Under the Sun

YOSHIKIとTOSHI。

2004.04.27(Tue)

これ(「改めて、今回の騒動に対する私の見方」)の続きと言えば、続き。

現状のTOSHIやHOHに対して批判的な意見をもつ人は、えっくすのころからのファンが多かろうと思いますので、当然のことなのですが、えっくすに戻れとかYOSHIKIが待ってるとかYOSHIKIのためにとかえっくすファンが可哀想とかそういう発言も多く見られます。あと、YOSHIKIに意見や対応を求める方もいるみたいですね。YOSHIKIモバにもそういうメールが届いているようですし。

でも、私個人は、現状で、えっくすやYOSHIKIの話を持ち出すことは反対なんですよね…。

自分が、えっくすにおいては8割がたYOSHIKIを見ていた生粋のYOSHIKIファンのわりに、TOSHIソロが大好きだったせいかもしれませんが…えっくすのTOSHIではないソロのTOSHIが、えっくすとは別アーティストとして、存在していたんです。それは、私にとって間違いなく事実です。
だから、TOSHIは、YOSHIKIの歌でもなく、MASAYAの歌でもなく、自分の歌が歌えるはずなんです。それを歌えっつー話なんですよね。
でなくては、彼はいつまでも親のうしろにくっついて歩く子どものままです。

こないだの続きになりますが(ようやく)。HOHやMASAYAから物理的に離れることができたら、そのあと。
そのあとこそ、TOSHIが一人で立って進んでいかなくてはならない道が待っているはずなんです。そこで、YOSHIKIの歌を歌うことが使命と思いこんでえっくすに戻ってきてくれてもYOSHIKIファンの私はかまやしませんが(オイ)、TOSHIソロファンである私はそれに同意できません。
TOSHIは自分の歌を歌いたかったはずなんですから。
「YOSHIKIの歌を歌うことが使命」という発想はいまの「MASAYAの歌を歌えないのならもう歌いません」とかほざいているのとややもすると似ています。
もしも、MASAYAから離れたTOSHIがそのままえっくすに戻ってこれるなら…。あえて、こう思います。
おそらくTOSHIは今度のことでなにも学んでいないのです。
そして、同じことを繰り返すだけなのです。

えっくすに戻る前に、まずやらなくてはならないことがあります。
それは彼が精神的に自立することです。
YOSHIKIと本当の意味で、対等になることです。
TOSHIが、YOSHIKIに対して常に遠慮し続けてきたこと、YOSHIKIのあとをついてきたこと、二人は本当の意味で対等の友人ではなかったこと。
当時あまりにも近すぎてそういったことに気付かなかったYOSHIKIは、いまは、それを理解していると思います。理解したうえで、彼の本当の意味での自立を、そして彼が友人として帰ってくるときを待っているんだと思います。

おそらくYOSHIKIは今回の件では動かないでしょう。
他の誰が動いてもいいけど、YOSHIKIが動いたら、YOSHIKIだからこそ、だめです。
いまのTOSHIに必要なのは、えっくすのTOSHIでなくても、MASAYAのロボットでなくても、自分の歌を歌える自分を自覚することだと思うのです。
歌えるんです。私はそれを知っています。なのに、TOSHI自身がそれを忘れているのです。
どうか、思い出してほしい。

今、YOSHIKIがTOSHIの手を引いたら…そして、YOSHIKIならやってのけるかもしれないけども、それが成功したとしても、同じことの繰り返しになる気がするんです。YOSHIKIにそのつもりがなくても、YOSHIKIがいくらそれを回避しようとしたとしても、TOSHIの心のありようがあのころと変わっていない以上(MASAYAについていかずにはいられなかったことがその証です。TOSHIにとって、MASAYAは間違いなくYOSHIKIの代わりです)、同じことになる。
それは、ダメだと思う。
私は彼らに本当の意味での友人になってほしい。ファンの勝手な願いですが、本音です。
でも、TOSHIが一人の人間として立ち直るとゆーことは、こういうことだと思うんですよね…。

YOSHIKIがいま出てくることは、TOSHIにとって、とてもよくない。
それが私のいまのところの見解です。

Posted by koko at 01:53 AM | Comment (0)
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