Under the Sun

Archive/July 2003

TOSHIについて3「いくつかの問題。」

[TOSHI関連雑記] 2003.07.14(Mon)

98年当時、TOSHIを巡る状況は、いくつかの問題が複雑に絡み合っていたと思います。それぞれに別問題だと思いますので、ひとつひとつとりあげてみたいと思います。

レムリアという団体の持つ社会的な問題

マスコミでターゲットになった最大の問題点です。当時、まだオウムの記憶が鮮明で、自己啓発セミナーや宗教というものに世間的に抵抗が強かったのもあって、「カルト」かもしれないレムリアという団体自体の持つ問題がありました。

実際、倉渕氏は過去に「空中浮遊はある。私は見た」だとか「2000年に90%の人類が死にます」だとか、かなりカルトに近い発言があった人で、当時の取材の記録を見ても、穏健な自己啓発セミナーを開催しているようには見えません。ただこの時期、ちょうど倉渕氏本人が変化した時期だったようで、それ以前には終末思想のような過激なセミナー内容だったが当時はかなりおとなしくなっていたという話もあるので、TOSHIが受けていたものはこういう内容ではなかったようです。いまも「自然界の子」「自然に生きよう」てな感じの教えが基本的な路線だと思います。まぁ、その流れでときどきとっても「反社会的」と言っていい観念が飛び出すことはありますが…。

あとやはり自己啓発セミナーとかにありがちな社会的な問題があります。セミナーを受けた人が、家族と断絶してしまった、家を飛び出してしまった、お金を持ち出してつぎ込んでしまった、自殺未遂をした、というような話ですね。また、TOSHIのファンに倉渕氏のCDやポストカードを売ったり(倉渕氏のCDを買うと握手がしてもらえるとか)、倉渕氏のライブへのお誘い、レムリアの浄水器(…???)を売ったり、レムリアのTOSHIのファン対象の商売っ気というのは明確にあるような。レムリアの主張として「金儲けは醜い、そういう社会から離れてみんな自然界の子として生きるべきだ」ってな主張があるだけに、「んじゃーなんで、おのれらは浄水器を売ってんだ? なんでライブ一本に何万も取るんだ?」という疑問が生じるのはやむをえないかと。そしてこれが商売っ気ではなく、本当の意味での勧誘なんだとしたらそれはそれで前述の問題に繋がっていってしまいますしね。

最近はレムリアがカルトだという話はあまり聞かないですし、反社会的な団体とまでは思いたくありませんが、そうでなくともやはりはまってしまった人の金銭的な被害や家族とのトラブルなどの問題は大きいという話は見かけます。どこまでを被害者と考えればよいのかも私にはよくわかりませんが、そういった状況に陥ってしまった人(あるいはその家族)にとってはTOSHIはすでに加害者になりつつある…という状況も起きつつあるようです。あくまでネットの情報で私では事実は確認できませんが、そういう状況があってもおかしくはないとは思います。そして、これが、おそらく社会的な意味での最も大きな問題点なのでしょう。TOSHIだけのことではなく、カルトや自己啓発セミナー全体のもつ根本的な問題だとも思います。

マインドコントロール

当時、TOSHIが受けていたセミナーの内容が、ちょこっとはマスコミに出ているわけですが、手法的にはやっぱりマインドコントロールをかける手法に限りなく近いと思います。ていうかそのままなのでは?

いちばん有名なものが、参加者を罵倒し続けるというやり方ですね。TOSHIはこれを受けて、号泣しただのって話が出てます。彼の「バケモノアゴ男」だの「貧民」だの「金儲けに走る、醜いバケモノになってしまった」(書き写してるだけで泣けてきそうだ…)だのって発言は、このセミナーで受ける罵倒から出てきたものだと思います。そういう内容のセミナーを受けたことを、TOSHIは認めていますし(話ずれるけど、この辺からもTOSHIが事実関係での自覚的な嘘をついていないことは認めていいんじゃないかな、なんて。このセミナーを受けたって認めること自体、レムリアにとってはものすごく不都合であるはずですからね)。そしてTOSHI本人は「洗脳されていない」と言ってますが、洗脳とマインドコントロールは大きく違うようですけど、TOSHIとしてはもちろんマインドコントロールも受けていないと言うと思います(笑)。でもこればっかりは本人の言は全然当てにならないわけで。

ちょっと話が戻って、前段の社会的な問題ですが…問題が大きすぎるため、判断しかねる部分ではあるのです。個人的には、終末思想等で煽っていたころのセミナーに関しては、危険だと言わざるをえないと思います。でも、現在のセミナーはそこまでの過激さはないようですし、もっと内省的な内容になっているようです。で、そうなってくると、こういうセミナーの良し悪しってなかなか判断つかないものがあるんですよね。で、かなりいいかげんな判断になってしまうのですが、個人的には人様に迷惑をかけず、法律的に違反をしていないのなら、脇からごちゃごちゃ言うこともないかなと思ったりするのです。その手のセミナーすべてを否定はできないと思いますし。お金むしりとられたり家族と断絶してしまったりというのは問題でしょうけど…でも、その辺はやっぱり自己責任の範疇かなぁとも思うのです。そこのライン引きは難しいですよね。やっぱり。

ただ、TOSHIファンが商売の対象になるってところで、未成年や若い人が多いですから、その部分でTOSHIには社会的な責任があるだろう、っていう話もあります。そういったセミナーの広告塔としてTOSHIが活動することの是非ですね(本人は広告塔ではないと言っていますけどね。でも、これは客観的な事実として、事実上広告塔と同じ役割を果たしているわけですから、広告塔と言われてもしかたないんじゃないですか)。これは、私は正直判断しかねています。有名人としての義務だとか責任だとか言われるわけですけど、それに対してTOSHIが反発する気持ちはわからなくはないんですよね〜。

あと、「自然界の子」とか「金儲けに走るバケモノになるな」とか言っておきながら、おのれはなんで浄水器を売るんだ〜、ライブで万単位の金をとるんだ〜、どうしてCDを買った人と買わない人で、差をつけるんだ〜、等々、彼らの矛盾に対する疑問はとってもあります(笑)。ありますけど、矛盾がない論理なんかありゃしないでしょうから、それで「インチキだ」「レムリアは悪い団体だ」というのもまた極端であろうと思います。ただ、まぁ、それを教義として伝えているような状態ですから、そこで「綺麗事言ってるけど、おのれらは実践できてるのかよ。まずおのれがやれよ」と思うのはもちろん勝手だと思います。私はそう思ってますし(笑)。

ただし。いままでの話全部の大前提として、これって要はレムリアに接した人の判断力が正常な状態での話なわけですね。「自己責任の範疇」だと思うから、レムリアを危険な団体とは考えてないわけです。したがって、セミナーの形態が明確にマインドコントロールの手法であるとなると、話が全然違います。まず、判断力を奪ってから、上記のような状態に陥れるセミナーであるならば、やはりそれは問題でしょう。まして、そこにまだ判断力の十分に養われていない未成年などを引き入れるのは十分に問題があるでしょう。

そういうわけで、そんなところに行かないのがいちばんですが、やはりこの団体のやり方(少なくとも当時のやり方。現在のセミナーがどうなっているかは不明)はかなり問題があったのではないですか? 現在もこういった手法のセミナーが続いていて被害が出ているという話もあります。それが本当だとしたら「判断力を奪う場にファンを引き入れていくTOSHIは無意識の加害者だ」という意見にも私は納得します。事実がわからないので保留してますけど。

事務所の経理問題と、ご家族の問題

TOSHIが主張していた問題ですね。事務所の経理関係の問題。もともと社長であった次兄氏の問題があって、TOSHIと次兄氏が話し合いを続けていたがまとまらず、実力行使的に次兄氏サイドがマスコミを使って洗脳騒動を引き起こし、TOSHIをレムリアから引き離そうとした、というのがTOSHIの主張です。

でもこれについては、正否を論じるまでもなく、法律的に問題がありますから、当然社会の規範に則って罰するべきは罰すればいい話ですよね。ファンサイドから見たら、それが事実か否かって問題はあるにせよ、それ以上は突っ込みようのない問題だったりします。背任横領の事実が本当なら罰せられるべきだわなぁとしか言いようがない。そういうわけで、この件については、TOSHIにとっては大問題だったと思いますが、テレビのこちら側でファンがどうこう言える話ではありませんでした。事実かどうかだってわかるわけがないし。

むしろファンサイドから見ると、経理問題と強く繋がっているけれども、その結果TOSHIが家族と断絶してしまったというほうが大きな問題に見えました。ご家族に関するTOSHIの発言はかなり目を疑うものが多かったです。次兄氏に関しては、犯罪だとまで言ってましたから、言うまでもありませんけど、実は発言の対象は次兄氏だけではありませんでした。

「自分はずっと虐待されていた」「貧しい家庭に育った」などなど、それまでに聞いたこともない話が多出しました。それまでのTOSHIと言えば、Xのメンバーのなかでもっともご家族との話が出てきてましたし、私など、いちばんご家族と仲のいい人だと思っていたぐらいです。次兄氏はあまり知りませんでしたが、長兄のでやけん氏なんかはよくラジオなどで一緒でしたし。確かハワイとかで兄弟三人でゴルフに行ったとか話してたこともあったような。

そういう人に、突然「ずっと虐待されていた」なんて言われても、唖然とするしかありません。これがもっとも「は?」と思った部分だったかもしれません。もちろん事実は家庭内のことだし、はたからわかるものではないわけですが、とりあえず断絶してしまったことは確かです。「基本的に、今の僕の家族は香なんです」という発言もあったし。ま、そりゃそうなんだけどさ〜(笑)。

ムズカシイ……。

この件についてはとても難しい問題をはらんでいると思います。繰り返しますが、TOSHIが意図的な嘘をついていたとは思わないので、TOSHIは「虐待されていたのだ」と本気で思っているのでしょう。「貧しい家庭に育った」っていうのは…うーん?至ってフツーのご家庭だったように見えてましたが…。それに、当時は総中流家庭時代なのではないですか? 実際には中流でなくとも、中流の意識を持っている人がものすごく多かった時代だと思うし、また昔のTOSHIの話からはそういう雰囲気をすごく感じていましたが。ま、これについては、とにかく事実を知りませんので、断定はできません。

さて、「虐待」なんですけど。これももちろん事実はわかりません。これこそもっともわからないものだと思います。とりあえずTOSHI本人は「幼少時から大人になってまでもずっと虐待され、いじめられ、搾取され続けてきても、何も言えない兄弟、親子、家族としては誠に不条理な関係を、表向きには体裁のよい、理想的な家族のふりをして、ずっと演技し続けてきた私自身もいけなかったのかも知れません。」とか言ってて、本当にひどい目にあってきたように見えるわけですが。じゃあ、具体的に何をされたのかってことですよね。これが本当なら、「理想的な家族のふりをして」いた彼に、私もすかっとだまされていたことになるわけですが(笑)。

基本的に、TOSHIはいまでも簡単に「自分は虐待されていたんです」とか言ってしまうんですけど、なにを虐待と呼ぶかなんです。TOSHI自身、詳しく説明をすると、「いらない子だと思っていた」「捨てられると思っていた」「そういう恐怖がずっとあった」ということになって…正直言って誰でもあるような状況なのではないのかなぁと(^^;;。まぁ、「心身ともに暴力を受けて」と言う発言もあって、この辺の「暴力」をどう読むかってのもポイントかなとも思うんですが、男三兄弟ですからねぇ…。たまたま先日「hideDAYS」という本が出版されまして、松本裕士氏(hideちゃんの弟)のインタビューが載ってるんですけど、それを読むと、兄貴としてのhideちゃんもけっこうひどいもんです。「オレのものはオレのもの、おまえのものはオレのものって人ですからね」とか弟氏は言ってます(笑)。兄弟喧嘩でhideちゃんに木刀でぼかーんと顔を殴られたとかって話も出てます(笑)。

なにが普通かなんてわかりはしないので、兄貴がどういう人でこういう暴力があったのかはわかりゃしませんが、ま、男兄弟ならそういうこともありえるだろうなぁという気はするんですね。とゆーわけで、現実に暴力もあったかもしれんと。でもって、裕士氏はそれで兄貴に「虐待だ」と訴えることはなかったが、TOSHIは「虐待だ」と思ったと。そこは人それぞれだと思うんですよ。何がのちのちまでひきずる心の傷になるかなんて、わかりはしないですから。

ただ、TOSHIの話で非常に気になるのは、それが普通ではなく正しくもないし、自分は虐待されていたから、自分の家族は間違っていたと断定しちゃっているような口ぶりなんですよね。TOSHIの話だと、次兄氏なんかは虐待する鬼みたいな人になってしまいます(^^;;。そんなことはなかろうよ、と思うわけです。確かにTOSHIは心身ともに暴力を受けて傷ついたのかもしれない。それは人それぞれだからその通りなんでしょうけど、そうやっていちばん最初に引用したような「ずっと虐待され、いじめられ、搾取され続けて」なんて、公の場で言いまくるっていうのはどうなんでしょうか? さっきの言葉だけ見たら、いったいどんなひどい家庭に育ったんだ、どんなひどい家族なんだってなっちゃいますよね。もちろん本当にひどい親、ひどい家族って場合もあるでしょうけど…正直TOSHIの説明で感じるのは、TOSHIにとってはトラウマだったのだろうし、TOSHIの心にとっては虐待だったのだろうなぁという話です。でもって、そういうのは、どこの家庭でもどんな人でもあるていどあることだと思うんですよ。

TOSHIの傷そのものは否定しません。TOSHIの言いたいことはわかるんですよ。そこで虐待という言葉を使ってしまう辺りが、かなりセミナーに毒されている感じはしつつも(^^;;、気持ちそのものはわかります。でも、それを客観視する目があまりにも欠けていないでしょうか。どこの誰が、そんな正しい子育てをできると思っているのか? どこの兄貴が、弟いじめ(=TOSHI言うところの虐待)なんかしやしないと思っているのか?(あ、倉渕氏ですか(笑)…って冗談はさておいて) とにかくあまりにも近視眼的ではないかと。また、それを聴いた人がどう思うか、そういう話をずっと全国で言い回されている当のご家族の立場とゆーものは…?とか、そういう観点も抜け落ちてますよね。

ともあれ、TOSHIの心の傷に関しては了解しています。納得もします。彼が言う恐怖心はすごくよくわかります。でも、その理由としての「僕はずっと虐待されていたんですね」は、問題があると思う。

ところで、今気付きました。「どこの誰が、そんな正しい子育てをできると思っているのか?」って書きましたが、正しい子育てができるようになるために、みんなで「自然界の子」になろうって言っているのね、レムリアは(^^;;

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TOSHIについて4「マインドコントロール。」

[TOSHI関連雑記] 2003.07.15(Tue)

報道では「洗脳」という言葉が使われましたし、私も洗脳報道と書いてきました。でも、固有名詞として「洗脳報道」「洗脳騒動」と呼んでますが、実際には、この問題は洗脳ではなくて、全面的に「マインドコントロール」の問題だと思います。

洗脳とマインドコントロールの違いは、詳しくはわかりませんけど、いちばん単純に言ってしまうと、洗脳は暴力的手段などを使い、圧倒的に個人の思想、感情を制限する、マインドコントロールはソフトに自然に個人の思想、感情をコントロールする…って感じなのかなぁと。だから、洗脳は完全に犯罪ですけど、マインドコントロールは程度問題かな…と思ったり。どうかな(^^;;。ま、とりあえず、TOSHIは確かに洗脳は受けていないと思います。レムリアに監禁やら虐待やらを受けたとはまったく思わないので。とゆーわけで、この場合は「TOSHIはマインドコントロールをされているのか?」ってことで話をすすめます。

GRACE時のTOSHI

TOSHIの問題で誤解されがちなのが、「TOSHIが突然変わってしまった」という言葉。98年時、さんざんあちこちで言われました。そして、TOSHIはずっと反対してきました。「自分の考えは急に変わったわけではない、徐々にそうなっていっただけだし、レムリアや倉渕氏に出会ったことはひとつのきっかけ」というわけです。

私は、この発言には同意です。私はTOSHIソロもX本体と同レベルに追いかけてきましたし、実際に雑誌やラジオなど表に出てくる数はTOSHIがいちばん多く、メンバーのなかでももっともよく見てきた人だったので、彼の発言はけっこう知っていると思います。そして、TOSHIの97年以降の発言というのは、Xの彼しか知らないと「ん?」って思うかもしれませんが、継続的に見ていくと、そんなに方向性がとんでもなく変わってしまったってことはないと思うんです。方向性としては、TOSHIの言うとおり、あるていど継続した流れがあったと見ています。

だから、彼の発言を取り上げて「TOSHIが変わってしまった」っていうのは、ちと微妙かなと。確かにそれまでになかったことを言い出すってのはあったにせよ(ご家族の話などがいい例)、思考自体はGRACE時にすでに言っていたことをさらに発展させたものだったかもしれないなと思っています。

そのように書くと「じゃあGRACEのころからマインドコントロールされていておかしかったのか?」という疑問が出てくると思うのですが。そうではないのです。GRACEレコーディング時、TOSHIはレムリアにはまだ会ってません。まぁ、香夫人には出会っていますし、彼女の影響は受けていたとは思いますが、影響を受けるのとマインドコントロールじゃ大きく違います。個人が個人に影響を与えたり、影響を受けたりするのは、普通のことでしょう。

私がそういう思想の萌芽と感じる代表例はやっぱり「Beautiful Harmony」ですけど、当時のTOSHIのライブでのMCやラジオ、そういうところでの発言でも、感じていたことです。ただ、そういう萌芽が見えるからといって当時の彼の発想が悪いとは思えないのです。それは彼の考え方であって、Xとはもちろん違ったけれど、それはそれで好きだったわけですしね。単にひとつの考え方でしょう。

そして、その萌芽の見えていたGRACEがその前のTOSHIソロと断絶しているかというと、そんなこともありません。GRACEは私たちが普段ラジオやインタビュー、ライブのMC等で見てきたTOSHIの素に近く感じました。むしろ音楽ではないところで言ってきたことを、曲として表現できるようになったんだなぁと感じましたから…全然違和感はなかったわけです。紹介で書きましたが、GRACEのリリース時は「ソロのスタイルがいったん完成した」と思っていたわけですから、違和感がなかったどころか集大成と見ていたぐらいです。

このGRACEを見ると、方向性として彼はそういう思想に行く素地を、もともと持っていた人だったんじゃないかと。そういうわけで、思想的には継続した流れがあったと思うのです。ついでに言うと、少なくともその方向性自体は、私にとって忌むべきものではなかったんですよね。

問題の97年時

さて、内容的に完全にレムリアの思想の影響下にあると思われる「碧い地球の旅人」リリース、同じくレムリアの影響下にある香夫人との結婚、X脱退、と大きな動きのあった97年時ですが、この時期に関しては判断するのが難しいです。TOSHIの発言内容に関して言えば、アルバムからして完全に影響下にあるよなぁと思わざるをえないと思うんです。

でも、一応私はこの段階ではまだ「マインドコントロール」は受けていないと考えています。TOSHI本人の様子がそこまで異様ではないという、とっても個人的な主観による判断ですけど(^^;;。

例を挙げますと、THE LAST LIVEでの、TOSHIのMCなんですが。言っている内容は、レムリアどっぷりであるのは確かです。最後のMC「何者にもならなくていい、そのままのおまえたちがXそのものです」辺りは、すでに98年以降にTOSHIが主張している内容と同じです。でも、内容は別に間違っているわけじゃないですよね? これはこれで一つの考え方だと思います。で、TOSHIはこれをけっこう気を使って言っていると思うんですよ。YOSHIKIがこのとき、なにを言い出すか「警戒して」TOSHIのそばまで来てます。それにTOSHIは気付いています。で、「続けてもいいか?」とYOSHIKIの様子をうかがっていると思うんです。そして、続けてもいいらしいと確認してMCを続けてるんです。

それがなんだと思うかもしれないけど、この「様子をうかがっている」のがポイントです。そうやっていつも他の人の顔色をうかがっているのがTOSHI本人はいやでつらくてしょうがなかったんだと思いますが、でも「他の人の顔色」を視野から追い払って自分の(倉渕氏の、ですけど)主張だけを声高に訴えるようになったのが98年以降のTOSHIです。

このLAST LIVEのMCの様子を見る限り、この時期のTOSHIは彼自身の思考、判断、というのを持っていたと思うし(だからこそ、YOSHIKIの様子をうかがっているのでしょう)、それなら「マインドコントロールは受けていない」と言ってもいいのではないでしょうか。ただ、思想的に著しくレムリアの影響を受けていた状態ではないかと。

とは言うものの、実際にはすでにそうとうやばかったのだろうなとも思ってるんですが(^^;; それは同じくYOSHIKIのインタビューにあった「警戒して」なんですけどね。フツーいくら解散ライブだったからってボーカルのMCに関して「変なこと言い出したら、マイクを切れ」ってスタッフに命じませんよね(笑)。YOSHIKIはその理由をはっきりとは述べてませんが、まぁやっぱりTOSHIが変な宗教らしきものにかぶれているんじゃないかと疑っていたがゆえの警戒かな〜と…(^^;;。とゆーよりもそれ以外にありえない気が…(^^;;。

続いて98年前半ですが。テレビで見る限り、特に不安は感じていませんでした。でも葉加瀬太郎氏とのコラボレートアルバム「壊れた世界でカナリヤは歌う」のTOSHI作詞の曲には「………だ、大丈夫なのか?(^^;;」ととっても心配になってしまいました。これはマインドコントロール不安ではなくて宗教かぶれの不安でもなくて、TOSHIがものすごくものすごくくらーくネガティブになっているように見えたからです。

今になって思うと、おそらくこの時期受けていたであろうセミナーの影響なんでしょうね。単純に考えてこの時期にはセミナー受けまくっているでしょうから、前述した「自己否定を繰り返す」セミナーを受け続けていて、それが曲にも反映しているんでしょう。つまり、マインドコントロールを受けていく途中過程、かもしれません。ただ、贔屓目かもしれませんけど、この時期はまだしも決定的ではなかったように感じています。この時期ならまだ戻れたかもしれないと思うんですよね。自己否定を誘導されているにしても、それでも、ひたすら自分と向き合って自分の頭で考えまくっている時期だったと思うからです。だから、カナリヤは決して悪いアルバムだとは思わないんですよ。TOSHIの悲鳴のような歌詞は聴いててすっごい痛いしツライけど、とても切実です。そしてリアルです。でも…すでにレムリアの誘導するルートに乗せられていたのは確かでしょうけども。

98年7月…変でした。

これは、現在の感想ではありません。当時、私はTOSHIがレムリアだのって団体に関わっていることをまったく知りませんでした。裏事情も全然追求する気がなかったひとだし、そもそも情報網もなかったので、そういうウワサすら聞いたことがなかったのです。でも、98年7月のミュージックフェアやスタジオパーク出演の辺りは、リアルタイムで見ながら、「…………???(^^;;;;;」と感じたのをよく覚えています。

さっきからずっとそうですが、これは客観的な事実があるわけではなく私の個人的な印象なので、とても根拠薄弱だと思います。でも、やっぱり自分が事実を知らぬままに感じたイメージは強力で。個人的には、この時点で明確にマインドコントロールを受けている状態なのではないかと感じます。

なぜマインドコントロールと感じるか。

私が個人的にTOSHIに違和感を感じたのが上記98年7月の一連のテレビ出演です。続いて9月の洗脳報道でのテレビ出演を見て、決定的に「これはおかしい」と感じたわけですけど、それを「マインドコントロールだ」と認識している理由を書いてみます。

個人的な印象ばかりが続いて申し訳ないですが、7月におかしいと思ったのは「TOSHIの言っている内容がよく理解できなくなった」ことが主な理由です。何度も書いてきたことですけど、それまでと言っている内容自体に大きな断絶があったとは思っていません。にもかかわらず、TOSHIの発言が、いまいち理解できなくなってしまったのです。これは私にとってはかなり唐突なことでした。また目つきや表情などにも違和感を持っていたと思います。

98年9月の騒動時のテレビ出演ではその違和感は明確になります。TOSHIは人の話を聞かないようになっていました。いちばん最初に見た「ワイドスクランブル」のホテルの一室でのインタビューVTR時、TOSHIはかなり冷静に話していました。それでも、インタビュアーの質問に対して、論点をちょっとずらして答えたり、自分の言いたいことだけ言ったり、どこか歯車が噛み合わない印象でした。生出演時に至っては、インタビュアーの言葉を遮って無理やり自分の主張を言う、まったく質問と違うことを答える、と、過去のTOSHIからは想像しにくい姿でした。

いちばんつらかったのは、いままでどれだけ不安でも本人の言葉を聞けば納得できたし安心できたのに、このときはTOSHI本人の言葉がもっとも理解できなかったことです。むしろインタビュアーの言葉のほうが理解できてしまう。TOSHIの言葉がこちらに伝わってこない。通じない。言っている内容が理解できないわけではないのです(いや、「大自然の子ら」とか意味わからない言葉もあったけど)。それを言っているTOSHIが、全然こちらに伝わってこないという印象でした。

生出演時の、人の言葉を遮ってなにを言われても同じ言葉を声高に繰り返すTOSHIは、大マジで、いちばんぶいぶい言わせていた頃のオウムの上佑氏を思い起こさせました。明らかに同じ精神状態にあるように見えました。特徴としては、人の話を聞かない、聞いているようにみせても微妙に論点をずらして答える、それで通らないと声高に同じ主張を繰り返す、結局同じ理論に固執して他の視点からの質問や批判は聞かない、考えない、っていうところでしょうか。

ポイントは、その言っている内容が正しいか否かではなくて、この時期のTOSHIが他のひとの話を聞かなくなっていた、他の視点からの話を受け付けなくなっていたという点だと思います。だから、私はTOSHIはマインドコントロール下にあると思うのです。

「TOSHIが変わってしまった」というとき、TOSHIが変なことを言っていると批判されている場合が多いと思います。でも、個人的には、思想は自由だと思いますし、彼はやっぱりもともとそういう指向性を持っていたように思うんですよ。だから、彼の言っている主張自体には猛烈に反対というのはありません。もともと、私はアーティストの思想にはさほど興味がありませんし。人それぞれだと思っています。思想を規制されるいわれはないでしょうし。

問題は、彼が他のひとの声をまったく耳に入れようとしなくなってしまったことだと思うのです。TOSHIが変わったとしたら、そこです。この時期テレビ出演をしていたTOSHIは、ものすごく視野がせまくなっているように見えました。他のひとのことなど目に入っていないようでした。それはやっぱりどこかおかしい状態だと思うし、私には明らかにマインドコントロールによる異常な状態であったと思えます。

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TOSHIについて5「結論(仮)」

[TOSHI関連雑記] 2003.07.16(Wed)

まだまだ揺れている部分もあり、明確な結論はあまりないのですが、私の当面のファンとしてのスタンス、感想をまとめて仮の結論にしたいと思います。

思想には直接反対はしてません。

現在のTOSHIの思想は、YOSHIKIに代表されるXの主張とは対極にあります。Xは非常に上昇志向の強いバンドで、努力してできないことはないという主張を持っているバンドです。現在のTOSHIはそういう上昇志向の上というのはなんなのか?というところから否定しています。つまり社会のヒエラルキーの存在自体に反対しているんですよね。これはある意味でものすごく反社会的な発想で、実はXよりもはるかに過激ですが…(笑)。

まぁ反社会的云々はさておき。TOSHIがいま発信している最大のメッセージは「何者にもならなくていい、そのままありのままで生きていこう」ということです。

そういうわけで、XとTOSHIは確かにまったく対極のことを言ってますが、どちらも間違いとかではないと思うのです。別にTOSHIの言っていることだって(反社会的なところまで行ってしまっている部分は困りますけど)、一応個人的に言う分には決しておかしなことではないですよね。やはり最終的には「そういう考え方もあるよね」としか言えないと思います。一方的にこちらが正しくこちらが間違いというような話ではありません。そこから先は個々の考えに従って、えっくすの思想、あるいはTOSHIの思想に、批判するなり同調するなりすればいいと思います。私のスタンスは、X、TOSHIどちらに対しても「そういう考え方もあるよね」です。なので、現在のTOSHIの思想、主張そのものを否定する気持ちはありません。

マインドコントロールを受け入れてしまったこと。

では、私がTOSHIのなにに抵抗を感じているのか。それは彼が「マインドコントロールを受け入れてしまったのだ」と感じたことに尽きると思います。私にとっては、この点がもっともつらかったし、納得しがたかった部分です。TOSHIファンであった私があれほどに激怒してしまった理由は、おそらくこれが90%以上を占めています。いくらTOSHIが自分の意思だと言おうとも、現在のTOSHIを認めている人たちが庇おうとも、私の目にはマインドコントロールを受けているとしか見えません。主張がどれほど正しくても、共感できるものであっても、TOSHIがこの状態である限りは私は納得できないでしょう。

98年時のTOSHIは、見ている世界が違いました。マインドコントロールによって、非常に視野を狭められた状態で、世界を見ているようでした。倉渕氏というフィルターを通して世界を見ているように思えました。もっと言うと倉渕氏の世界に引きこもって、それ以外を見ることを拒否しているようでした。

だからファンであった私は、TOSHIがとっても遠くに行ってしまったように感じたし、帰ってきて欲しいと願ったのです。ワイドショーなどで「帰ってきて」と言っていた多くのファンも、そういう意味で言っていたんじゃないかなと思います。TOSHIにはその願いは「Xに(=Xの思想に)帰ってきて欲しい」と受け取られて強く拒絶されましたが。あのころ、これは本当に言いたかったです。「そういう意味じゃない!なんでわからないの」って。ただ、視野を回復して欲しかった、そのうえでTOSHIの気持ちを歌ってほしかった、語ってほしかった、表現してほしかっただけです。それを聴きたいと願っていただけです。それはやはり帰還です。どうか、帰ってきてほしいと思っていたし、いまも思っています。

視野を回復した結果、「ありのままで生きていこう」というメッセージが届いたなら、私は嬉しくそのメッセージを受け取ると思います。…引きこもったままのTOSHIには伝わりませんけどね…(笑)。本当に、Xに帰って来いなんて言ってないんだよ。ボーカルマシンに戻れなんて言ってない。ただ、そこから出てきてと願っているだけなんだけどなぁ…。

それもTOSHI。

上記の「TOSHIがこの状態である限り、私は納得できない」というのは本音です。現に私はTOSHIファンに戻れていません。でも、同時に思うことがあります。98年当時は私もそうとう逆上したので、当時からこう言えたわけではないのですが。少なくともファンである私には言えなかったのですけども(ファンと言う立場を捨てれば、言えたんだけどさ)。いまはこうも思っています。

マインドコントロールを受け入れてしまった、それもまたTOSHIなんですよね。

TOSHIが弱い部分を持っている人であるっていうのは、前からわかっていたことです。そういう甘えた部分も含めてTOSHIです。今回も要するにその延長だと思います。レムリアにあっさり傾倒してはまってしまうどうしようもないところも、やっぱりTOSHIなんですよね〜。そして、そういう人間的に弱い部分っていうのがGRACEで私がとっても好きだーと思った姿にも繋がっていくわけで。表裏一体なんですよね。長所でもあり短所でもある。それが今回、サイアクにタチの悪い形で出てきてしまったってだけで。

だから、私はマインドコントロール下にあるように見えるTOSHIの歌を受け入れることはできないのですが(TOSHIソロファンとしては、TOSHIの魂の歌であるとどうしても認めがたい)、やっぱりTOSHIというひとを私のなかで切り捨てることはできない。人間が全部がらっと変わってしまったわけではないんですよ。それは感じています。端々にTOSHIだなぁと思う言葉もあるんです。でも、ダメだこりゃって思う部分もある。

ダメだこりゃと思うところを「でもTOSHIだからいい!間違ってない」とは、私にはとても言えません。ダメなものはダメでしょう。かと言って「こんなヤツだったのか!」と切り捨てることもできない。考えてみたら、あのひとは昔からやたらと素直で、ひとの影響を受けやすく、ついでに頑固者だったんだもの。

結局、私はXでもTOSHIソロでも、表現に見える思想とか主張とかではなくて、表現からみえてくるそのひとの姿が好きだったんだと思います。YOSHIKIも然りですが。私はすごくYOSHIKIに影響を受けていると思うけど、もともとの性格がまったく違うので、決して彼の言っていることすべてに賛成というわけではありません。でも、別に主張に賛成でなくても、関係なく、好きなもんは好きなんですよ。

TOSHIも同じことです。私が見始めた頃から、すでにTOSHIは少しずつYOSHIKIとは別の主張を始めていました。YOSHIKIの主張に同意するなら、TOSHIには同意できない部分があったはずです。でも、実際には、私には私の主張があって、どちらにせよ、共感できるところもあればそうでないところもあって。最初からすべて賛成なんてありえなかった。でも、同意共感できないところがあっても、それを歌うTOSHIっていうひとが好きだったんです。いま、私がTOSHIソロを追いかける気にならないのは、歌の向こうにTOSHIの姿が見えないからです。歌の向こうに倉渕氏の姿が見えても、嬉しくもなんともないのです(笑)。私が現在のTOSHIから離れている理由は、実際にはそれだけなんだと思います。

正しいとか正しくないとか、言葉として話すとそういう部分ばかりがクローズアップされてしまって、自分の気持ちを見失うような気がします。洗脳騒動に関して正しくないことはいっぱいあると思う。でも、正しくても正しくなくても、好きだって思う気持ちは別にあると感じるんです。TOSHIが間違っているから、弱いひとだから、正しくないから。そういう理由で好きでなくなるのは難しい。

もちろん、正しくないことは正しくない。いままで大量に書き連ねてきたように、TOSHIの現状はさまざまな問題が山積みです。レムリアという団体の問題、自己啓発セミナーの問題、未成年のファンを巻き込んでしまうかもしれない社会的な責任、ご家族との断絶。どの問題も批判せざるをえない状況が続いているように思います。私も「こりゃどーよ?」と思うことは山のようにある。でも、だからって嫌いになれるわけじゃない。

TOSHIを好きであることは変わりありません。いまTOSHIを追いかけていないのは、その好きなTOSHIを歌の向こうに見ることが難しいと感じているからです。少なくとも「君はいないか」の向こうに「TOSHI」を見ることが、私にはできなかった。多分それだけです。TOSHIが倉渕氏の思想の世界から抜け出して、自分の歌(作詞ぐらいはしてくれると嬉しい)を歌えるようになったなら、それが10年後であっても、私はTOSHIのファンとして彼が歌う場に舞い戻るでしょう。

ねがい

基本的にひとの人生ですからね。赤の他人の私がぐしゃぐしゃいえることではないんで、もしもTOSHIがこのままレムリアにどっぷりつかったまま人生を過ごしていったとしても、私には基本的には口出しできません。加害者としての顔を持ってしまっているとしたら、それはもう社会的に許されることではありませんが…そうでない限り、ただのファンが口出しできるようなことでもないでしょう。人それぞれですからね…。TOSHIが本当にそれでいいと思っているなら仕方ないよね…。

でも、口出しできないとは思うけど、TOSHIファンとしての希望はあります。どうしたってあります。

いつかTOSHIファンとして、彼の歌う姿を憂いなく見れること。

いま、なにか希望の切れ端があるわけでもなくて、事態はほとんど変わらないまま、すでに5年ぐらい過ぎましたけど(笑)。もしかしたら状況は悪化しているのかもしれないけど。でも絶望してるわけでもない。

いつか、そういう日がくるといいよね、と、気長に願っています。

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