Under the Sun

TOSHIについて5「結論(仮)」

2003.07.16(Wed)

まだまだ揺れている部分もあり、明確な結論はあまりないのですが、私の当面のファンとしてのスタンス、感想をまとめて仮の結論にしたいと思います。

思想には直接反対はしてません。

現在のTOSHIの思想は、YOSHIKIに代表されるXの主張とは対極にあります。Xは非常に上昇志向の強いバンドで、努力してできないことはないという主張を持っているバンドです。現在のTOSHIはそういう上昇志向の上というのはなんなのか?というところから否定しています。つまり社会のヒエラルキーの存在自体に反対しているんですよね。これはある意味でものすごく反社会的な発想で、実はXよりもはるかに過激ですが…(笑)。

まぁ反社会的云々はさておき。TOSHIがいま発信している最大のメッセージは「何者にもならなくていい、そのままありのままで生きていこう」ということです。

そういうわけで、XとTOSHIは確かにまったく対極のことを言ってますが、どちらも間違いとかではないと思うのです。別にTOSHIの言っていることだって(反社会的なところまで行ってしまっている部分は困りますけど)、一応個人的に言う分には決しておかしなことではないですよね。やはり最終的には「そういう考え方もあるよね」としか言えないと思います。一方的にこちらが正しくこちらが間違いというような話ではありません。そこから先は個々の考えに従って、えっくすの思想、あるいはTOSHIの思想に、批判するなり同調するなりすればいいと思います。私のスタンスは、X、TOSHIどちらに対しても「そういう考え方もあるよね」です。なので、現在のTOSHIの思想、主張そのものを否定する気持ちはありません。

マインドコントロールを受け入れてしまったこと。

では、私がTOSHIのなにに抵抗を感じているのか。それは彼が「マインドコントロールを受け入れてしまったのだ」と感じたことに尽きると思います。私にとっては、この点がもっともつらかったし、納得しがたかった部分です。TOSHIファンであった私があれほどに激怒してしまった理由は、おそらくこれが90%以上を占めています。いくらTOSHIが自分の意思だと言おうとも、現在のTOSHIを認めている人たちが庇おうとも、私の目にはマインドコントロールを受けているとしか見えません。主張がどれほど正しくても、共感できるものであっても、TOSHIがこの状態である限りは私は納得できないでしょう。

98年時のTOSHIは、見ている世界が違いました。マインドコントロールによって、非常に視野を狭められた状態で、世界を見ているようでした。倉渕氏というフィルターを通して世界を見ているように思えました。もっと言うと倉渕氏の世界に引きこもって、それ以外を見ることを拒否しているようでした。

だからファンであった私は、TOSHIがとっても遠くに行ってしまったように感じたし、帰ってきて欲しいと願ったのです。ワイドショーなどで「帰ってきて」と言っていた多くのファンも、そういう意味で言っていたんじゃないかなと思います。TOSHIにはその願いは「Xに(=Xの思想に)帰ってきて欲しい」と受け取られて強く拒絶されましたが。あのころ、これは本当に言いたかったです。「そういう意味じゃない!なんでわからないの」って。ただ、視野を回復して欲しかった、そのうえでTOSHIの気持ちを歌ってほしかった、語ってほしかった、表現してほしかっただけです。それを聴きたいと願っていただけです。それはやはり帰還です。どうか、帰ってきてほしいと思っていたし、いまも思っています。

視野を回復した結果、「ありのままで生きていこう」というメッセージが届いたなら、私は嬉しくそのメッセージを受け取ると思います。…引きこもったままのTOSHIには伝わりませんけどね…(笑)。本当に、Xに帰って来いなんて言ってないんだよ。ボーカルマシンに戻れなんて言ってない。ただ、そこから出てきてと願っているだけなんだけどなぁ…。

それもTOSHI。

上記の「TOSHIがこの状態である限り、私は納得できない」というのは本音です。現に私はTOSHIファンに戻れていません。でも、同時に思うことがあります。98年当時は私もそうとう逆上したので、当時からこう言えたわけではないのですが。少なくともファンである私には言えなかったのですけども(ファンと言う立場を捨てれば、言えたんだけどさ)。いまはこうも思っています。

マインドコントロールを受け入れてしまった、それもまたTOSHIなんですよね。

TOSHIが弱い部分を持っている人であるっていうのは、前からわかっていたことです。そういう甘えた部分も含めてTOSHIです。今回も要するにその延長だと思います。レムリアにあっさり傾倒してはまってしまうどうしようもないところも、やっぱりTOSHIなんですよね〜。そして、そういう人間的に弱い部分っていうのがGRACEで私がとっても好きだーと思った姿にも繋がっていくわけで。表裏一体なんですよね。長所でもあり短所でもある。それが今回、サイアクにタチの悪い形で出てきてしまったってだけで。

だから、私はマインドコントロール下にあるように見えるTOSHIの歌を受け入れることはできないのですが(TOSHIソロファンとしては、TOSHIの魂の歌であるとどうしても認めがたい)、やっぱりTOSHIというひとを私のなかで切り捨てることはできない。人間が全部がらっと変わってしまったわけではないんですよ。それは感じています。端々にTOSHIだなぁと思う言葉もあるんです。でも、ダメだこりゃって思う部分もある。

ダメだこりゃと思うところを「でもTOSHIだからいい!間違ってない」とは、私にはとても言えません。ダメなものはダメでしょう。かと言って「こんなヤツだったのか!」と切り捨てることもできない。考えてみたら、あのひとは昔からやたらと素直で、ひとの影響を受けやすく、ついでに頑固者だったんだもの。

結局、私はXでもTOSHIソロでも、表現に見える思想とか主張とかではなくて、表現からみえてくるそのひとの姿が好きだったんだと思います。YOSHIKIも然りですが。私はすごくYOSHIKIに影響を受けていると思うけど、もともとの性格がまったく違うので、決して彼の言っていることすべてに賛成というわけではありません。でも、別に主張に賛成でなくても、関係なく、好きなもんは好きなんですよ。

TOSHIも同じことです。私が見始めた頃から、すでにTOSHIは少しずつYOSHIKIとは別の主張を始めていました。YOSHIKIの主張に同意するなら、TOSHIには同意できない部分があったはずです。でも、実際には、私には私の主張があって、どちらにせよ、共感できるところもあればそうでないところもあって。最初からすべて賛成なんてありえなかった。でも、同意共感できないところがあっても、それを歌うTOSHIっていうひとが好きだったんです。いま、私がTOSHIソロを追いかける気にならないのは、歌の向こうにTOSHIの姿が見えないからです。歌の向こうに倉渕氏の姿が見えても、嬉しくもなんともないのです(笑)。私が現在のTOSHIから離れている理由は、実際にはそれだけなんだと思います。

正しいとか正しくないとか、言葉として話すとそういう部分ばかりがクローズアップされてしまって、自分の気持ちを見失うような気がします。洗脳騒動に関して正しくないことはいっぱいあると思う。でも、正しくても正しくなくても、好きだって思う気持ちは別にあると感じるんです。TOSHIが間違っているから、弱いひとだから、正しくないから。そういう理由で好きでなくなるのは難しい。

もちろん、正しくないことは正しくない。いままで大量に書き連ねてきたように、TOSHIの現状はさまざまな問題が山積みです。レムリアという団体の問題、自己啓発セミナーの問題、未成年のファンを巻き込んでしまうかもしれない社会的な責任、ご家族との断絶。どの問題も批判せざるをえない状況が続いているように思います。私も「こりゃどーよ?」と思うことは山のようにある。でも、だからって嫌いになれるわけじゃない。

TOSHIを好きであることは変わりありません。いまTOSHIを追いかけていないのは、その好きなTOSHIを歌の向こうに見ることが難しいと感じているからです。少なくとも「君はいないか」の向こうに「TOSHI」を見ることが、私にはできなかった。多分それだけです。TOSHIが倉渕氏の思想の世界から抜け出して、自分の歌(作詞ぐらいはしてくれると嬉しい)を歌えるようになったなら、それが10年後であっても、私はTOSHIのファンとして彼が歌う場に舞い戻るでしょう。

ねがい

基本的にひとの人生ですからね。赤の他人の私がぐしゃぐしゃいえることではないんで、もしもTOSHIがこのままレムリアにどっぷりつかったまま人生を過ごしていったとしても、私には基本的には口出しできません。加害者としての顔を持ってしまっているとしたら、それはもう社会的に許されることではありませんが…そうでない限り、ただのファンが口出しできるようなことでもないでしょう。人それぞれですからね…。TOSHIが本当にそれでいいと思っているなら仕方ないよね…。

でも、口出しできないとは思うけど、TOSHIファンとしての希望はあります。どうしたってあります。

いつかTOSHIファンとして、彼の歌う姿を憂いなく見れること。

いま、なにか希望の切れ端があるわけでもなくて、事態はほとんど変わらないまま、すでに5年ぐらい過ぎましたけど(笑)。もしかしたら状況は悪化しているのかもしれないけど。でも絶望してるわけでもない。

いつか、そういう日がくるといいよね、と、気長に願っています。

Posted by koko at 12:00 AM | Comment (0)
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