Under the Sun

本音。実はキレてました。

2004.05.29(Sat)

民事ですけども、裁判始まりましたね。
山本氏が冒頭で意見陳述を行ったそうで、その内容がHTPの最新情報に載ってます。まあ、本当裁判のことも法律のこともさっぱりわかりませんので、どうなるとか予想もつけようがありませんけど、とにかく一歩ずつでも事態がいい方向に進んでくれるといいなと。

ちなみにこの場合のいい方向というのは、HOHがつぶれることですけどもね。

その結果、TOSHIが歌を歌う場がなくなる、あるいは本人の言うように引退する、というようなことになってもです。むしろそれは、紀籐氏らが意図したとおりに物事が進んだならば、確実に訪れる未来だろうとも思っています。
そして、それでよいと思っています。そうなれと思っているのです。それが私にとって「いい方向」です。

私ね、98年時、TOSHIが「このままじゃ歌えなくなる」と泣いたという話を聞いたときは、さすがに胸が痛みました。どこでこのエピソードを見たか忘れちゃいましたが、本当に歌が好きでしょうがなくて歌えなくなることへの恐怖みたいなのがすごくリアルに感じられた。マインドコントロールされていようとMASAYAの歌しか歌わなかろうと、それでもそういう彼から歌を取りあげるのは酷であるように思えました。

でもねえ、オフィに載ったTOSHIのメッセージの一文「悪事によって真実の愛が曲げられその愛しき真実が歌えないならもう歌は歌いません」ってのがね、来ましたね。
実は、この一文で、私、キレました。
ぶっちゃけ、「ああ、そうかい、そんならもう歌わなくていいよ!!」って思いました。

もう、「歌いたい」っていうただそれだけの純粋な気持ちすらなくしてしまったのね…とHOH風に言わせていただきます。
98年時は、そういう純粋な気持ちを感じたから、せめて歌だけは取り上げたくないと思いました。
でも、もういまのメッセージには、そんな「歌いたい」という気持ちをまったく感じません。

ああ、そう。それなら、もういいよ。歌いたくないんでしょう?ならいいよ、歌わなくて。

普段は冷静に書くように、ファンとしての個人的な感情をぶつけないように気をつけていますが、実のところ、いまの個人的なファンとしての本音はこれです。

このメッセージから私が感じたことを書きます。
TOSHIが自分の歌を大事にするつもりはまったくないこと。歌はあくまでMASAYAのメッセージを伝える道具のひとつであること。TOSHI自身に純粋に「歌いたい」という欲求は特にないこと(あったら書けねえだろ、これ)。
要するに「それほどまでにMASAYAだけが大事なわけね。歌を歌えるかどうかなんてことは実はどうでもいいわけね」ってことですよね。

…もうねえ、どこまで、人が心から大事にしてきたものを無残にぶち壊せば気がすむのかと。
ああ、そうかよ、MASAYAのメッセージを伝えられないなら、歌う必要もないわけだ。おまえの歌そのものには、価値はないわけだ。
Xに続いて、こんどはてめえの歌を投げ捨てるのかよ、どれだけ人が、てめえの歌を心から大事にしてきたと思ってんだちくしょう!ってなもんですよ。

しかもキレたのは、TOSHI本人のメッセージにですからね。実は周囲の状況全然関係ないわけ。98年もそうだったけどね。あのときも、キレたのはTOSHI本人の発言でしたからね。ワイドショーは変に演出するとか文句つけてましたけど、演出するもなにも生出演のTOSHIの発言に「このやろう!!(怒泣)」だったからこそショックを受けたんですよ。にっちもさっちもいかなくなったんですよ。
今回もね、TOSHIの歌に対するこころ模様がね、「てめえの歌をなんだと思ってやがる!!このやろう!!(怒泣)」ってな感じで、もうにっちもさっちも。

まあ、これを読んだのはかなり初期ですから、内心キレながらも、これまでまあそれなりに冷静に書いてきたと思うし、今後もそれなりに冷静に書いていけると思うけど。でも、やっぱり、本音も書きたくなりました。
こういう本音もあるんだぞということで。

Posted by koko at 06:05 AM | Comment (0)
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