のがポイントです。そうやっていつも他の人の顔色をうかがっているのがTOSHI本人はいやでつらくてしょうがなかったんだと思いますが、でも「他の人の顔色」を視野から追い払って自分の(倉渕氏の、ですけど)主張だけを声高に訴えるようになったのが98年以降のTOSHIです。

このLAST LIVEのMCの様子を見る限り、この時期のTOSHIは彼自身の思考、判断、というのを持っていたと思うし(だからこそ、YOSHIKIの様子をうかがっているのでしょう)、それなら「マインドコントロールは受けていない」と言ってもいいのではないでしょうか。ただ、思想的に著しくレムリアの影響を受けていた状態ではないかと。

とは言うものの、実際にはすでにそうとうやばかったのだろうなとも思ってるんですが(^^;; それは同じくYOSHIKIのインタビューにあった「警戒して」なんですけどね。フツーいくら解散ライブだったからってボーカルのMCに関して「変なこと言い出したら、マイクを切れ」ってスタッフに命じませんよね(笑)。YOSHIKIはその理由をはっきりとは述べてませんが、まぁやっぱりTOSHIが変な宗教らしきものにかぶれているんじゃないかと疑っていたがゆえの警戒かな〜と…(^^;;。とゆーよりもそれ以外にありえない気が…(^^;;。

続いて98年前半ですが。テレビで見る限り、特に不安は感じていませんでした。でも葉加瀬太郎氏とのコラボレートアルバム「壊れた世界でカナリヤは歌う」のTOSHI作詞の曲には「………だ、大丈夫なのか?(^^;;」ととっても心配になってしまいました。これはマインドコントロール不安ではなくて宗教かぶれの不安でもなくて、TOSHIがものすごくものすごくくらーくネガティブになっているように見えたからです。

今になって思うと、おそらくこの時期受けていたであろうセミナーの影響なんでしょうね。単純に考えてこの時期にはセミナー受けまくっているでしょうから、前述した「自己否定を繰り返す」セミナーを受け続けていて、それが曲にも反映しているんでしょう。つまり、マインドコントロールを受けていく途中過程、かもしれません。ただ、贔屓目かもしれませんけど、この時期はまだしも決定的ではなかったように感じています。この時期ならまだ戻れたかもしれないと思うんですよね。自己否定を誘導されているにしても、それでも、ひたすら自分と向き合って自分の頭で考えまくっている時期だったと思うからです。だから、カナリヤは決して悪いアルバムだとは思わないんですよ。TOSHIの悲鳴のような歌詞は聴いててすっごい痛いしツライけど、とても切実です。そしてリアルです。でも…すでにレムリアの誘導するルートに乗せられていたのは確かでしょうけども。

98年7月…変でした。

これは、現在の感想ではありません。当時、私はTOSHIがレムリアだのって団体に関わっていることをまったく知りませんでした。裏事情も全然追求する気がなかったひとだし、そもそも情報網もなかったので、そういうウワサすら聞いたことがなかったのです。でも、98年7月のミュージックフェアやスタジオパーク出演の辺りは、リアルタイムで見ながら、「…………???(^^;;;;;」と感じたのをよく覚えています。

さっきからずっとそうですが、これは客観的な事実があるわけではなく私の個人的な印象なので、とても根拠薄弱だと思います。でも、やっぱり自分が事実を知らぬままに感じたイメージは強力で。個人的には、この時点で明確にマインドコントロールを受けている状態なのではないかと感じます。

なぜマインドコントロールと感じるか。

私が個人的にTOSHIに違和感を感じたのが上記98年7月の一連のテレビ出演です。続いて9月の洗脳報道でのテレビ出演を見て、決定的に「これはおかしい」と感じたわけですけど、それを「マインドコントロールだ」と認識している理由を書いてみます。

個人的な印象ばかりが続いて申し訳ないですが、7月におかしいと思ったのは「TOSHIの言っている内容がよく理解できなくなった」ことが主な理由です。何度も書いてきたことですけど、それまでと言っている内容自体に大きな断絶があったとは思っていません。にもかかわらず、TOSHIの発言が、いまいち理解できなくなってしまったのです。これは私にとってはかなり唐突なことでした。また目つきや表情などにも違和感を持っていたと思います。

98年9月の騒動時のテレビ出演ではその違和感は明確になります。TOSHIは人の話を聞かないようになっていました。いちばん最初に見た「ワイドスクランブル」のホテルの一室でのインタビューVTR時、TOSHIはかなり冷静に話していました。それでも、インタビュアーの質問に対して、論点をちょっとずらして答えたり、自分の言いたいことだけ言ったり、どこか歯車が噛み合わない印象でした。生出演時に至っては、インタビュアーの言葉を遮って無理やり自分の主張を言う、まったく質問と違うことを答える、と、過去のTOSHIからは想像しにくい姿でした。

いちばんつらかったのは、いままでどれだけ不安でも本人の言葉を聞けば納得できたし安心できたのに、このときはTOSHI本人の言葉がもっとも理解できなかったことです。むしろインタビュアーの言葉のほうが理解できてしまう。TOSHIの言葉がこちらに伝わってこない。通じない。言っている内容が理解できないわけではないのです(いや、「大自然の子ら」とか意味わからない言葉もあったけど)。それを言っているTOSHIが、全然こちらに伝わってこないという印象でした。

生出演時の、人の言葉を遮ってなにを言われても同じ言葉を声高に繰り返すTOSHIは、大マジで、いちばんぶいぶい言わせていた頃のオウムの上佑氏を思い起こさせました。明らかに同じ精神状態にあるように見えました。特徴としては、人の話を聞かない、聞いているようにみせても微妙に論点をずらして答える、それで通らないと声高に同じ主張を繰り返す、結局同じ理論に固執して他の視点からの質問や批判は聞かない、考えない、っていうところでしょうか。

ポイントは、その言っている内容が正しいか否かではなくて、この時期のTOSHIが他のひとの話を聞かなくなっていた、他の視点からの話を受け付けなくなっていたという点だと思います。だから、私はTOSHIはマインドコントロール下にあると思うのです。

「TOSHIが変わってしまった」というとき、TOSHIが変なことを言っていると批判されている場合が多いと思います。でも、個人的には、思想は自由だと思いますし、彼はやっぱりもともとそういう指向性を持っていたように思うんですよ。だから、彼の言っている主張自体には猛烈に反対というのはありません。もともと、私はアーティストの思想にはさほど興味がありませんし。人それぞれだと思っています。思想を規制されるいわれはないでしょうし。

問題は、彼が他のひとの声をまったく耳に入れようとしなくなってしまったことだと思うのです。TOSHIが変わったとしたら、そこです。この時期テレビ出演をしていたTOSHIは、ものすごく視野がせまくなっているように見えました。他のひとのことなど目に入っていないようでした。それはやっぱりどこかおかしい状態だと思うし、私には明らかにマインドコントロールによる異常な状態であったと思えます。

Posted by koko at 12:00 AM | Comment (0)
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