Under the Sun

6/3付TOSHIのメッセージについて

2004.06.09(Wed)

怒り狂ったりしつつ、考え込んでいるうちに時間が経ってますが。
結局のところ、もともと何年も前からX系ファンサイトで語り尽くされている問題に戻っているという話ですか、これ(笑)。つまり、過去(X時代)を否定するTOSHI、それに対して怒りを覚えるファン、過去を否定しながら堂々と「ヴィジュアル系カリスマバンドなどと呼ばれ、大きな影響力をもつ私」などと自称するTOSHI、「否定しておきながらそういうときだけXの看板利用すんじゃねえ!」と怒り狂うファン、っていう構図ですよね(笑)。

TOSHIが脳内で勝手に「虐待ではない」→「紀籐氏と山本氏の事実捏造だ」という斜め上にすっ飛ぶ結論を出して(このときには「不適切な養育環境」と指摘されている事実は脳内から消えていると思われます)、その結果、安心したんでしょうね。落ち着いて、ここ何年かのTOSHIのお話に戻っちゃってるんですよね。それで問題点もまた同じところに帰ってきたっつーことでしょうね。

まあ、まず、児童虐待問題について勝ち誇っている様子も、状況がわかっていないということで反感を買っていると思います。私も正直「虐待認定」に関しては、紀籐氏も書いているお役所の「ぬえ的」表現のおかげで、「つまりはどういう結論出したワケ?」と混乱しているところがありますが、どっちにしても確実であるのは、「不適切な養育環境であった」ということです。養育環境に問題があったことそのものは確実に認定されてんだから、それを受け止めろっていう話ですよね。まあ、それはTOSHI側はこの問題を親子の問題にしたいっつーことかなって気もしますけど。しかし、それを個々の親子の問題にしようとするのもやっぱ不誠実なわけで、結局はこの問題については不誠実に見えるのはいかんともしがたいと思いますです。

さて。私自身が怒り狂った肝心のポイントなんですけど。
うーん、まあ、腹立てまくってるんですけど、でもこの話難しいんですよね(笑)。多分正しい正しくないという観点で語るのは、私には無理かなという気がするんです。私自身、TOSHIが間違っているから怒り狂っているとは思っていない面があるし。Xファンとしての私の感情を激しく逆撫でされてるだけといえば、それだけなのだとも思います。

あんまり、主義主張に関しては言いたくないというか。それこそ、「世界がひとつになれば」なんて言われると怖気が立つほど大嫌いな私なので、こっちが人様の主義主張にあれこれ言うのも苦手なんですよね。なので、TOSHIの根本的な主張(何者にもならなくていいっていうやつ)に対してもあんまり言うことはないんですが。

でも、根本主張の「ありのままでいい」とかその辺に対しては特に言うことはないけど、やっぱりその価値観をもってして「世界がひとつになれば」には、私は抵抗しますよ。そんな価値観でひとつになんかなりたくねえっつの。っつうか、どんな価値観であれ、ひとつになんかなりたくねえよ。
ここがどうしても、根本的に矛盾してると思うんですけど。TOSHIの言うことって。
競争も比較もいらないのではないかっていうTOSHI自身の気持ちはまぁいいんですけど、競争しながら日々生きている人たちってのはいますわね。いちばんわかりやすいのはスポーツ選手ですけど。そういう人たちはTOSHIのいう「世界がひとつになれば」の「世界」に入れないんじゃないですか?っていう疑問。「世界」の構成要素として認めてもらえないの?っていうね。たとえばYOSHIKIなんかは入れてもらえないわけですね?(笑)

TOSHIの言い方だと今後は「世界がひとつになれば」のメッセージを伝えていく、ような感じでしたけども、私はこっちのほうが問題アリだと思うんだよなあ。根本主張にも矛盾してるし(「ありのまま」を認めるのであれば、そういうTOSHIとは主張の違う人たちの「ありのまま」の闘争本能も認めてもらわないとねえ?)、そもそも押し付けがましいうえに非常に排他的になっちゃうわけで(つか、もともと実際問題は排他的なんだけどさ(笑)。これかざしてると主義主張自体が排他的になっちゃうじゃん?)

でも、今回のメッセージでは、押し付けじゃないということは強調してますけどね。「そして私もMASAYAもそのことに慎重であるだけに、お金をもらってしかそのようなことを伝えていないし、コンサートや本やトレーニングやCDや歌の中でしかそのような自らの見解は述べていません。」とか言ってるし。でも、そもそもこの主張自体がどうかっていう話だし。
とにかく私は「世界がひとつになれば」主張はやめてもらいたいです。そっちに関しては自分がそういうのを嫌いだということだけではなく、主張として反対です。

でもさ、多分、ハイセイコーよりハルウララの生き方がいいななんていうのは、今の時代、めーっちゃ普通の発想ですよね。いまどき「勝つことが一番大事」なんて思ってる人は、普通の生活を送っている人には少ないんじゃないですか?多くの人は別に出世のために頑張っているんじゃなくて、生活をしていくために頑張っているんでしょうし。
んじゃなんでそういう普通のことを言っているだけのハズのTOSHIは変に見えるのか。根っこに矛盾があるからだと思うんですよ。その矛盾っつーのは、TOSHIの発想が根本的に「否定」から始まっていて、いまだに「否定」に立脚した論理だからだと思うんです。TOSHIの話は常に「こういうつらい目に自分はあってきた」「そんな社会はマチガイだと思う」「だからそういう生き方はよくない」っていう展開でしょ。自分の養育、教育環境を否定、X時代の価値観を否定、スターであった自分を否定、そういう価値観を強要した現代社会の在り方を否定、そんでもってMASAYAの言う「ありのままで生きていていいんだよ。ありのままを受け入れよう」をオススメ。もう最後以外が、全部が否定否定否定の話ですよね。このあらゆるものの否定に立脚した論理展開と、「ありのままでいい」という主張があまりにも相反していると思うんですけど。

こっちを否定して、こっちを肯定する、というその論理展開自体が、あんた、比較してるやんか

っつーことです。
まあ、「どうすりゃいいのか」ってわかりませんけどね。ただ、とにかくあの否定ベースの論理展開である限り、TOSHIの言う「ありのままでいい」のうさんくささは消えないと思いますよ。他の人に言われたら納得できることも、TOSHIに言われると「むちゃくちゃうさんくさーい、嘘っぽーい」と感じちゃうもんね。ちなみに「世界にひとつだけの花」も同じ論理展開をしている曲なので、私には嘘っぽく聞こえてダメです。

と、気付いたら今回のTOSHIのメッセージに限らない話になってしまいました。まあ、ぶっちゃけいつも同じことを話しているだけでだからね。ま、要するにこれが私の、現在のTOSHIに対する基本見解なのだと思います。いっぱい書いたから、今回はここまで。

さて、問題の「大きな影響力をもつ私」については…私は冷静に語ることができるのでしょうか…。はー。今回のエントリーも、ここまで書いてた分にはそんなきつくないんだよ。でも、「大きな影響力をもつ私」この一言を書き写すたびに、こう、私の中でメラメラメラメラと燃え上がるものが…。

Posted by koko at 03:01 AM | Comment (0)
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