Under the Sun

Category/TOSHI関連雑記

TOSHIについて・index

2003.06.08(Sun)

何度も書こうとしては玉砕してきた「TOSHIについて」。今度こそはと思ってますが、どうなることか。

TOSHIの現状について一言で言いますと、Xやその周辺から完全に決別し、倉渕雅也(MASAYA)氏主催のレムリアという団体(現在はホーム・オブ・ハートと改名しているらしい)に身を寄せています。そしてそのレムリアに身を寄せた経緯がマスコミで取り上げられ、かなりの騒動を引き起こしました。あれから5年が経ちますが、現在も報道されたときと状況はほとんど変わっていません。

私のファンとしての動向は、98年報道時、激しく動揺しました。あまりにも動揺したので、一時TOSHIからは離れておこうと決意、そのまま現在にいたっています。一応、緊急対処のつもりだったんですが、そのまま5年が過ぎちゃいましたね…。もうここまで来たら5年だろうが10年だろうがなんだろうが、構いやしませんが(笑)。

ここで書こうと思っている内容は、私が思うTOSHIについてのすべてです。いまだ未整理のところもあるし、自己矛盾も多々あるけど、思うことがものすごく大量にあるので、一応自分なりにまとめておきたいなと思っています。

いまとなっては98年以前のTOSHIソロを知っていた人も減ってきているであろうし、いまさら聴こうという人も少ないでしょう。また騒動自体もレムリアもあまり知らんとゆー方もいらっしゃると思いますので、推測混じりの説明(わからないことも多いのです)もしつつ、話を進めていこうと思います。結果的に事実に対しての、私の認識を明らかにすることにもなるだろうし。そんなわけで、ものすごく長いです。ごめんなさい。

この文章を書くに当たり、一応調べはしましたが、誤りも多くあるかもしれません(私の記憶ははっきり言って何の役にも立たないし)。事実誤認などありましたら、ぜひ教えてくださいませ。それから、98年時のことを調べる際に、「WhitePoem(リンクページ参照)」様のなかにある、一連のTOSHI関係のスレッド、及び、98年当時のTOSHIのマスコミ露出の際のインタビューなどを総括したページを、特に参考にさせていただきました。

TOSHIとToshiの表記は特にわけていません。それから、レムリアは上記の通りホーム・オブ・ハートと改名しているようですが、ややこしいし、いつ変わったのかわからないので、一貫してレムリアで記述しています。

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TOSHIについて1「TOSHIソロの大雑把な紹介」

2003.06.09(Mon)

昨今ではすっかり「洗脳された人」というパブリックイメージで固まってしまい、それ以前のTOSHIソロとゆーのはほとんど知られていないのではないかと思います。別に過去のTOSHIソロを聞くべしなどとは思いませんが、原点ではあります。ここを飛ばすと98年以降の現状に関してもわかりにくいと思うので、とりあえず大雑把に彼の98年までのソロ活動を整理してみます。

また私は一応ソロデビューから1998年まで彼のソロ活動を継続的に見てきました。関東近郊のライブはだいたい行っているし、インタビューなどもずっと読んでいました。なので、流れとして感じるところもあります。その辺の私感なども付け加えてみます。

ソロデビュー〜1stアルバム「made in HEAVEN」

92年TOSHIのソロデビューを皮切りに、Xのメンバー全員がソロをはじめていくわけですが、言い出したのはYOSHIKIだったという話です。「全員がソロでばらばらにひとり立ちして、かつバンドをやっていくというスタイルがいいんじゃないか」と(実際YOSHIKIのソロ活動ってXが忙しすぎて全然形にならなかったけど、契約自体は早かった)。で、彼はボーカリストだという単純な話でひとり立ちしやすいですから、92年から即座にソロが始まってます。ちなみにデビュー曲である「made in HEAVEN」のシングルはhideちゃんがギターソロを弾いてますね。

そして92年11月には早々とデビューアルバム「made in HEAVEN」がリリース。このアルバムでの、髪を下ろしていかにもJ-POP(場合によっては歌謡曲ちっく)な歌ものを歌い上げるというTOSHIソロのスタイルは、Xファンには仰天だったはずです。が、個人的にはまだはまって一年足らずだったのでナチュラルに受け入れてました。「ほぉ。こういうものなのね」とすごくナチュラルに(笑)。アルバムでは「Somebody loves you」でPATAちゃんが参加してます。THE ALFEEの坂崎幸之助さんもいますね。

内容的にはとにかく、アコースティックから、R&Bから、アメリカンロック、果ては歌謡曲かいなってとこ(「Stranger in my love」なんかは92年当時でもすでに近藤マッチか西城秀樹かと思うぐらいに古臭かった)まで、何でもかんでもぶちこんであったという印象です。作曲作詞も、多少TOSHIも手がけていますが、基本的には外注。とゆーわけで「ボーカリストTOSHIがいろいろ歌ってみました」というのがこのアルバムでしょう。私は「Welcome to my destiny」という曲が好きでした。久しぶりに聞いてもいちばん覚えていたのはこの曲でしたね。作詞作曲ともに外注ですけど、いいですよね。このタイトルが妙にTOSHIらしいし。<「Voiceless Screaming」の歌詞参照。

個人的な印象ですが。真っ先に活動をはじめたこと、その後もずっと活動を恒常的に続けていたこと、最終的にXを脱退していることなどから、TOSHIはXのなかではすごくソロに積極的だった印象が強いのですが、とっかかり自体は成り行きだったのではないかと推測しています。理由は、まず上記の通りソロの話はそもそもYOSHIKI発案だったらしいこと。91年以前に私が知る限りではソロ活動を考えているらしい雰囲気はないこと。そして最大の理由。この92年ごろのTOSHIソロは、「Xでできないこと」という以外の明確なヴィジョンがなかったような気がするからです。

「made in HEAVEN」の音の傾向は「歌もの」。そして、それ以外の傾向が見つけられないぐらい、とっ散らかってます。それにhideちゃんやPATAちゃん、坂崎幸之助氏をゲストミュージシャンとして呼んでいたり、基本的な発想が「お祭り」なんですよね。普段できないことをやるぞって言う。てなわけで、とっかかりは継続的な活動としては考えていなかったんだろうと思うのです。まぁそこまで深く考えてなかっただけだという気もしますけど(笑)。

音的にかなりバラエティに富んだこのアルバムの共通項は、「Xではやらない曲」それに尽きています。もともとなにか作りたいことがあって始めたのではなく、まず「ソロをやる」ことが決定していて、じゃあなにをやろう、普段できないことをやろう、っていう発想ですよね。自作曲が少ないのもその辺の所以かなと。なにを書くのか、自分でもいまいち方向性が決まってなかったんじゃないでしょうか。

93年2月にNKホールで行われた初ソロライブも、二日ともHIDEちゃんPATAちゃんHEATHが登場するというサービスっぷり。さらには一日目には坂崎幸之助氏、二日目には福山雅治氏もやってきました。これも、お祭りでしたね。

ソロ一歩目としての「Looming」からハムレットまで

「made in HEAVEN」後の動きですが。NIGHT HAWKSの青木秀一氏との出会いがあって、93年5月には「Looming」というシングルがリリースされました。TOSHIは作詞を手がけてますが、個人的にはこれがTOSHIのソロとしては第一歩だったのではないかと考えています。お祭りノリから踏み出して、彼が表現したい、伝えたいことを形にした、最初のソロ曲だったのではないかと(ちなみにVoiceless Screamingはソロではないけど、TOSHIのなかでは同じ流れの曲だと思いますが)。

「確かめたいのさ 望んだものだけを信じ 求め続けた 日々の意味を」なんてあたりがすごくTOSHIらしいというか、ナマの言葉だなと思うのですよね。そういうナマの言葉を歌詞として出してきたって意味で、TOSHIソロの流れのなかでは大きな意味のある曲だと思います。

ちなみにこの曲のラストの「紅の色が褪せ始めた この丘降りよう 戸惑いと切なさ置いて」は当時ファンの間でも話題になったようですね。私は周辺にファンがいなかったのでウワサは聞いてませんでしたが、一読した瞬間にやっぱり「……これってさあ」と思ってはいました(笑)。「えっ、紅の丘降りちゃうのかい」っていう(笑)。いまでも私はそういう意味を含ませていると考えています。でも、そういう意味を含ませてあったとしても、やっぱりこの曲はTOSHIの思いが、よく出ていてすごくいい曲だと思います。実はそれまではTOSHIソロはあんまりピンと来る曲がなかったのですが、「Looming」でソロ大好きになりました。ま、そういうことで私自身にとっての始まりの曲だから、第一歩と感じるのかもしれないですが…。

で、第一歩を踏み出したかと思ったら、その後なんかシングルを連発し、あげく、ROCK OPERA「HAMLET」の主人公ハムレットまでこなすTOSHI(笑)。当時はかなり面食らいましたね(笑)。

まずシングルリリースについて。93年5月に「Looming」、9月に「PARADISE」、12月に「Always」と「My Treasure」がリリースになってます。PARADISEはとんがりコーンのCMソングとしてお茶の間に流れまくり、多分TOSHIソロでいちばんヒットしたんじゃないかな。それからMy TreasureはポッカコーヒーのCMソングでした。しかもTOSHIの絵がCMに出ていて、その絵がちょっと怖かった記憶(^^;;。多分タイアップをがんがん取っちゃって、その締め切りに追われていてこういう状況になっていたんじゃないかなと推測しています。

それから93年11月ごろにROCK OPERA「HAMLET」の公演がありました。主演です。金髪サングラスのハムレット。出演者を見てもローリー寺西にデーモン小暮、山本リンダなど、どうにもこうにも色物企画だったわけですけど。TOSHIはステージ上をローラースケートで滑ったりしてました(笑)。実は、この話がきたとき、最初はHIDEちゃんが反対したんですよね。Xの活動をかなりお休みすることになるし。でも、結局YOSHIKIが「いいよ」と了解して出演が決定したんです。でもってHIDEちゃんはちゃんと中野サンプラザに見に行ったという(笑)。あと、YOSHIKIが出演者の顔合わせの際にいきなり、あたかも保護者のように現れたという話もありましたよね(笑)。あと、一応。オフィーリアはオーディションで選ばれた女性でした。このオフィーリア香さんが、のちのTOSHI夫人です。

「Looming」路線を進めた2ndアルバム「MISSION」

93年のシングルリリースラッシュのあと、94年6月に2ndアルバム「MISSION」がリリースされました。1stがJ-POPや歌謡曲方面だったし、93年のシングルもいかにもCMソングなポップな曲が続いていたので、いったいどうなるのかなぁと思っていたら、いきなりハードロック方面に進みました(めちゃ意外でしたが)。でも、ハードロックといってもXとは全然方向が違って、アメリカンな感じです。

このアルバムについて、私が思うこと。まず、いちばんヒットしたであろうPARADISEを含むシングル曲が入っていないこと、MISSIONというタイトル、先行シングルが「Bless You」だったこと、この辺から推測するに、この時期のTOSHIはわりとシリアス方面に行っていたように思います。シングルラッシュなどいろいろ周辺の状況、レコード会社の動きなどがあったにせよ、TOSHIソロ自体としてはLoomingの流れを継続しており、かなりシリアスに言いたい、伝えたいことがあったのではないかと思います。Loomingで、自分の気持ちをナマの言葉で表現する場としてのソロを始めて、それを推し進めていったアルバムだと。

作詞が増えたのもその傾向のひとつでしょう。次のGRACEに比べるとまだ多少YOSHIKI詞の言い回しの影響は残っている気がしますが、言いたいことはほぼ定まってきていて、無理が減ってきている気がします。むしろ無理を感じるのが、「Rusty Eyes」や「CHASE OF TIME」とかのハード系の歌詞(笑)。「こういう語彙自体があんまりTOSHIの中にはなかったのではないか」という印象で、MISSIONはハードロックアルバムと言われていますが、逆に私としてはそのハードロック曲のほうこそに無理を感じてましたね。当時。

個人的にMoonstoneという曲が大好きだったのですけど、この歌詞の「想いは遥か 消えそうになっても あなたの夢 かならず 叶うように祈る」って、「祈っちゃうあたりがTOSHIだよなぁ」(笑)と思って、大好きでしたね。この辺が多分TOSHIの素の言葉で、素の感覚ですよね。このアルバムはそーゆー素のTOSHIが端々に見えるところが好きでした。

TOSHIのスタイルがいったん完成した「GRACE」

「MISSION」から一年も経たずにリリースされた3rdアルバム。またがらりと方向が変わって、ハードロックのハの字もなく、どちらかというとアコースティック中心の音作り。作詞はすべてTOSHI、作曲も半分弱手がけています。

このアルバムについては、個人的にもとっても思い入れが大きいのですが、TOSHIソロのなかでひとつの到達点であり、かつ分岐点にもなった重要なアルバムであると考えています。

MISSIONからあまり時間が経っていないにも関わらず、言葉の選び方が明確に変わっています。実はかなりスケジュールに追いまくられて慌てて作ったアルバムらしいのですが、それが逆に気負いを忘れることに繋がって、TOSHIの普段思っていることがストレートに出てきたような気がします。それまでは歌詞なんだから、ロック的な言い回し、歌詞っぽい言い回しをしないとという感じで、かなり言葉を選んでいたのが、このアルバムで突然彼がフツーにMCやラジオで使っていた言葉を使ってくるようになった印象です。

私は、Loomingのときから、彼が自分のなかの「ナマの言葉」「素の言葉」を歌い上げるときにこそ、「TOSHIソロ、いいよなあ…(;;)」としんみりしてきた人ですから、これは本当大歓迎でしたね。なにを歌うのかよくわからないまま作った1st、端々にTOSHIソロのスタイルが見え始めたもののまだ無理が仄見える2ndときて、3rdでようやく気負いなくナマの言葉を歌ったと。そういうわけで、個人的にはこのGRACEはTOSHIソロの傑作で、デビューから進んできたTOSHIソロのひとつの到達点、と思っているのです。今もって、このアルバムは大好きです。

ちなみにこの時期のTOSHIは、いろんなことを信じることができていた時期だったような気がします。もともと根本的には素直な彼のこと、当時は普段からそんなネガティブ方面に突っ走ることはなかったけれど、この時期は特に信じるところに向かって、はじけてるなぁと(笑)。

「きっと 何かいい事が 起こってしまう自由を 君をそっと抱くように深く感じて」「深い悩みさえ そこからの贈り物」「苦しみのなかでもがき嘆き続けていても 太陽が朝を運ぶように 信じ始めたなら You can find your dreams」「君が存在してる事を 愛し始めたなら you can find your love」などなど。恥ずかしいぐらいに(笑)素直な言葉ですよね〜。

なかでも「Beautiful Harmony」はここまで言ったかというぐらい、はじけてます。「愛する言葉は愛だけ伝える」「希望の言葉は 希望を伝える あなたが「絶望」と言うなら…」「届けよ あいつのもとへ 響けよ 宇宙までも」てな感じで。ここまで言っちゃってたのです。でも、ここまで言ってしまうTOSHIに本当に感動していたのですよ、私(笑)。

この時期、TOSHIはもちろん、苦しみを「ない」とは言いませんでしたが(ここで取り上げていないだけで、歌詞でももちろん苦しみや迷いにたくさん言及してます)、それを乗り越えて行こうという意思表明がこのアルバムでした。と、私は思っています。乗り越えていこう、乗り越えていけるよ、という彼の素直な気持ちがそのまま出ている曲たちだったと思います。

私とかは、そうそう乗り越えていこうと言われてひょこっと信じることができる人じゃないですが、でも、そう歌うTOSHIはとても素敵に見えました。彼のメッセージが正しいとか正しくないとかそういうことではないんですよ。それが真実かとか、そんなのも関係ないんです。ただ、私は「届けよ あいつのもとへ」と歌うTOSHIという人が、その彼の姿が、とっても好きだったんです。そういうことなんです。

分岐点としての「GRACE」

これだけお気に入りで今もって大好きなGRACEなので、分岐点だったと考えるのは、個人的にとほーな気分ではあるんですが。でも、実際私の目にそう見えているのだから、書かないわけにもいかない…ってことで書きます(笑)。

この時期のTOSHIがある種のメッセージ性を強めていたことは、前段で引用の歌詞からもうかがえると思います。もっともメッセージ性が強いのは、やはり「Beautiful Harmony」ですね。私はこの曲のTOSHIがすごく好きです。これは私としては「引いてしまうライン」前の曲だったので、かまわなかったんです。が、その先に「引いてしまうライン」が見えたことは事実です。つまりこの曲はオーケーだったけれど、この思想を推し進めていくと、私も引かざるをえない危険な域に入りかねない気配は漂っていたと(笑)。

私はTOSHIの思想に惚れていたのではなくて、TOSHIという人が見える表現そのもの(…ってことはつまりTOSHIという人自体…?)が好きだったので、私とは相容れない思想が彼の表現の中にあっても別に全然困りはしなかったです。とゆーか、GRACEは大好きだったわけだから、困るどころじゃなかったんです(笑)。まぁ突き進んだなぁとは思ってましたが。でもこの辺は根本的にTOSHIを信用してまして、究極のところではバランス感覚が働くであろうと……楽観していたんですよねぇ…(^^;;。

話がまとまりませんが。つまり、GRACEでは、すでにその種の思想に行くかもしれない萌芽は見えていたわけです。そして、私自身当時すでにそう感じていたんですよね。ただ、GRACEの段階では、そういう考え方もあるというレベルに留まっていると思います。この段階に留まっていたならば、単なるひとつの考え方に過ぎないし、問題はない、と私は考えています。結果的に現状がこうだから「95年からすでにTOSHIはおかしかったのだ」と言われてしまうかもしれないけど…。

4th Album「碧い地球の旅人」

前作から2年近く空いてリリースされた4枚目「碧い地球の旅人」。この間はXのDAHLIAがリリースされてますので、おそらくXのボーカル録りでまとまったソロ活動をできる状態ではなかったんでしょうね。その間、川田龍平氏と親しくなり、一緒に本を出したり(ゲストで川田氏が来たこともあったね)、マスコミで交流が伝えられたり、そういうボランティアやチャリティーといった活動にかなり接近していました。

音的には「GRACE」が素朴なアコースティック中心の音作りだったのをさらに推し進めた…というよりも一部強調したというべきでしょうか。ヒーリング音楽にとても接近しました。接近というかそのままかも(笑)。GRACEとは印象がかなり違います。曲タイトルを見ただけでもいわゆる普通のポップソング(TOSHIはわりと一般的なラブソングを普通に歌ってきた人ですので)から大きく離れたことがわかります。「さまよえる地球人」「HANA〜いのちの芽ばえ〜」「ガイアの祈り」とかね。

前段で述べたとおり、GRACEの一部からある種の思想に行くことも可能だなぁとは感じていたのですが、まさか本当にどストレートにヒーリング音楽に突き進むとは思いもしなかった私。GRACEの先に見えていた道のなかでもあまり可能性が高くないと見ていた方向に進んでしまった感じでした。それで、「ああ…そっちに行っちゃったのかあ…」と。でも、まだこの辺でも私は全然楽観的で、「ああ、かぶれちゃったのね」と思ってました。一時的なものと認識していたわけですね。

アルバムとしては、個人的にTOSHIソロで好きだったのはどんな姿であれTOSHIという人の姿そのものが歌として表れるところでしたから、ヒーリング音楽で地球だの宇宙だのという方向に進むことはあまり嬉しくありませんでした。もっとナマの彼の姿を見たい人だったので。正直、リアルに感じませんでしたし。なので、私的にはこのアルバムは評価が下がるんです。でも、まだ先を期待していたので別段失望とかはありませんでした。前回だってGRACEに辿り着くまで3枚かかってるんだから、今回も3枚待ったらこなれてきていいものができるんじゃないかなぁとなんとなく思っていたものです。

ですが、このアルバムに関しては当時は知らなかった事実があります。まず、TOSHIは当時香さんと付き合っていて彼女が深く内容にも関わっていること(表面的には別名で作詞に参加。でも影響は当然それだけではなかったでしょうね)。彼女がもともと倉渕氏に深く傾倒していたこと。TOSHIもセミナーはまだ受けていなかったけれど、CDや香さんを通じてすでに傾倒していたのではないかと思われること。

結果的にはこれがリリースされて1ヵ月後に香さんと結婚、3ヵ月後にはXを脱退することになります。

その後。

X解散後、98年4月に葉加瀬太郎氏とコラボレーションアルバム「壊れた世界でカナリヤは歌う」がリリースされました。先行シングルの「Natural High」が元気な曲だったし、葉加瀬氏とのコラボレーションも楽しそうにやっていたので、そういう方向なのかなと思っていたら、TOSHI作詞の曲はおそろしく内省的なものでした。

半分ぐらい作曲作詞してますけど、音的には葉加瀬氏が主導のアルバムなので(プロデュースも葉加瀬氏)、音楽的にはTOSHIソロの流れに入れるのはちょっと違うかなと思います。ただ、このアルバムでの内省的なTOSHIの歌詞は、当時の彼をすごくよく表していると思います。聴いてて本気でつらいけど(^^;;。彼の悲鳴のようなアルバムですよね…。

そして、カナリヤ以降、私はもうまともに聞いておりません。「君はいないか」だけはテレビとかで見ましたが、一曲だけでは音的にどうなったかはちょっと不明。とりあえずTOSHI自作の楽曲(作詞含め)がなくなったとは聞いています。

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TOSHIについて2「洗脳騒動の経緯。」

2003.06.15(Sun)

1998年9月、雑誌及びテレビで、TOSHIの洗脳報道がされました。ワイドショーなどでもトップ項目に近い扱いで連日取り上げられ、わりとマスコミに近かったX関係の過去の騒動の中でも、一二を争う規模だったと言えると思います…とほー。

ここでは洗脳報道の経緯、それから、その報道のなかで出てきたTOSHIとレムリアアイランドレコード(倉渕氏)との関わりについて、書いておこうと思います。わからないことも多いので、推測混じりです。

実を言うと洗脳騒動前後の肝心な時期の記録が、私の手元にはほとんど残ってないんです。「君はいないか」リリース時にNHKの「世界悠々」でTOSHIがイングランドを旅したんですけど、この番組は6時間ぐらいあって気が遠くなりながらも一生懸命編集をした記憶があるのに、この番組のビデオも残ってないし。どこ行っちゃったの。って多分腹立てたときに捨てちゃったんでしょうが…(^^;;。同時期のミュージックフェアとかは残してあるんですけど。

「碧い地球の旅人」〜洗脳騒動に至るまで。

簡単な当時の流れを書きます。

  • 97.01.22 アルバム「碧い地球の旅人」リリース
  • 97.02.14 香さんと入籍
  • 97.09.22 X解散発表
  • 97.11.21 シングル「NATURAL HIGH」リリース(葉加瀬太郎氏とのコラボレーション)
  • 97.12.31 X LAST LIVE
  • 98.04.01 シングル「さようなら/幻の少年」リリース(同コラボレーション)
  • 98.04.22 アルバム「壊れた世界でカナリヤは歌う」リリース(同コラボレーション)
  • 98.06.24 移籍に伴うベストアルバムリリース
  • 98.07.23 シングル「君はいないか」リリース(MASAYA氏の手による曲)
  • 98.09 洗脳騒動勃発

細かいことはすっ飛ばしてますけど。

洗脳報道

この報道の記録は手元にはひとつも残っていません。当時リアルタイムで見ていて腹を立てて「ふざけるなー!!」とビデオを捨てたことを覚えているので、残っていないと断言できます(^^;;。そういうわけで確認ができないのですが、怪しい記憶を頼りに書いてみます。

報道の発端は週刊誌の記事だったようです。TOSHIがレムリアアイランドとかいう団体にマインドコントロールされている、広告塔になっている、という内容の記事が出ました。でも、私自身はこの記事を見たのかよくわかりません。騒動初期に一冊雑誌を読んだ記憶はあるんですが、それはワイドショーのほうで報道されたあとのことです。でも、ワイドショーで最初に見たときに一応状況を把握していた記憶なので、セミナーがどうのという大雑把な内容は知っていたと思います。知っていて、なおかつ、たいして気にしていませんでした。全然マスコミを信用してなかったんで(笑)。

ちなみに私が報道に接した最初の明確な記憶は、「ワイドスクランブル」。TOSHI夫妻が二人でホテルの一室にてインタビューを受けたものです。VTRが流されました。この番組の詳細は全然わからないのですが。ただ、私は、このワイドスクランブルが、洗脳報道に関して初めてTOSHIが出てきた番組だったと認識しています(日付が不明なので、本当かわかりませんけど)。この段階ではまだ怒ってはいなかったんですが、かなりの不安を覚えました。「何を言っているのかよくわかんない」と感じました。マスコミが変なネタを出してきても本人の言葉を聞けば納得できるというのが常なのに、このときは逆にTOSHI本人のインタビューで不安になってしまったのです。

続いての記憶はその翌日だったと思われる「ザ・ワイド」。TOSHI一人の生出演でした。そしてこれが私にとっては致命的な番組でした。「TOSHIが変だ!」「こんなの見てられない、聞いてられない!」となって、番組途中にビデオ録画をぶった切りました。そして同日、バイトに行こうとしたら事務所からの葉書(TOSHIの次兄英二氏が出したもので、あとでTOSHIが「勝手に出した」と怒っていたもの)が届いていて、バイト先で怒りのあまり涙ぐみそうになりながらレジを打っていた(^^;;と記憶してます。で、この葉書が9/11付けなので、「ザ・ワイド」がおそらく9/12か9/13のことだったのだと思います。

正直言って、雑誌だけなら、本来タレントではなくミュージシャンで、ワイドショーネタとしては大きくはないTOSHIですから、ここまでの騒動にはならなかったし、世間に知られることもなかったと思います。ワイドショーというのは映像がなければなかなか大きくは扱いませんから、TOSHIが出演しなければまずテレビでこんなに大きく長々と取り上げられることもなかったと思います(一週間以上出続けていた)。この時期はちょうど貴乃花の洗脳報道もあって一緒に取り上げられていたんですが、確か最初は貴乃花のほうが全然ネタとしては大きかったんですよね。が、TOSHI本人がワイドショーに出演を始めたこと、個人の問題だった貴乃花の件よりも、企業、団体が関わっているTOSHIのほうが洗脳問題としては社会的な問題が大きかったことなどから、どんどんTOSHIの問題の方が大きく取り上げられるようになりました。

レムリアとの接近の経緯

一応、報道とTOSHI発言から判明する、TOSHIとレムリアとの関係を書いてみようと思います。ただし、なにが本当でなにが嘘であるのかなにが間違いなのか、推測で判断せざるをえない点もとても多く、断言できる事実は少ないです。推測混じりであることをご了解くださいませ。

まずTOSHIが説明している倉渕氏とのかかわりですが。TOSHIが彼を知ったのは、95年に彼のCDを偶然聞いたとき。CD屋で自分で買ったそうです。それから時間が流れて、97年6月ごろ、屋久島の倉渕氏プロデュースのコテージとやらに宿泊して彼と対面。97年8月、コンサートに行って、9月下旬(解散会見よりあと)初めてセミナー参加…ということになってます。基本的に、TOSHIが意図的な嘘をついているとは思わない(本人も思い込んでいる嘘とかはあるかもしれないが…)ので、これはそのまま受け取っていいと思っています。

この言い分を事実だとすると、時系列は、

  • 97年4月 X脱退
  • 97年6月 倉渕氏と対面
  • 97年9月 X解散発表
  • 97年9月 セミナー参加

となって、Xを脱退したこととレムリア傾倒は無関係ということになります。実際TOSHIは関係がないと言ってます。

ただ、実際問題、97年1月にリリースされた「碧い地球の旅人」はすでにそういう宗教色というか、レムリアが主張しているような内容を色濃く持っています。私が見る限り、この時点で実際に倉渕氏には会ってなくともセミナーは受けてなくとも、思想的にはそうとう影響を受けていたと思います。また、夫人…って当時は夫人ではありませんが、彼女がもともとレムリアに傾倒してました。そして「碧い地球の旅人」には彼女も参加しているよう(TOSHIじゃない作詞の人がそうですよね?)ですし、発売の翌月、97年2月に入籍してますので…やっぱり思想的な影響はこの時点でかなり大きかったんじゃないかと推測。

それから、注釈。この前のGRACEは、レコーディング時期が94年なので、レムリア自体は知らないはずだと思います。ただ私の見る限り、その後レムリアに傾倒していく思想の萌芽はあるとは思います。逆に言うと、もともとそういう思想を自ら持っていた人ではあったのだ…とも言えますが。この辺についてはまた別項にて詳しく書きます。

ちなみに報道時TOSHIはレムリアの所属アーティストではありませんでした。TOSHIはデビューのときからずっとBMGビクター所属だったのですが、98年6月に契約が切れて、テイチクと契約しました。98年7月の倉渕氏作詞作曲の「君はいないか」は、テイチクからのリリースです。報道時のインタビューでTOSHIはよく「自分はレムリアに入らせてほしいと言ったが、断られた」「だから広告塔として利用されているということはない」というようなことを言ってました。ところがその後、この騒動のためにテイチクから契約を切られてしまい、結局レムリアに身を寄せることになります。その後、99年3月からだったかな?「詩旅」という、ツアーというか、CD売り歩きの旅…というか…なんなんですかね、あれ?(笑) まぁ、そういうものが始まりまして、それから3年間ずっとTOSHIは全国を歌い歩いています…んだと思います…(直接知らないので、語尾が怪しい…(^^;;)。うちの地元にも一度来ましたね。私は結局行きませんでしたが〜……。

TOSHIの事務所及び家族の問題

レムリアにはまってしまったことがマスコミに取り上げられている横で、事務所問題、及びご家族との問題ってのも生じてました。

この洗脳騒動がややこしかったのは、マスコミ側がレムリアアイランドレコードという企業の「自己啓発セミナー」や「宗教性」を問題としており、TOSHIが洗脳されているという論点で取り上げていたのに対して、TOSHI側が「これはTOSHI事務所社長である、兄の陰謀だ」と、事務所の問題及び家族の問題で反論していたという点です。まったく別のふたつの問題が入り乱れてしまっているわけですね。なので、マスコミがレムリアのセミナーなどについて問い詰めても、TOSHI側は兄が自分をコントロールするためにマスコミを仕掛けてきた、兄の陰謀だ、という話をしたいわけで、言いたいことがそもそもずれているわけです。

マスコミ報道としては

  • TOSHIと夫人の電話の会話を載せ、この異常な会話はレムリアのセミナーを受けて、マインドコントロールを受けているものだと報道。
  • TOSHIはセミナーに多額なお金をつぎ込んでいる。消費者金融などに借金をしてまで、レムリアにつぎ込んでいる。
  • レムリアの広告塔として、勧誘をしている。

てな感じでした。この手の宗教関係の報道としてはスタンダードな報道スタンスで、とてもわかりやすい構図ですね。

ところがそれに反論するTOSHIの主張は。

  • マインドコントロールは受けていない。自分の考えでこうしている。
  • TOSHI事務所社長である次兄が、自分が言いなりにならないので、マスコミを使ってこの話を流した。
  • 次兄は使い込みをしていた。裁判で訴えるつもり。
  • 自宅に盗聴器が仕掛けられていた。それをマスコミに流された(次兄の仕業であると考えている口ぶり)。
  • 自分の給料が3ヶ月未払い。痩せたのはそのせい。

ほかにも「昔から兄は僕をいいようにコントロールしようとしてきた」って内容の話が多出してますが、この時期の話に絞るとこんな感じだと思います。

ま、全体のTOSHIの主張としては、この洗脳騒動自体が次兄が自らの「背任横領と不正経理」を秘匿するためにマスコミに仕掛けた陰謀、ということになるわけです。TOSHIは週刊誌で自分の通帳やらまで証拠として出しました。結局訴えたのかなー。訴えるといきまいていたのは覚えているんですけど。でも翌年99年3月ごろに「和解」ってのも覚えているので、やっぱり訴えたのかもしれません〜。<ご存知の方、教えてください。ちなみにこの辺の事実関係については、闇の中です。テレビのこちら側でわかるようなことでもありませんし。

騒動についての私感

当時のこの状況をかんがみて、現在の私の思うところですが。

まず、レムリアの問題と、TOSHIのご家族間の関係(特に次兄との関係)の問題を切り離すべきですよね。もしもTOSHIの言うとおり、もともとこの騒動の発端が次兄氏であったとしても…次兄氏がレムリアがこれほどにマスコミに叩かれるように仕掛けてきたのだとしても、ファン側から見ると問題は変わらないです。この時期のTOSHIサイドはそれがわかってないと思います。

そりゃ盗聴をしていたことは問題でしょう。それはもちろん罪に問われるべきことでしょう。もしも本当にTOSHIが言うとおり、背任横領やら不正経理やらがあったならば、それもまた法律に照らしてしかるべき処置が必要でしょう。それはそうすればいいと思います。

でも、この場合、マスコミなりファンなりが首をひねっていたのは、TOSHIが自らを「アゴ」とか呼んでたり、倉渕氏が彼を「アゴ」と呼んだりする状況ってフツウじゃないんだけど、いったいどうしちゃったの?って疑問だったわけです。それに対して「盗聴だ、犯罪だ、陰謀だ」と答えられても、困ってしまうわけです。だって、陰謀っつーたって、アゴと呼んでたりするのは、事実なわけでしょ?と(本人ら、これは認めてました)

とゆーことで、いくらインタビューしても話が食い違っててろくに進展がなかったわけなんですけど、TOSHI側からすれば、実際レムリアに傾倒していく原因としても、まさにその兄との確執、家族との関係、というのが大きいものだから、そこを話さざるをえない。それで二つの問題がこんがらがってしまっているわけです。冷静に話を聞ける状態になかった当時の私が、状況をまったく把握できなかったのも納得できます(笑)。当時は本当なにがなんだか…って思ってましたからね〜。

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TOSHIについて3「いくつかの問題。」

2003.07.14(Mon)

98年当時、TOSHIを巡る状況は、いくつかの問題が複雑に絡み合っていたと思います。それぞれに別問題だと思いますので、ひとつひとつとりあげてみたいと思います。

レムリアという団体の持つ社会的な問題

マスコミでターゲットになった最大の問題点です。当時、まだオウムの記憶が鮮明で、自己啓発セミナーや宗教というものに世間的に抵抗が強かったのもあって、「カルト」かもしれないレムリアという団体自体の持つ問題がありました。

実際、倉渕氏は過去に「空中浮遊はある。私は見た」だとか「2000年に90%の人類が死にます」だとか、かなりカルトに近い発言があった人で、当時の取材の記録を見ても、穏健な自己啓発セミナーを開催しているようには見えません。ただこの時期、ちょうど倉渕氏本人が変化した時期だったようで、それ以前には終末思想のような過激なセミナー内容だったが当時はかなりおとなしくなっていたという話もあるので、TOSHIが受けていたものはこういう内容ではなかったようです。いまも「自然界の子」「自然に生きよう」てな感じの教えが基本的な路線だと思います。まぁ、その流れでときどきとっても「反社会的」と言っていい観念が飛び出すことはありますが…。

あとやはり自己啓発セミナーとかにありがちな社会的な問題があります。セミナーを受けた人が、家族と断絶してしまった、家を飛び出してしまった、お金を持ち出してつぎ込んでしまった、自殺未遂をした、というような話ですね。また、TOSHIのファンに倉渕氏のCDやポストカードを売ったり(倉渕氏のCDを買うと握手がしてもらえるとか)、倉渕氏のライブへのお誘い、レムリアの浄水器(…???)を売ったり、レムリアのTOSHIのファン対象の商売っ気というのは明確にあるような。レムリアの主張として「金儲けは醜い、そういう社会から離れてみんな自然界の子として生きるべきだ」ってな主張があるだけに、「んじゃーなんで、おのれらは浄水器を売ってんだ? なんでライブ一本に何万も取るんだ?」という疑問が生じるのはやむをえないかと。そしてこれが商売っ気ではなく、本当の意味での勧誘なんだとしたらそれはそれで前述の問題に繋がっていってしまいますしね。

最近はレムリアがカルトだという話はあまり聞かないですし、反社会的な団体とまでは思いたくありませんが、そうでなくともやはりはまってしまった人の金銭的な被害や家族とのトラブルなどの問題は大きいという話は見かけます。どこまでを被害者と考えればよいのかも私にはよくわかりませんが、そういった状況に陥ってしまった人(あるいはその家族)にとってはTOSHIはすでに加害者になりつつある…という状況も起きつつあるようです。あくまでネットの情報で私では事実は確認できませんが、そういう状況があってもおかしくはないとは思います。そして、これが、おそらく社会的な意味での最も大きな問題点なのでしょう。TOSHIだけのことではなく、カルトや自己啓発セミナー全体のもつ根本的な問題だとも思います。

マインドコントロール

当時、TOSHIが受けていたセミナーの内容が、ちょこっとはマスコミに出ているわけですが、手法的にはやっぱりマインドコントロールをかける手法に限りなく近いと思います。ていうかそのままなのでは?

いちばん有名なものが、参加者を罵倒し続けるというやり方ですね。TOSHIはこれを受けて、号泣しただのって話が出てます。彼の「バケモノアゴ男」だの「貧民」だの「金儲けに走る、醜いバケモノになってしまった」(書き写してるだけで泣けてきそうだ…)だのって発言は、このセミナーで受ける罵倒から出てきたものだと思います。そういう内容のセミナーを受けたことを、TOSHIは認めていますし(話ずれるけど、この辺からもTOSHIが事実関係での自覚的な嘘をついていないことは認めていいんじゃないかな、なんて。このセミナーを受けたって認めること自体、レムリアにとってはものすごく不都合であるはずですからね)。そしてTOSHI本人は「洗脳されていない」と言ってますが、洗脳とマインドコントロールは大きく違うようですけど、TOSHIとしてはもちろんマインドコントロールも受けていないと言うと思います(笑)。でもこればっかりは本人の言は全然当てにならないわけで。

ちょっと話が戻って、前段の社会的な問題ですが…問題が大きすぎるため、判断しかねる部分ではあるのです。個人的には、終末思想等で煽っていたころのセミナーに関しては、危険だと言わざるをえないと思います。でも、現在のセミナーはそこまでの過激さはないようですし、もっと内省的な内容になっているようです。で、そうなってくると、こういうセミナーの良し悪しってなかなか判断つかないものがあるんですよね。で、かなりいいかげんな判断になってしまうのですが、個人的には人様に迷惑をかけず、法律的に違反をしていないのなら、脇からごちゃごちゃ言うこともないかなと思ったりするのです。その手のセミナーすべてを否定はできないと思いますし。お金むしりとられたり家族と断絶してしまったりというのは問題でしょうけど…でも、その辺はやっぱり自己責任の範疇かなぁとも思うのです。そこのライン引きは難しいですよね。やっぱり。

ただ、TOSHIファンが商売の対象になるってところで、未成年や若い人が多いですから、その部分でTOSHIには社会的な責任があるだろう、っていう話もあります。そういったセミナーの広告塔としてTOSHIが活動することの是非ですね(本人は広告塔ではないと言っていますけどね。でも、これは客観的な事実として、事実上広告塔と同じ役割を果たしているわけですから、広告塔と言われてもしかたないんじゃないですか)。これは、私は正直判断しかねています。有名人としての義務だとか責任だとか言われるわけですけど、それに対してTOSHIが反発する気持ちはわからなくはないんですよね〜。

あと、「自然界の子」とか「金儲けに走るバケモノになるな」とか言っておきながら、おのれはなんで浄水器を売るんだ〜、ライブで万単位の金をとるんだ〜、どうしてCDを買った人と買わない人で、差をつけるんだ〜、等々、彼らの矛盾に対する疑問はとってもあります(笑)。ありますけど、矛盾がない論理なんかありゃしないでしょうから、それで「インチキだ」「レムリアは悪い団体だ」というのもまた極端であろうと思います。ただ、まぁ、それを教義として伝えているような状態ですから、そこで「綺麗事言ってるけど、おのれらは実践できてるのかよ。まずおのれがやれよ」と思うのはもちろん勝手だと思います。私はそう思ってますし(笑)。

ただし。いままでの話全部の大前提として、これって要はレムリアに接した人の判断力が正常な状態での話なわけですね。「自己責任の範疇」だと思うから、レムリアを危険な団体とは考えてないわけです。したがって、セミナーの形態が明確にマインドコントロールの手法であるとなると、話が全然違います。まず、判断力を奪ってから、上記のような状態に陥れるセミナーであるならば、やはりそれは問題でしょう。まして、そこにまだ判断力の十分に養われていない未成年などを引き入れるのは十分に問題があるでしょう。

そういうわけで、そんなところに行かないのがいちばんですが、やはりこの団体のやり方(少なくとも当時のやり方。現在のセミナーがどうなっているかは不明)はかなり問題があったのではないですか? 現在もこういった手法のセミナーが続いていて被害が出ているという話もあります。それが本当だとしたら「判断力を奪う場にファンを引き入れていくTOSHIは無意識の加害者だ」という意見にも私は納得します。事実がわからないので保留してますけど。

事務所の経理問題と、ご家族の問題

TOSHIが主張していた問題ですね。事務所の経理関係の問題。もともと社長であった次兄氏の問題があって、TOSHIと次兄氏が話し合いを続けていたがまとまらず、実力行使的に次兄氏サイドがマスコミを使って洗脳騒動を引き起こし、TOSHIをレムリアから引き離そうとした、というのがTOSHIの主張です。

でもこれについては、正否を論じるまでもなく、法律的に問題がありますから、当然社会の規範に則って罰するべきは罰すればいい話ですよね。ファンサイドから見たら、それが事実か否かって問題はあるにせよ、それ以上は突っ込みようのない問題だったりします。背任横領の事実が本当なら罰せられるべきだわなぁとしか言いようがない。そういうわけで、この件については、TOSHIにとっては大問題だったと思いますが、テレビのこちら側でファンがどうこう言える話ではありませんでした。事実かどうかだってわかるわけがないし。

むしろファンサイドから見ると、経理問題と強く繋がっているけれども、その結果TOSHIが家族と断絶してしまったというほうが大きな問題に見えました。ご家族に関するTOSHIの発言はかなり目を疑うものが多かったです。次兄氏に関しては、犯罪だとまで言ってましたから、言うまでもありませんけど、実は発言の対象は次兄氏だけではありませんでした。

「自分はずっと虐待されていた」「貧しい家庭に育った」などなど、それまでに聞いたこともない話が多出しました。それまでのTOSHIと言えば、Xのメンバーのなかでもっともご家族との話が出てきてましたし、私など、いちばんご家族と仲のいい人だと思っていたぐらいです。次兄氏はあまり知りませんでしたが、長兄のでやけん氏なんかはよくラジオなどで一緒でしたし。確かハワイとかで兄弟三人でゴルフに行ったとか話してたこともあったような。

そういう人に、突然「ずっと虐待されていた」なんて言われても、唖然とするしかありません。これがもっとも「は?」と思った部分だったかもしれません。もちろん事実は家庭内のことだし、はたからわかるものではないわけですが、とりあえず断絶してしまったことは確かです。「基本的に、今の僕の家族は香なんです」という発言もあったし。ま、そりゃそうなんだけどさ〜(笑)。

ムズカシイ……。

この件についてはとても難しい問題をはらんでいると思います。繰り返しますが、TOSHIが意図的な嘘をついていたとは思わないので、TOSHIは「虐待されていたのだ」と本気で思っているのでしょう。「貧しい家庭に育った」っていうのは…うーん?至ってフツーのご家庭だったように見えてましたが…。それに、当時は総中流家庭時代なのではないですか? 実際には中流でなくとも、中流の意識を持っている人がものすごく多かった時代だと思うし、また昔のTOSHIの話からはそういう雰囲気をすごく感じていましたが。ま、これについては、とにかく事実を知りませんので、断定はできません。

さて、「虐待」なんですけど。これももちろん事実はわかりません。これこそもっともわからないものだと思います。とりあえずTOSHI本人は「幼少時から大人になってまでもずっと虐待され、いじめられ、搾取され続けてきても、何も言えない兄弟、親子、家族としては誠に不条理な関係を、表向きには体裁のよい、理想的な家族のふりをして、ずっと演技し続けてきた私自身もいけなかったのかも知れません。」とか言ってて、本当にひどい目にあってきたように見えるわけですが。じゃあ、具体的に何をされたのかってことですよね。これが本当なら、「理想的な家族のふりをして」いた彼に、私もすかっとだまされていたことになるわけですが(笑)。

基本的に、TOSHIはいまでも簡単に「自分は虐待されていたんです」とか言ってしまうんですけど、なにを虐待と呼ぶかなんです。TOSHI自身、詳しく説明をすると、「いらない子だと思っていた」「捨てられると思っていた」「そういう恐怖がずっとあった」ということになって…正直言って誰でもあるような状況なのではないのかなぁと(^^;;。まぁ、「心身ともに暴力を受けて」と言う発言もあって、この辺の「暴力」をどう読むかってのもポイントかなとも思うんですが、男三兄弟ですからねぇ…。たまたま先日「hideDAYS」という本が出版されまして、松本裕士氏(hideちゃんの弟)のインタビューが載ってるんですけど、それを読むと、兄貴としてのhideちゃんもけっこうひどいもんです。「オレのものはオレのもの、おまえのものはオレのものって人ですからね」とか弟氏は言ってます(笑)。兄弟喧嘩でhideちゃんに木刀でぼかーんと顔を殴られたとかって話も出てます(笑)。

なにが普通かなんてわかりはしないので、兄貴がどういう人でこういう暴力があったのかはわかりゃしませんが、ま、男兄弟ならそういうこともありえるだろうなぁという気はするんですね。とゆーわけで、現実に暴力もあったかもしれんと。でもって、裕士氏はそれで兄貴に「虐待だ」と訴えることはなかったが、TOSHIは「虐待だ」と思ったと。そこは人それぞれだと思うんですよ。何がのちのちまでひきずる心の傷になるかなんて、わかりはしないですから。

ただ、TOSHIの話で非常に気になるのは、それが普通ではなく正しくもないし、自分は虐待されていたから、自分の家族は間違っていたと断定しちゃっているような口ぶりなんですよね。TOSHIの話だと、次兄氏なんかは虐待する鬼みたいな人になってしまいます(^^;;。そんなことはなかろうよ、と思うわけです。確かにTOSHIは心身ともに暴力を受けて傷ついたのかもしれない。それは人それぞれだからその通りなんでしょうけど、そうやっていちばん最初に引用したような「ずっと虐待され、いじめられ、搾取され続けて」なんて、公の場で言いまくるっていうのはどうなんでしょうか? さっきの言葉だけ見たら、いったいどんなひどい家庭に育ったんだ、どんなひどい家族なんだってなっちゃいますよね。もちろん本当にひどい親、ひどい家族って場合もあるでしょうけど…正直TOSHIの説明で感じるのは、TOSHIにとってはトラウマだったのだろうし、TOSHIの心にとっては虐待だったのだろうなぁという話です。でもって、そういうのは、どこの家庭でもどんな人でもあるていどあることだと思うんですよ。

TOSHIの傷そのものは否定しません。TOSHIの言いたいことはわかるんですよ。そこで虐待という言葉を使ってしまう辺りが、かなりセミナーに毒されている感じはしつつも(^^;;、気持ちそのものはわかります。でも、それを客観視する目があまりにも欠けていないでしょうか。どこの誰が、そんな正しい子育てをできると思っているのか? どこの兄貴が、弟いじめ(=TOSHI言うところの虐待)なんかしやしないと思っているのか?(あ、倉渕氏ですか(笑)…って冗談はさておいて) とにかくあまりにも近視眼的ではないかと。また、それを聴いた人がどう思うか、そういう話をずっと全国で言い回されている当のご家族の立場とゆーものは…?とか、そういう観点も抜け落ちてますよね。

ともあれ、TOSHIの心の傷に関しては了解しています。納得もします。彼が言う恐怖心はすごくよくわかります。でも、その理由としての「僕はずっと虐待されていたんですね」は、問題があると思う。

ところで、今気付きました。「どこの誰が、そんな正しい子育てをできると思っているのか?」って書きましたが、正しい子育てができるようになるために、みんなで「自然界の子」になろうって言っているのね、レムリアは(^^;;

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TOSHIについて4「マインドコントロール。」

2003.07.15(Tue)

報道では「洗脳」という言葉が使われましたし、私も洗脳報道と書いてきました。でも、固有名詞として「洗脳報道」「洗脳騒動」と呼んでますが、実際には、この問題は洗脳ではなくて、全面的に「マインドコントロール」の問題だと思います。

洗脳とマインドコントロールの違いは、詳しくはわかりませんけど、いちばん単純に言ってしまうと、洗脳は暴力的手段などを使い、圧倒的に個人の思想、感情を制限する、マインドコントロールはソフトに自然に個人の思想、感情をコントロールする…って感じなのかなぁと。だから、洗脳は完全に犯罪ですけど、マインドコントロールは程度問題かな…と思ったり。どうかな(^^;;。ま、とりあえず、TOSHIは確かに洗脳は受けていないと思います。レムリアに監禁やら虐待やらを受けたとはまったく思わないので。とゆーわけで、この場合は「TOSHIはマインドコントロールをされているのか?」ってことで話をすすめます。

GRACE時のTOSHI

TOSHIの問題で誤解されがちなのが、「TOSHIが突然変わってしまった」という言葉。98年時、さんざんあちこちで言われました。そして、TOSHIはずっと反対してきました。「自分の考えは急に変わったわけではない、徐々にそうなっていっただけだし、レムリアや倉渕氏に出会ったことはひとつのきっかけ」というわけです。

私は、この発言には同意です。私はTOSHIソロもX本体と同レベルに追いかけてきましたし、実際に雑誌やラジオなど表に出てくる数はTOSHIがいちばん多く、メンバーのなかでももっともよく見てきた人だったので、彼の発言はけっこう知っていると思います。そして、TOSHIの97年以降の発言というのは、Xの彼しか知らないと「ん?」って思うかもしれませんが、継続的に見ていくと、そんなに方向性がとんでもなく変わってしまったってことはないと思うんです。方向性としては、TOSHIの言うとおり、あるていど継続した流れがあったと見ています。

だから、彼の発言を取り上げて「TOSHIが変わってしまった」っていうのは、ちと微妙かなと。確かにそれまでになかったことを言い出すってのはあったにせよ(ご家族の話などがいい例)、思考自体はGRACE時にすでに言っていたことをさらに発展させたものだったかもしれないなと思っています。

そのように書くと「じゃあGRACEのころからマインドコントロールされていておかしかったのか?」という疑問が出てくると思うのですが。そうではないのです。GRACEレコーディング時、TOSHIはレムリアにはまだ会ってません。まぁ、香夫人には出会っていますし、彼女の影響は受けていたとは思いますが、影響を受けるのとマインドコントロールじゃ大きく違います。個人が個人に影響を与えたり、影響を受けたりするのは、普通のことでしょう。

私がそういう思想の萌芽と感じる代表例はやっぱり「Beautiful Harmony」ですけど、当時のTOSHIのライブでのMCやラジオ、そういうところでの発言でも、感じていたことです。ただ、そういう萌芽が見えるからといって当時の彼の発想が悪いとは思えないのです。それは彼の考え方であって、Xとはもちろん違ったけれど、それはそれで好きだったわけですしね。単にひとつの考え方でしょう。

そして、その萌芽の見えていたGRACEがその前のTOSHIソロと断絶しているかというと、そんなこともありません。GRACEは私たちが普段ラジオやインタビュー、ライブのMC等で見てきたTOSHIの素に近く感じました。むしろ音楽ではないところで言ってきたことを、曲として表現できるようになったんだなぁと感じましたから…全然違和感はなかったわけです。紹介で書きましたが、GRACEのリリース時は「ソロのスタイルがいったん完成した」と思っていたわけですから、違和感がなかったどころか集大成と見ていたぐらいです。

このGRACEを見ると、方向性として彼はそういう思想に行く素地を、もともと持っていた人だったんじゃないかと。そういうわけで、思想的には継続した流れがあったと思うのです。ついでに言うと、少なくともその方向性自体は、私にとって忌むべきものではなかったんですよね。

問題の97年時

さて、内容的に完全にレムリアの思想の影響下にあると思われる「碧い地球の旅人」リリース、同じくレムリアの影響下にある香夫人との結婚、X脱退、と大きな動きのあった97年時ですが、この時期に関しては判断するのが難しいです。TOSHIの発言内容に関して言えば、アルバムからして完全に影響下にあるよなぁと思わざるをえないと思うんです。

でも、一応私はこの段階ではまだ「マインドコントロール」は受けていないと考えています。TOSHI本人の様子がそこまで異様ではないという、とっても個人的な主観による判断ですけど(^^;;。

例を挙げますと、THE LAST LIVEでの、TOSHIのMCなんですが。言っている内容は、レムリアどっぷりであるのは確かです。最後のMC「何者にもならなくていい、そのままのおまえたちがXそのものです」辺りは、すでに98年以降にTOSHIが主張している内容と同じです。でも、内容は別に間違っているわけじゃないですよね? これはこれで一つの考え方だと思います。で、TOSHIはこれをけっこう気を使って言っていると思うんですよ。YOSHIKIがこのとき、なにを言い出すか「警戒して」TOSHIのそばまで来てます。それにTOSHIは気付いています。で、「続けてもいいか?」とYOSHIKIの様子をうかがっていると思うんです。そして、続けてもいいらしいと確認してMCを続けてるんです。

それがなんだと思うかもしれないけど、この「様子をうかがっている」のがポイントです。そうやっていつも他の人の顔色をうかがっているのがTOSHI本人はいやでつらくてしょうがなかったんだと思いますが、でも「他の人の顔色」を視野から追い払って自分の(倉渕氏の、ですけど)主張だけを声高に訴えるようになったのが98年以降のTOSHIです。

このLAST LIVEのMCの様子を見る限り、この時期のTOSHIは彼自身の思考、判断、というのを持っていたと思うし(だからこそ、YOSHIKIの様子をうかがっているのでしょう)、それなら「マインドコントロールは受けていない」と言ってもいいのではないでしょうか。ただ、思想的に著しくレムリアの影響を受けていた状態ではないかと。

とは言うものの、実際にはすでにそうとうやばかったのだろうなとも思ってるんですが(^^;; それは同じくYOSHIKIのインタビューにあった「警戒して」なんですけどね。フツーいくら解散ライブだったからってボーカルのMCに関して「変なこと言い出したら、マイクを切れ」ってスタッフに命じませんよね(笑)。YOSHIKIはその理由をはっきりとは述べてませんが、まぁやっぱりTOSHIが変な宗教らしきものにかぶれているんじゃないかと疑っていたがゆえの警戒かな〜と…(^^;;。とゆーよりもそれ以外にありえない気が…(^^;;。

続いて98年前半ですが。テレビで見る限り、特に不安は感じていませんでした。でも葉加瀬太郎氏とのコラボレートアルバム「壊れた世界でカナリヤは歌う」のTOSHI作詞の曲には「………だ、大丈夫なのか?(^^;;」ととっても心配になってしまいました。これはマインドコントロール不安ではなくて宗教かぶれの不安でもなくて、TOSHIがものすごくものすごくくらーくネガティブになっているように見えたからです。

今になって思うと、おそらくこの時期受けていたであろうセミナーの影響なんでしょうね。単純に考えてこの時期にはセミナー受けまくっているでしょうから、前述した「自己否定を繰り返す」セミナーを受け続けていて、それが曲にも反映しているんでしょう。つまり、マインドコントロールを受けていく途中過程、かもしれません。ただ、贔屓目かもしれませんけど、この時期はまだしも決定的ではなかったように感じています。この時期ならまだ戻れたかもしれないと思うんですよね。自己否定を誘導されているにしても、それでも、ひたすら自分と向き合って自分の頭で考えまくっている時期だったと思うからです。だから、カナリヤは決して悪いアルバムだとは思わないんですよ。TOSHIの悲鳴のような歌詞は聴いててすっごい痛いしツライけど、とても切実です。そしてリアルです。でも…すでにレムリアの誘導するルートに乗せられていたのは確かでしょうけども。

98年7月…変でした。

これは、現在の感想ではありません。当時、私はTOSHIがレムリアだのって団体に関わっていることをまったく知りませんでした。裏事情も全然追求する気がなかったひとだし、そもそも情報網もなかったので、そういうウワサすら聞いたことがなかったのです。でも、98年7月のミュージックフェアやスタジオパーク出演の辺りは、リアルタイムで見ながら、「…………???(^^;;;;;」と感じたのをよく覚えています。

さっきからずっとそうですが、これは客観的な事実があるわけではなく私の個人的な印象なので、とても根拠薄弱だと思います。でも、やっぱり自分が事実を知らぬままに感じたイメージは強力で。個人的には、この時点で明確にマインドコントロールを受けている状態なのではないかと感じます。

なぜマインドコントロールと感じるか。

私が個人的にTOSHIに違和感を感じたのが上記98年7月の一連のテレビ出演です。続いて9月の洗脳報道でのテレビ出演を見て、決定的に「これはおかしい」と感じたわけですけど、それを「マインドコントロールだ」と認識している理由を書いてみます。

個人的な印象ばかりが続いて申し訳ないですが、7月におかしいと思ったのは「TOSHIの言っている内容がよく理解できなくなった」ことが主な理由です。何度も書いてきたことですけど、それまでと言っている内容自体に大きな断絶があったとは思っていません。にもかかわらず、TOSHIの発言が、いまいち理解できなくなってしまったのです。これは私にとってはかなり唐突なことでした。また目つきや表情などにも違和感を持っていたと思います。

98年9月の騒動時のテレビ出演ではその違和感は明確になります。TOSHIは人の話を聞かないようになっていました。いちばん最初に見た「ワイドスクランブル」のホテルの一室でのインタビューVTR時、TOSHIはかなり冷静に話していました。それでも、インタビュアーの質問に対して、論点をちょっとずらして答えたり、自分の言いたいことだけ言ったり、どこか歯車が噛み合わない印象でした。生出演時に至っては、インタビュアーの言葉を遮って無理やり自分の主張を言う、まったく質問と違うことを答える、と、過去のTOSHIからは想像しにくい姿でした。

いちばんつらかったのは、いままでどれだけ不安でも本人の言葉を聞けば納得できたし安心できたのに、このときはTOSHI本人の言葉がもっとも理解できなかったことです。むしろインタビュアーの言葉のほうが理解できてしまう。TOSHIの言葉がこちらに伝わってこない。通じない。言っている内容が理解できないわけではないのです(いや、「大自然の子ら」とか意味わからない言葉もあったけど)。それを言っているTOSHIが、全然こちらに伝わってこないという印象でした。

生出演時の、人の言葉を遮ってなにを言われても同じ言葉を声高に繰り返すTOSHIは、大マジで、いちばんぶいぶい言わせていた頃のオウムの上佑氏を思い起こさせました。明らかに同じ精神状態にあるように見えました。特徴としては、人の話を聞かない、聞いているようにみせても微妙に論点をずらして答える、それで通らないと声高に同じ主張を繰り返す、結局同じ理論に固執して他の視点からの質問や批判は聞かない、考えない、っていうところでしょうか。

ポイントは、その言っている内容が正しいか否かではなくて、この時期のTOSHIが他のひとの話を聞かなくなっていた、他の視点からの話を受け付けなくなっていたという点だと思います。だから、私はTOSHIはマインドコントロール下にあると思うのです。

「TOSHIが変わってしまった」というとき、TOSHIが変なことを言っていると批判されている場合が多いと思います。でも、個人的には、思想は自由だと思いますし、彼はやっぱりもともとそういう指向性を持っていたように思うんですよ。だから、彼の言っている主張自体には猛烈に反対というのはありません。もともと、私はアーティストの思想にはさほど興味がありませんし。人それぞれだと思っています。思想を規制されるいわれはないでしょうし。

問題は、彼が他のひとの声をまったく耳に入れようとしなくなってしまったことだと思うのです。TOSHIが変わったとしたら、そこです。この時期テレビ出演をしていたTOSHIは、ものすごく視野がせまくなっているように見えました。他のひとのことなど目に入っていないようでした。それはやっぱりどこかおかしい状態だと思うし、私には明らかにマインドコントロールによる異常な状態であったと思えます。

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TOSHIについて5「結論(仮)」

2003.07.16(Wed)

まだまだ揺れている部分もあり、明確な結論はあまりないのですが、私の当面のファンとしてのスタンス、感想をまとめて仮の結論にしたいと思います。

思想には直接反対はしてません。

現在のTOSHIの思想は、YOSHIKIに代表されるXの主張とは対極にあります。Xは非常に上昇志向の強いバンドで、努力してできないことはないという主張を持っているバンドです。現在のTOSHIはそういう上昇志向の上というのはなんなのか?というところから否定しています。つまり社会のヒエラルキーの存在自体に反対しているんですよね。これはある意味でものすごく反社会的な発想で、実はXよりもはるかに過激ですが…(笑)。

まぁ反社会的云々はさておき。TOSHIがいま発信している最大のメッセージは「何者にもならなくていい、そのままありのままで生きていこう」ということです。

そういうわけで、XとTOSHIは確かにまったく対極のことを言ってますが、どちらも間違いとかではないと思うのです。別にTOSHIの言っていることだって(反社会的なところまで行ってしまっている部分は困りますけど)、一応個人的に言う分には決しておかしなことではないですよね。やはり最終的には「そういう考え方もあるよね」としか言えないと思います。一方的にこちらが正しくこちらが間違いというような話ではありません。そこから先は個々の考えに従って、えっくすの思想、あるいはTOSHIの思想に、批判するなり同調するなりすればいいと思います。私のスタンスは、X、TOSHIどちらに対しても「そういう考え方もあるよね」です。なので、現在のTOSHIの思想、主張そのものを否定する気持ちはありません。

マインドコントロールを受け入れてしまったこと。

では、私がTOSHIのなにに抵抗を感じているのか。それは彼が「マインドコントロールを受け入れてしまったのだ」と感じたことに尽きると思います。私にとっては、この点がもっともつらかったし、納得しがたかった部分です。TOSHIファンであった私があれほどに激怒してしまった理由は、おそらくこれが90%以上を占めています。いくらTOSHIが自分の意思だと言おうとも、現在のTOSHIを認めている人たちが庇おうとも、私の目にはマインドコントロールを受けているとしか見えません。主張がどれほど正しくても、共感できるものであっても、TOSHIがこの状態である限りは私は納得できないでしょう。

98年時のTOSHIは、見ている世界が違いました。マインドコントロールによって、非常に視野を狭められた状態で、世界を見ているようでした。倉渕氏というフィルターを通して世界を見ているように思えました。もっと言うと倉渕氏の世界に引きこもって、それ以外を見ることを拒否しているようでした。

だからファンであった私は、TOSHIがとっても遠くに行ってしまったように感じたし、帰ってきて欲しいと願ったのです。ワイドショーなどで「帰ってきて」と言っていた多くのファンも、そういう意味で言っていたんじゃないかなと思います。TOSHIにはその願いは「Xに(=Xの思想に)帰ってきて欲しい」と受け取られて強く拒絶されましたが。あのころ、これは本当に言いたかったです。「そういう意味じゃない!なんでわからないの」って。ただ、視野を回復して欲しかった、そのうえでTOSHIの気持ちを歌ってほしかった、語ってほしかった、表現してほしかっただけです。それを聴きたいと願っていただけです。それはやはり帰還です。どうか、帰ってきてほしいと思っていたし、いまも思っています。

視野を回復した結果、「ありのままで生きていこう」というメッセージが届いたなら、私は嬉しくそのメッセージを受け取ると思います。…引きこもったままのTOSHIには伝わりませんけどね…(笑)。本当に、Xに帰って来いなんて言ってないんだよ。ボーカルマシンに戻れなんて言ってない。ただ、そこから出てきてと願っているだけなんだけどなぁ…。

それもTOSHI。

上記の「TOSHIがこの状態である限り、私は納得できない」というのは本音です。現に私はTOSHIファンに戻れていません。でも、同時に思うことがあります。98年当時は私もそうとう逆上したので、当時からこう言えたわけではないのですが。少なくともファンである私には言えなかったのですけども(ファンと言う立場を捨てれば、言えたんだけどさ)。いまはこうも思っています。

マインドコントロールを受け入れてしまった、それもまたTOSHIなんですよね。

TOSHIが弱い部分を持っている人であるっていうのは、前からわかっていたことです。そういう甘えた部分も含めてTOSHIです。今回も要するにその延長だと思います。レムリアにあっさり傾倒してはまってしまうどうしようもないところも、やっぱりTOSHIなんですよね〜。そして、そういう人間的に弱い部分っていうのがGRACEで私がとっても好きだーと思った姿にも繋がっていくわけで。表裏一体なんですよね。長所でもあり短所でもある。それが今回、サイアクにタチの悪い形で出てきてしまったってだけで。

だから、私はマインドコントロール下にあるように見えるTOSHIの歌を受け入れることはできないのですが(TOSHIソロファンとしては、TOSHIの魂の歌であるとどうしても認めがたい)、やっぱりTOSHIというひとを私のなかで切り捨てることはできない。人間が全部がらっと変わってしまったわけではないんですよ。それは感じています。端々にTOSHIだなぁと思う言葉もあるんです。でも、ダメだこりゃって思う部分もある。

ダメだこりゃと思うところを「でもTOSHIだからいい!間違ってない」とは、私にはとても言えません。ダメなものはダメでしょう。かと言って「こんなヤツだったのか!」と切り捨てることもできない。考えてみたら、あのひとは昔からやたらと素直で、ひとの影響を受けやすく、ついでに頑固者だったんだもの。

結局、私はXでもTOSHIソロでも、表現に見える思想とか主張とかではなくて、表現からみえてくるそのひとの姿が好きだったんだと思います。YOSHIKIも然りですが。私はすごくYOSHIKIに影響を受けていると思うけど、もともとの性格がまったく違うので、決して彼の言っていることすべてに賛成というわけではありません。でも、別に主張に賛成でなくても、関係なく、好きなもんは好きなんですよ。

TOSHIも同じことです。私が見始めた頃から、すでにTOSHIは少しずつYOSHIKIとは別の主張を始めていました。YOSHIKIの主張に同意するなら、TOSHIには同意できない部分があったはずです。でも、実際には、私には私の主張があって、どちらにせよ、共感できるところもあればそうでないところもあって。最初からすべて賛成なんてありえなかった。でも、同意共感できないところがあっても、それを歌うTOSHIっていうひとが好きだったんです。いま、私がTOSHIソロを追いかける気にならないのは、歌の向こうにTOSHIの姿が見えないからです。歌の向こうに倉渕氏の姿が見えても、嬉しくもなんともないのです(笑)。私が現在のTOSHIから離れている理由は、実際にはそれだけなんだと思います。

正しいとか正しくないとか、言葉として話すとそういう部分ばかりがクローズアップされてしまって、自分の気持ちを見失うような気がします。洗脳騒動に関して正しくないことはいっぱいあると思う。でも、正しくても正しくなくても、好きだって思う気持ちは別にあると感じるんです。TOSHIが間違っているから、弱いひとだから、正しくないから。そういう理由で好きでなくなるのは難しい。

もちろん、正しくないことは正しくない。いままで大量に書き連ねてきたように、TOSHIの現状はさまざまな問題が山積みです。レムリアという団体の問題、自己啓発セミナーの問題、未成年のファンを巻き込んでしまうかもしれない社会的な責任、ご家族との断絶。どの問題も批判せざるをえない状況が続いているように思います。私も「こりゃどーよ?」と思うことは山のようにある。でも、だからって嫌いになれるわけじゃない。

TOSHIを好きであることは変わりありません。いまTOSHIを追いかけていないのは、その好きなTOSHIを歌の向こうに見ることが難しいと感じているからです。少なくとも「君はいないか」の向こうに「TOSHI」を見ることが、私にはできなかった。多分それだけです。TOSHIが倉渕氏の思想の世界から抜け出して、自分の歌(作詞ぐらいはしてくれると嬉しい)を歌えるようになったなら、それが10年後であっても、私はTOSHIのファンとして彼が歌う場に舞い戻るでしょう。

ねがい

基本的にひとの人生ですからね。赤の他人の私がぐしゃぐしゃいえることではないんで、もしもTOSHIがこのままレムリアにどっぷりつかったまま人生を過ごしていったとしても、私には基本的には口出しできません。加害者としての顔を持ってしまっているとしたら、それはもう社会的に許されることではありませんが…そうでない限り、ただのファンが口出しできるようなことでもないでしょう。人それぞれですからね…。TOSHIが本当にそれでいいと思っているなら仕方ないよね…。

でも、口出しできないとは思うけど、TOSHIファンとしての希望はあります。どうしたってあります。

いつかTOSHIファンとして、彼の歌う姿を憂いなく見れること。

いま、なにか希望の切れ端があるわけでもなくて、事態はほとんど変わらないまま、すでに5年ぐらい過ぎましたけど(笑)。もしかしたら状況は悪化しているのかもしれないけど。でも絶望してるわけでもない。

いつか、そういう日がくるといいよね、と、気長に願っています。

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HOH報道、第一弾を見て。

2004.04.08(Thu)

イラクの話でニュースが埋め尽くされていたので、いまのいままで気付いていませんでした。なんちゅーこっちゃ。うちのような辺境サイトまでアクセスブレイク。最近アク解も全然見てなかったので、全然気付かなかった。あああ、なんちゅーこっちゃなんちゅーこっちゃ。泣きそう。

しかし、この報道での有様が事実だとしたら…もう「加害者としての顔を持ってしまっており、社会的に許されるものではない」っちゅー、まさにそのサイアクの状態に陥っていると言わざるをえないんじゃ…。あうー。結論(仮)では冷静装ってましたけど、なんかもう、なりふり構わず本音言ってもいいですか。出山ー!もういいかげん帰っておいでよーう!

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HOH報道、続報

2004.04.09(Fri)

イラクの件でワイドショーもかき消されたかと思いましたが、なんかしっかりいたみたいですね(うちのサイトだと、昨日は6時で本日は4時ごろに波到来。なのでいたんだろうなと思う)。しかも本人インタビュー映像が出てたとやら?(事実無根ですとか言っていたらしい) 「日弁連に児童の人権救済の措置を申し入れられた」…というのがどのようなものなのかいまはちょっと調べる元気がないんでよくわかんないですけど、とりあえず児童に学校に通わせず労働をさせていたとか、段ボール箱で育てていたとか、ニュースでそんなこと言ってました。はあ。この状況が本当だとして、身体的虐待はなかった…と言えるのか?

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垂れ流し文章用blogを作る!

2004.04.10(Sat)

とりあえず保護された子どもたちには明確に虐待とわかるような跡はなかったとのことで。それをもってして、身体的虐待はなかったらしいという発言が出てきたんですかね。だがしかし、弁護士さんは、HOHではなくて出山を名誉毀損で訴えることも検討中とかおっしゃってはるようです。子どものこととは別に、元ファンのストーカー行為だとか嫌がらせだとかインタビューで答えたことに対してだそうです。16日までに謝罪がなければ…ということでタイムリミットつき。ていうか、私は何でここで経過を逐一書いているのでしょう? あー、しかも、その女性についてTOSHIは一度文章を発表しておきながら消したようです。その文章をさいわいにも見ましたが、また「用意周到に仕組まれたあくどいものです」か。しかも、この文章の痛いこと痛いこと…。「ダメだこいつ」と思わせる威力200%ぐらい。端的に言いたいこととしては「まーた、そうやって全部人のせいにする!」ってところですね。ちなみに誰のせいかと言いますと、幼少のころから虐待(どういうものを指しているかは知りませんが)をしてきた家族、大人になっても精神的虐待を続け、搾取を続けた家族、そして地位と名誉だけを与えて精神的充足を与えてくれなかったYOSHIKIとX、そしてそのファン、ファンだと言うから会社に入れてやったのに裏切った今回の代表の方…そして、自分のピュアさを認めてくれない社会…そんなとこ。出山にとっては、MASAYA以外の、そういう人たちすべてが悪いんですよね。諸悪の根源なのです。ううぅぅうぅ〜〜…(苦)。

うううーん、出山個人のことを別とすれば、いっそ告訴まで行ってですね(いや、出山の名誉既存問題じゃなくて、本丸のHOHに関してですけど…あ、でも、出山の名誉既存問題でもその名誉毀損を受けている女性のことが明らかになったら結果的にHOHのセミナーの実情が明らかになるのか。彼女がいま言っていることがウソならば出山の言っていることが事実となって名誉毀損ではなくなるし、逆ならば名誉毀損だ)、とりあえず事実が明らかになってくれたほうがよいと思います。客観的にはその展開がいちばんよいと思う。その結果この団体の存在意義がわかるでしょう。もしも、それで犯罪性がまったくないという結論が出たならば、HOHは存続していけばよい。

ただし、超個人的には、Xファンである私は、裁判でその結論が出たからと言ってもなお、出山がHOHというMASAYAの世界に閉じこもったままであることを受け入れはしないわけですが。なぜなら、私が徹頭徹尾抵抗をしているのは、HOHが犯罪性のある団体であるかもしれないという問題ではなくて、「MASAYAの世界にとじこもってしまったTOSHI」なのですからね。超個人的ですけど、犯罪性があろうがなかろうが要するにそれは変わりありません。さらに、超個人的には、できたら犯罪性のない団体であってほしいと願ってました(だから今回のことはけっこうショックでしたの)。なぜなら、HOHが犯罪性のある団体で、その団体にこれほどどっぷりかかわってしまった状態であったら、彼がもう一度自立する(ああ、夢のような言葉…)までの状況がいっそう過酷になります。それに出山は耐えられるのかと不安はありますし。マインドコントロールを解除するだけでも、彼は耐えられないのかもしれないのに、犯罪まで加わっていた日には、ねえ? まあ、でもその辺は事実関係が明らかになるのを待つしかないんですけどね。

やっぱりXのサイト、早くBlog化しよう…。こういう垂れ流し文章を書ける場所が大事だわ…(笑)。

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垂れ流し文章用blogを作る!その二

2004.04.11(Sun)

本日夜10時ごろにまたまた波が到来していたので「日曜の10時にニュースなんかないしそもそもイラクのことでHOHどころではないだろうに、何があったのやら」と思ったら、ヤフーのトップニュースに入ってしまった模様。紀籐氏、一気に出山を追いつめていくつもりのようです。まず本丸のHOHに先んじて、最大の広告塔である出山を落とそうということなんでしょうね。しかも私気付いてませんでしたけど、TOSHIオフィスからも子どもが保護されてたんですね(しかも一人はダンボール箱…)。んじゃ場合によっては、出山も児童虐待のほうでもひっかかってきてしまうかもっつーことか。少なくとも紀籐氏はそのつもりなんでしょうね。わざわざ「TOSHIの責任」とつけたコメントを見るに。

…つーか(笑)。昨日に引き続きこれですからね(笑)。もう、ブログ、過去ログのことはあとにして、とりあえず動かしちゃおっかなぁ…。とりあえず中途半端に入れてある過去ログはいったん下書きに戻せばよいし…。でもなあ…(悩)。

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TOSHI関連のリンク整頓

2004.04.18(Sun)

TOSHI関連の情報も見ていくつもりなのですが、そのためのリンクを整頓しました。
サイドのリンクに入れてはありますが、似たような名前が多くてなにがなにやらって感じなので、説明入りで。

「Toshi Office "Naturally"」
TOSHIオフィスの公式サイト。TOSHIのたくさんのメッセージが載ってます。「こころ模様」シリーズが今回の件に関しての文章です。

「ホームオブハート"ふるさとの木"」
ホームオブハートのオフィシャルサイト。MASAYAのコメントなどが見られます。この件に関してのメッセージも載ってます。

「弁護士紀籐正樹のLINC/ホームオブハートとToshi問題を考える」
紀籐弁護士のサイト「LINC」内にある、HOHとTOSHI問題についてのページです。このページの下の方に、紀籐氏の最新の動きが載ってます。ちなみに最初、コンテンツの下にずらーっと文章があることに二日ほど気付かなかったボケの私です(^^;;。
ちなみに、この問題についての掲示板として活用されているのがBLOG板です。個人的には、なんとなく目が滑る書き込みも多いんですけど…。

「ホームオブハートとToshi問題を考える会」
こちらは、被害者と元スタッフが中心になって結成された「HOHとTOSHI問題を考える会」(代表山本氏)のサイトです。うえの紀籐氏のページと名前がほとんど同じなのでややこしい…。
略称HTP。

この4つが、今回の問題の中心サイトだと思います。

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虎ごっこ

2004.04.20(Tue)

つっこみたくてしょうがなかったところ。

TOSHIがこころ模様のどっかで(探す気力がありません)、四つんばいになって遊んでる子たちのことを虎ごっこをしてるだけじゃないかと反論してたけど、あれ、HOHの女性スタッフの話が入ってましたよね。

あのときさあ、女性スタッフが自分で「あの子たちは自分のことを虎だと思ってるんです」って言ってましたよ。
あと、MASAYAも講演で、「いきなり四つんばいで出てきてビックリされたと思うんですけど、うちの子は、いまのところ四足で歩くんですね。多分そのうち二本足で立つと思うんですけど。僕は12歳(だか13歳だか)までは教育はしないと決めているんです」みたいな話してたけど。

これ、聴いて思ったんですけど、HOHって観念を持たないっていうのがあるじゃないですか?いろいろ社会に決め付けられて観念を持っちゃうのがいけない、子どものころの純粋なままでいられれば…みたいな思想が。
これじゃ、この子どもたち、その実験台みたいじゃない?
しかも、学校にも行ってないんですよ?
なにも教育しないことで、観念がない人間を育てるための実験みたい。

虎ごっこは、子どもですから、おかしくもなんともないんですけど…
その場合、虎ごっこについて、
「あの子は自分を虎だと思い込んでいるんです」って説明する女性スタッフって、
いったいナニ?
四つんばいで子どもが駆け込んできたときに、そういう説明しますか?普通の人は注釈されなければ「ああ、遊んでるんだな」って思うだけだよねえ?
そこでわざわざ注釈入れたの、HOHのスタッフですよ?

その説明の仕方が、なんかこう、HOHの説明っぽかったから、「自分を虎と思っている子ども」ってのがHOHの「成果」なのかなって感じがしたわけです。

とりあえずねえ、あの環境で学校にも通っていない子どもってのは、本当すっごくマズイと思います。

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「こころ模様5」を読んだ雑感

2004.04.22(Thu)

一読して、真っ先に思ったこと。
……何の話してんだ?

はっきり言いますけど、山本氏の人間性にもk氏の人間性にも、興味ないんですよね。全然。
つーかね、倉渕氏の人間性にも、もっと言うと、TOSHIの人間性にも、興味ないのね、この場合(TOSHIの性格は知ってますから(断言)、いまさら新たになることなんかないし)。

山本氏やk氏の人間性が、TOSHIの言うようなものであったとしても、倉渕氏がどれだけいい人であったとしても、素晴らしい人であったとしても、またTOSHIがどれだけいい人でもね、そんなことはどうでもいいんです。だって、関係ないでしょう。いまやろうとしていることは、現実になにが起きているかを検証することでしょ。
子どもが深夜まで働かされているのが事実なのか、学校に行っていないのが誰の意志であるのか、それを検証しようとしているので。
それと山本氏やk氏の人間性がどう関わるんですか。

まったく、毎度毎度、どうしてそういう撹乱をするんですか。
撹乱をしなくてはならない事実がそこにあるからですか。

とゆーのが直接的な突っ込みです。

以下はうがった見方。
今回の更新で、感情的なように見せかけて、戦略を持ってやってるなという感じを受けました。つまり、TOSHIの暴走ではないという意味です。
その理由は、紀籐氏を直接の罵倒の対象から外したあたりね(このような実態を知っているのですか?という問いかけになっていますよね。それまでは「山本氏と二人三脚の仕掛け人」っつー扱いでしたから。つか、それどころか、深い関係を示唆する書き込みまでした<しかし、まあ、下劣な発想ですな)。
そんでもって、k氏という一般には名前も出ていない一女性(証言を多くしている女性なのでしょう)を名指ししている辺り。ここを叩き潰すことで証言の元を絶とうとしているような気がします。

個人的に、こころ模様4では「暴走なのか言わされているのか?」とかなり微妙なこころ(特に倉渕氏に対しての罵倒)でしたが、今回のこころ模様5では、この暴言も話の流れから見て非常に不自然です。罵倒するほどの必要のないところで「バカでお人よしなアドバイスをしてきた」という罵倒が出てきます。
前回の罵倒もまったく同じ「お人よしでバカなMASAYA」です。このときは非常に感情的な文章だったので、本当にTOSHIの感情的な暴走かもしれないという可能性も30%ぐらいは見ていましたが、今回の文章で「言わされているな」と個人的に確信しました。
戦略的な問題で、倉渕氏を罵倒しろという指示があるのでしょう。
つまり、TOSHIと倉渕氏の関係から「カルト的師弟関係」というイメージを払拭するための「罵倒」でしょうね。
4の段階では、正直、TOSHIが暴走したならそれもよいと思っていた面もありました。
感情的に暴発できるなら、(ファン的発想ですけど)TOSHI個人のマインドコントロールという問題からすると、逆によい兆候なのかもしれないとも思ったからです。
でも、5で、現時点ではその可能性はないなと諦めました。

それにしても、この内容と来たら…
はっきり言って見るに耐えませんね。品性というものがまったく感じられない内容。
しかも、周到に、倉渕氏を「お人よしのバカ」とあくまでこの下劣な内容から切り離したうえで、です。
まったくTOSHIは、倉渕氏のために、どれだけの犠牲を払うのでしょう。

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「スタッフから」

2004.04.23(Fri)

o様のご好意でこの文章を見ることができました。<本当にありがとうございました!
(現在は削除されているので、こちらにあげることはできませんが)
元文がネット上にないのに感想書くのもナニなんですけど…書かないのも私的にナニなんで、とりあえず書かせてください。

ものすごい感情的な文章だなと(^^;;。
いやあ、これは、怒ってんだなあと思いました(^^;;。それぐらいスパークしている文章に見えます。こころ模様5なんて軽いもんです、みたいな(^^;;。

でも、この文章が載るっていうのは、サイトにあげる文章に関して、管理している人間はいないのだろうか?という疑問も覚えますね。なにしろ一日で削除だし。些細なところとは言え、推敲したのだろうか?と思いましたし。
罵倒対象であるk氏を「k氏」と呼んだり、呼び捨てにしたり。
かと思えば、この文章は三人の女性スタッフの実名署名入りなのですが、その自分たちにも氏とつけるかと思えばさん付けになってみたり。こういうそれなりに注目されている場で公にする文章にしては、なんか勢い任せって感じがしますね。

とりあえず、内容的にはほぼk氏の素行に対する罵倒だけなので、やっぱり私が気にしているHOH及びTOSHIオフィスにおける問題とはまったく別問題だと感じます。どうぞ被害届を出して警察に対処してもらってください。
…なるべくじっくり読もうと努力しましたが…やっぱ、それ以外に言いようがないよなあ(^^;;。

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改めて、今回の騒動に対する私の見方

2004.04.24(Sat)

けっこう頭が死んでいるので、変な文章になっていたらすみません。
つか、正直今回の件に関してはずっと頭死にっぱなしな気がしますが。
あくまでTOSHIサイドの視点からの話です。
もちろん、この騒動のもっとも大事な点は、数々の社会的な問題(児童虐待などを含む活動等々)です。
それは大前提として、そのうえでTOSHI個人に重点をおいた話です。

今回の件の発端は、マインドコントロールされたまま7年もの間、すっかりその状態で安定してしまったTOSHIの現状がまずあって、今後も彼自身の覚醒を待っていたところで状況が改善することはないだろうという予測があったと思います。

この状態のなにがまずかったかというと、TOSHIの営業活動がHOHの大きな資金源であり、また最大の広告だったということ。TOSHIのマインドコントロールは、TOSHI個人の問題ではなかったということです。HOHに問題がある場合、まず真っ先に対処すべきがTOSHIだったと。
山本氏の個人的な理由などがあったとしても、紀籐氏が現在TOSHIをターゲットにしている理由はまず間違いなくこれでしょう。TOSHIの活動がシャットアウトされれば、HOHも実質的に活動が困難になるという目算があってのことだと思います。

ただ、これは私の推測ですけど、紀籐氏は騒動初期にはTOSHIを強く非難する言葉もありましたが、だからと言ってTOSHIをこのカルト的集団の中心的な人物であるとはまったく見ていないと思います(や、そんなふうに見ている人がいるとは思えませんが(^^;;)。紀籐氏も、首謀は倉渕氏であって、あくまでTOSHIは倉渕氏の非常に有力な「駒」に過ぎないと見ていますよね。つまり、TOSHIはいわゆるマインドコントロールをされていると見ているはずです。

で、7年間もマインドコントロールをされた状態で安定してしまっていたTOSHIです。すでに自力での解除は無理と言っていい状態なのでしょう。
で、紀籐氏や山本氏は、力技に踏み切ったわけです。その狙いはTOSHIの活動を止めることと同時に、TOSHIの現在の閉鎖された環境を破壊することもあったと思います。
マインドコントロールは、他の価値観を見せないことが第一です。TOSHIは一年中ひたすら詩旅でMASAYAの歌を歌い続け、HOHの教えを決まり文句のように唱え続け、CDを売ってはHOHに上納する生活を続けていました。これでは解除できる隙がありません。
それを破壊する目的もあったと思います。

TOSHIの現在の生活を破壊してしまうってのはあまりにもひどいんじゃないか…とも見えるかもしれないんですけど、それは見方次第ですね…。
私自身は、大変つらい荒療治だとは思うけど、もうこうするより他に解除の方法はないんだろうな…という気がするので。
なにしろ、TOSHIは真面目なのです。一曲8ヶ月のボーカルレコーディングをやり遂げた男です。HOHの活動に関してだって、7年間も頑張ってきてしまったとゆーことは、今後ももっともっと頑張ってしまう可能性が高い。
そういうわけで、ファンとしてもこの騒動はつらいけど、ここまで来たなら、いっそ全部壊れてしまえと思います。
HOHが作り上げた環境なんか全部壊れちまえ!みたいな。<いきなり私情炸裂(^^;;。

で、現状は、少なくとも社会的にHOHの被害が広がる可能性は相当減ったでしょう。
なにより経済的に大変な打撃を受けただろうし、この状態から立て直せるとは思……いたくない。
ただ、まだこれでも「TOSHIのマインドコントロール問題の解決」って意味では甘くて。経済的に打撃でも、社会的に打撃でも、HOHとTOSHIオフィスの連中が総出で、肩寄せ合って傷舐めあってうじうじしていたら、まったく意味がないんです。逆にもっと少数精鋭的なカルト集団と化す可能性も高いのでは?
となると、やはり本丸HOHと倉渕氏を叩いて壊滅させない限り、だめでしょうね。

とにかくマインドコントロールの解除っていう視点からすると、HOH関連の人脈から一切切り離さないとだめです。
現在のTOSHIは、HOHの理念という毛布に頭からくるまって隠れている状態ですから、これをひっぺがさないことには、彼は結局なにも見えないままなのです。

それが、第一歩だと思います。あくまで第一歩です。
その先が大事なのです。

現状についてはこんな感じ。

すいません。力尽きて中途半端…。
…続く、かも。……続かないかも。<オイ。

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YOSHIKIとTOSHI。

2004.04.27(Tue)

これ(「改めて、今回の騒動に対する私の見方」)の続きと言えば、続き。

現状のTOSHIやHOHに対して批判的な意見をもつ人は、えっくすのころからのファンが多かろうと思いますので、当然のことなのですが、えっくすに戻れとかYOSHIKIが待ってるとかYOSHIKIのためにとかえっくすファンが可哀想とかそういう発言も多く見られます。あと、YOSHIKIに意見や対応を求める方もいるみたいですね。YOSHIKIモバにもそういうメールが届いているようですし。

でも、私個人は、現状で、えっくすやYOSHIKIの話を持ち出すことは反対なんですよね…。

自分が、えっくすにおいては8割がたYOSHIKIを見ていた生粋のYOSHIKIファンのわりに、TOSHIソロが大好きだったせいかもしれませんが…えっくすのTOSHIではないソロのTOSHIが、えっくすとは別アーティストとして、存在していたんです。それは、私にとって間違いなく事実です。
だから、TOSHIは、YOSHIKIの歌でもなく、MASAYAの歌でもなく、自分の歌が歌えるはずなんです。それを歌えっつー話なんですよね。
でなくては、彼はいつまでも親のうしろにくっついて歩く子どものままです。

こないだの続きになりますが(ようやく)。HOHやMASAYAから物理的に離れることができたら、そのあと。
そのあとこそ、TOSHIが一人で立って進んでいかなくてはならない道が待っているはずなんです。そこで、YOSHIKIの歌を歌うことが使命と思いこんでえっくすに戻ってきてくれてもYOSHIKIファンの私はかまやしませんが(オイ)、TOSHIソロファンである私はそれに同意できません。
TOSHIは自分の歌を歌いたかったはずなんですから。
「YOSHIKIの歌を歌うことが使命」という発想はいまの「MASAYAの歌を歌えないのならもう歌いません」とかほざいているのとややもすると似ています。
もしも、MASAYAから離れたTOSHIがそのままえっくすに戻ってこれるなら…。あえて、こう思います。
おそらくTOSHIは今度のことでなにも学んでいないのです。
そして、同じことを繰り返すだけなのです。

えっくすに戻る前に、まずやらなくてはならないことがあります。
それは彼が精神的に自立することです。
YOSHIKIと本当の意味で、対等になることです。
TOSHIが、YOSHIKIに対して常に遠慮し続けてきたこと、YOSHIKIのあとをついてきたこと、二人は本当の意味で対等の友人ではなかったこと。
当時あまりにも近すぎてそういったことに気付かなかったYOSHIKIは、いまは、それを理解していると思います。理解したうえで、彼の本当の意味での自立を、そして彼が友人として帰ってくるときを待っているんだと思います。

おそらくYOSHIKIは今回の件では動かないでしょう。
他の誰が動いてもいいけど、YOSHIKIが動いたら、YOSHIKIだからこそ、だめです。
いまのTOSHIに必要なのは、えっくすのTOSHIでなくても、MASAYAのロボットでなくても、自分の歌を歌える自分を自覚することだと思うのです。
歌えるんです。私はそれを知っています。なのに、TOSHI自身がそれを忘れているのです。
どうか、思い出してほしい。

今、YOSHIKIがTOSHIの手を引いたら…そして、YOSHIKIならやってのけるかもしれないけども、それが成功したとしても、同じことの繰り返しになる気がするんです。YOSHIKIにそのつもりがなくても、YOSHIKIがいくらそれを回避しようとしたとしても、TOSHIの心のありようがあのころと変わっていない以上(MASAYAについていかずにはいられなかったことがその証です。TOSHIにとって、MASAYAは間違いなくYOSHIKIの代わりです)、同じことになる。
それは、ダメだと思う。
私は彼らに本当の意味での友人になってほしい。ファンの勝手な願いですが、本音です。
でも、TOSHIが一人の人間として立ち直るとゆーことは、こういうことだと思うんですよね…。

YOSHIKIがいま出てくることは、TOSHIにとって、とてもよくない。
それが私のいまのところの見解です。

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「元メンバーの寡黙さ」

2004.04.27(Tue)

このような文章(「YOSHIKIとTOSHI」)を書いて一日置いて推敲なんてしていたら、紀籐氏に先に「真の友達なら、TOSHIの現在にもっと声をあげてほしいと思います」「元メンバーの寡黙さが非常に気になっています」なんて書かれてしまい、「ああっ!!それは、だから!!」とあわててしまった次第です(^^;;。

いや、紀籐氏のいうこと、もっともなんです。
友達なら正すべきところは正すべきです。
特に単に宗教かぶれどころじゃないですからね。TOSHIがやっていることは加害行動の可能性があります。
社会的問題がある可能性があると認識しているのなら、止めるべきで、正すべきでしょうね。
その意味においては、紀籐氏の言うとおりです。
その批判は甘んじて受けるしかないと思います。

ただ、前エントリーで書いてきたことですが。
YOSHIKIとTOSHIの関係というのは、非常に特殊です。
その特殊な事情を、やはりファンとしては多少なりとも理解しておいてほしい…と思ってしまいます。
なぜなら、そこを間違えるとTOSHIが崩壊しかねないほど、TOSHI個人にとってはえっくすの存在というのは大きな問題だからです。
紀籐氏は「真の友達なら」と書かれていますが、前エントリーで書いたとおり、まずそこからして、彼らのあり方はとても特殊でした。
最初からそうだったとは思えないのですが、えっくすが巨大化するにつれて、YOSHIKIもどんどん巨大になっていき、結果的にTOSHIはYOSHIKIとの関係において自分を見失ってしまいました。自らを「YOSHIKIのボーカルマシーン」と称するほどにです。
いまのTOSHIは、MASAYAの都合のいいロボットですよね?その単語は「マシーン」と言い換えることが可能ではありませんか?
TOSHIは結局なにひとつあのころと変わっていないと思うのです。

これも前エントリーで書きましたが、MASAYAは、TOSHIにとってYOSHIKIの代わりですよ。私はそう思います。あれは代用です。脱退して一人の男として独立するはずが、YOSHIKIを失った現実に直面したことで自分を見失った挙句、そこに代用を置いてしまったんです。それがTOSHIの中におけるMASAYAです。

そういう、TOSHIが本来持っていた精神的な問題がまず根っこにあります。
そのうえで、そこにつけこんでマインドコントロールを強力にかけられてしまったというのがこのHOHとTOSHI問題の根っこなんだと思うのです。
だから、個人的に、ここでYOSHIKIが出てきて問題解決したとしても、TOSHIの問題の解決になるとは思いにくいんです。
結局、同じことの繰り返しになるような気がする。

また、そういう根っこがあることを踏まえて考えてみると、YOSHIKIが出てくるというのは…。
確かに普通にまっとうな友人同士であったなら、20年来の友人の言葉の重みというのは有効なんじゃないかと思いますが…
TOSHIの場合、YOSHIKIの発言や行動は重すぎて、どっちかというと逆方面に反発して突っ走ってしまうのではないかと危惧してしまいます。いよいよ意固地にさせてしまうのではないかと。
もともと最初はえっくすとYOSHIKIとXファンに対しての意地から、こういう状況にいよいよつんのめっていった気がするんですよね…。それをあおってしまうのではないかって。

それに、正直えっくすを出すと話をややこしくするだけのような気がするんですよ(^^;;。
私の見方としては、せっかく事態がこうなっているのだから、単純に事実で、HOHとTOSHIの活動を物理的に止めてしまう方が話が早い気が…。そうそううまくいかないからこそ、えっくすに出て来いという話になるわけなんでしょうけど。
でもねえ、えっくす自体がもともとこんがらがってる存在なわけで(^^;;。そんなのが出てきたら、感情面の縺れまでくわわって、泥試合になって、長引いてしまいそうです…。
どうでしょうか?

最後に。
加害者であるTOSHI云々よりもいますべきことは子どもを含む被害者の救済であり、そのために必要なことをえっくすのメンバーはすべきだと言われたなら、Xファンとしては沈黙するよりありません…。
すでに加害者になってしまっているTOSHIのことを心配するのは、救済をしてからの話だろうと言われれば、頷くよりないです。そのとおりです。
でも、私はやはりTOSHIの心配もしたい。TOSHIも被害者の一人ではあります。自ら、そんな場所に頭から突っ込んでいき、加害行動をしているかもしれない人間とは言え。やはり心配です。どうか立ち直ってほしいです。その気持ちは捨てられません…。

まあ、こんなファンの感傷は置いておくにしても、この問題の解決という面から見ても、YOSHIKIが出てくることはプラスにはならないのではないか…という見方もあることだけは、理解していただけると嬉しいです。

……ああ、長かった。アタマがぐちゃぐちゃ(^^;;。
一気に書いてしまったので、なにかろくでもないことや勘違いをほざいていたら申し訳ありません。

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HOHと「花」

2004.04.30(Fri)

前から「世界にひとつだけの花」って、TOSHIがはまった世界に似てるなあ似てるなあと気になってしょうがなかったんですよね。

実は、私「何者にもならなくていい」とか、それこそ「世界にひとつだけの花」とか「一生懸命咲けばいい」とか、そういう価値観自体は悪いものだとは思えないんです。いいじゃんそれでって思うんです。
「何者にもならなくていい」を否定する人は、競争の大事さを言います。それが資本社会の根幹だとか、人類の発展をとかそういう話ね。
それはまあそうなんだけど、でも、競争に勝つことがすべてとは私も思わないんです。
この辺の発想は、わりとTOSHIや「花」に同調してる部分があるんですね。私。
だから、TOSHIの価値観自体は否定しないと、TOSHI関連の長文の仮結論でも書きました。
それはいまも変わらないんです。
とゆーことは、私はHOHの理念にも同調できるのでは?という結論になりかねないんですが…。

自分自身、ずっと、このスタンスがすごい微妙だったんですよ。自分でもどっち寄りで考えているのかわからなかった。
頭で考えると、HOHもTOSHIも「花」(完全にHOHと同類にしてますが(笑)。同類に思えてしょうがないんだもん…)も、別にそんなに変なことを言っている気はしない。
実際、自分でTOSHIに対して思うことを口に出してみると「自分の歌を歌えばいいじゃん」「TOSHIはTOSHIだよ」「TOSHIはTOSHIとして愛されてるじゃん」とか言っちゃったりして、同じようなこと言ってるんですよ、気付くと。「何者にもならなくていい」と同じようなもんですよね、これ(笑)。
だから、多分、私もわりと彼らと同じようなことを考えてるんです。

ところが、現実には、私は、HOHの言説にも「花」の歌詞にも、生理的な抵抗があって、納得ができないんです。腑に落ちない。気持ち悪いと感じてしまう。しかし、いったい自分がなにに抵抗を覚えているのかずっとわからなかった。
でも、さっき思ったんです。

確かに、「何者にもならなくていい」し、「世界にひとつだけの花」だし、それぞれが「一生懸命咲けばいい」んだけどさ。

あるひとが、一生懸命バンドをやって世界一を目指して頑張っている、それもまた「一生懸命咲く花」じゃないのか?
競争に参加してなかろうと参加してようと、同じじゃないですか。どちらも、その人なりの生き方で、一生懸命咲いてるだけじゃないですか。

どうして、競争に参加している人のことは否定するの?

この「否定」が矛盾に見えるんです。この矛盾が気持ち悪い。
つまり、みんな「世界にひとつだけの花だよ」とか「何者にもならなくていいよ、すべてを許し合っていこう」とか言いながら、許してないじゃん、認めてないじゃん!と感じちゃうんです。

さらに「花」以上にHOHがいただけないのは、世界はひとつとか言う理念です。これがもう本当納得いかなくて。つまり競争のない社会、観念のない社会、そういう社会においては、世界はひとつなんだ、そういう美しい心で本来世界はひとつなんだ、みたいな理念ですよね?と私は解釈していますが。
じゃあ、なにか?競争に参加している人は、その世界に受け入れてもらえないのかよ、と。はじかれるのかよ、と。その理念に賛成しない人間は、受け入れてもらえないのかよ、と。

どーこーがー、ありのままでいい、何者にもならなくていい世界なんだ!と思ってしまうのです。

「花」も「一番になりたがる?」とか言って、競争を否定してはいますが、世界を作るまでは至っていないので(つまり、「自分が一生懸命ならよい」という個人的な結論なので)、それはまあそれぞれよねとも思えますが、HOHは世界がひとつとか言ってくれてますからね。「ありのままでいい」とか「何者にもならなくていい」とか言いながら、HOHもTOSHIも、競争社会にいる私たちのことは受け入れないわけですよ。
それが、表面上の綺麗な癒しの言葉と、大きく矛盾しているように感じるのです。
そんでもってその矛盾があるがゆえに、根本的な発想は理解している私をもってしてその理念は納得できない、受け付けないと言わせるわけです。

何度も言うけど、勝つ必要などないとか何者にもならなくていいだとか、そういうのはそれぞれの考えで、全然構わないと思いますよ。その根本的な発想自体はわかります。いいと思います。
そういう考え方を全部否定するのも、どうかと思います。
でも、競争社会に生きている人を否定するのも、同じように、どうかと思うわけです。

とゆーわけで。「だから、HOHはダメだ」というわけではありませんが、個人的に、HOHの理念には、納得がいきません。矛盾があるように見えます、という話でした。

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危険かいなか?

2004.05.07(Fri)

カルト集団について特に知識があるわけでもないので、
適当な感想になってしまいますけど。
でも一応私の認識。

この手の集団が危険か否かの境目って、微妙だろうなと思っていますが、
個人的にはHOHは実力がなくって小規模、というだけで、本質的にはかなり危険度の高い集団だと思っています。
その理由は、反社会、アンチ社会が根っこにある主張を持っていること、
それと関連して閉鎖性が強いこと、
MASAYAという個人に教祖的な要素が強いこと、あたりかなあ。

ま、実際に危険な集団になるかは別ですが
(そのためには力も運も必要でしょうし。
で、HOHはその意味では力不足のダメダメな集団に見える)、
しかし、危険な集団になれる素養だけは多く持っている集団だ、という認識です。
オウムと同じ土壌があると思いますよ。HOHにはね。

まとっている上着が
オウムは仏教や密教で、
HOHはニューエイジ思想だっていう違いだけだと思うな。
実際にはその上着はどうでもよくて、
結局、言いたいことは、自分たちを認めない社会に対しての不満だけ
っていうあたりがそっくり。
と、私は見なしているのですが、どうでしょう?

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クレジット詐欺容疑

2004.05.07(Fri)

またまたo様にネットの海に喪失した記事を見せていただくことができまして(本当〜に、ありがとうございます!)、クレジット詐欺容疑の内容がわかりました。

つまり、スタッフに白紙の契約書に名前だけ書かせて、
HOHの商品を買わせた、と。
しかも、商品は届かないままに請求が来た、と。
でも、結局は契約解消、返金に応じたそうです。

なんというか…脇の甘い団体だなあ…みたいな印象を
持ってしまったんですけど。
これが、HOHいうところの真の未来企業の姿?別にどうでもいいけどね。

あ、でも、これは初めてTOSHIと切り離したHOH特有の問題として
行けるのではないでしょうか?
TOSHIも一蓮托生の問題(児童虐待の件とか)について追求すると、
延々TOSHIが答えるだけなんですよね。HOHとMASAYAは知らん顔で。
なんとかいいかげんHOH本体、MASAYA本人を引っ張り出してほしいところです。
でも、そのわりに特に続報がなくて…。
このネタは消滅していくのでしょうか…。

特にどこのサイトも動きはないんですけど、
紀籐氏が「ホームオブハート問題でとっても忙しい」を
連発している5/4の書き込みをいまごろ発見。
連発しなくても(^^;;、と思ってしまうけど、連発してしまうほど忙しいのでしょう…(笑)。

Posted by koko at 04:03 AM | Comment (0)

いろんなスタンス

2004.05.11(Tue)

最近私が日常的に見ているTOSHI関連のサイトなんですが、
まあ、サイドに「TOSHI関連」として入れてあるHOH問題の基本的なサイトは当然ですね。
あと、紀籐氏が一緒に置いているこの問題についてのBLOG板。
それから、White Poemの「TOSHIのこと」スレ。
あと、2,3のファンサイトの個人日記というところです。

でも、全般的に、そろそろ言うことがなくなってきたぞ…っていうムードですね。
特に掲示板とかは最初からたいした議論にならないなあっていう感じです。
なんでかなと思ったんですけど…自分自身も含めて、もうスタンスみたいなのががっちり固まっちゃってるからかな、とか。

もちろん、今回の件が出るまで、まったく考えてなかった人もいるんでしょうけど…でもやっぱりX関係のファンなら、多かれ少なかれ、意識しててもしてなくても、頭の片隅では考えざるをえない問題だったと思うしね。その長い時間で考えた蓄積があるから、こういう状況になってもあんまりスパークすることもないのかなって。
なんつーか、各自それぞれスタンスの違いが明確にあって。スタンスが違えば、結論も違うのは当たり前で。スタンスも結論も、みんながっちり固まっちゃってる感じがしますね。良かれ悪しかれ。自分も含めて。

やっぱり時間なんでしょうかねえ、この強固さっつーのは。
なんか、みんなが言ってることがわかるんだもん。
それだけ、各自のスタンスが明確、明快だっつーことだと思います。

ちなみに、やっぱり多いのは(当然ながら)、えっくすのファンというのが根本的にあって、えっくすに戻ってこいっつー意見かな、と。ただ、その場合もTOSHI個人を批判するかしないかっていう違いはありますね。YOSHIKIファンの場合は、YOSHIKIを傷つけて!っていう視点で怒ってる場合も多いのかも…。

(ちなみに、個人的にはこれには同意しません。YOSHIKIのために、TOSHIにXに戻って来いというのは、あまりにも、TOSHIという一人のひとを無視した意見だと思っています。そういう話じゃなくてTOSHIの意志で最終的に戻ってきてくれるならそりゃ嬉しいけど、現状で、そんな「HOHから離れる」=「Xに戻ってくる」なんてことになるわけがないのは一目瞭然ですよね…。つーか、そんなことなったら、97〜98年の「Xから離れる」→「不安定になる」→「HOHにくっつく」の逆バージョンですよ…むしろ、「ふざけんな、顔洗って出直してこい」ですよ(笑))

あと、いまのTOSHIも追いかけていた(いる)人たちね。
とは言え、いまのTOSHIだけを追いかけていた(Xと無関係の)人というのは見かけないので、多分、98年時に怒らなかった人たちなんだと思いますが。こういう人たちはやはり今回の件(刑事事件になってしまったりっていうことに対して)には、困惑している場合が多い感じがします。
あと、こういうスタンスの方たちは、いまのTOSHIを好きであるにもかかわらず、HOH自体には抵抗を覚えていて怒っている場合も多いっていうのが、けっこう意外な発見でした。
私は、今のTOSHIが好きな人は、HOHも少なくとも受容はしているんだと思っていたもので…。

うーん…これってどういう感情なんでしょうかね。
TOSHIの歌(っつーか、歌声?)が聴ければいいということなんでしょうか…。
それとも、「あの歌を歌っている」TOSHIが好きとゆーことなのだろうか…。
あるいはただTOSHIが好きだとゆーことだろうか…(でもそういう全肯定なら、結果的にHOHも肯定することになっちゃうと思うので、それもまた違うんでしょうね)。
私は、このパターンがいちばんよくわからないかもしれません。

あとは…とにかく全肯定の人もいるのでしょうかね。TOSHIが一生懸命やってるんだからいいじゃない、っていう。いるんだろうな。特にXをリアルタイムで知らない若いファンなんかは…。
実際、普通の場合なら、これがいちばんラクだと思うし。私自身、普段はだいたいは全肯定ですし。
ただ、TOSHIの場合、今のTOSHIを全肯定してしまうとX全否定につながってしまうあたりがね。自己矛盾に陥っちゃうんですよね。今のTOSHI全肯定は、Xファンにはむしろ困難な道だったように思います。
(でも、私自身はあの「何者にもならなくていい」発想自体は否定していないので、HOHという要素がなければ、XとTOSHIソロは両立できたと思いますけど)。

ちなみに、自分はTOSHIソロ重視派で、今のTOSHI&HOH否定派です。これは、多分、他のXファンに比べると相当熱心なTOSHIソロファンであった経歴があるからです。Xに戻れとかは、全然思ってません。どういう意味であっても、無理だと思うし。
でもその果てに、ともにWithout Youを演れる日がきたなら、これ以上ないほどの幸せだと思いますけど。

そんなこんなで、要するに、各自ファンだった時期とかさ、そういうのに大きく左右されてるんだと思うんですよね。しかも、みんなそのスタンスから出した結論はとても時間をかけて考えてきてて、迷いやブレがないので、「あー、その視点から見れば、そう思うのもわかるなー」みたいになっちゃいます。
これだと、議論のしようがないなあとも思う。スタンスの違いとしか言いようが。

せいぜい、議論できるとすれば、法律とか社会的な問題の議論ですよね。
たとえばHOHをカルトと見なすかとかね。あれは児童虐待と見なすかとかね。
でも、自分自身そうなんだけど、TOSHIファンから見るとそれすら枝葉末節で、最終的にはどうでもよかったりするから…。

ま、しょうがないですよね。ファンなんて、もともと各々が各々のやり方でアーティストに対していくしかないんだから。各々のやり方でTOSHIに対していくしかないですよね。

(…つーか、この長文はいったい何の話だったんでしょうか…自分でもなにを言いたかったんだかよくわからない…。ごめんなさい)

Posted by koko at 02:19 AM | Comment (0)

TOSHIの長文メッセージについて、雑感。

2004.05.18(Tue)

TOSHIのメッセージについて。
これについては前にもちょろっと書いてますけどね。
そもそも最初の記事がスクープなんですよね。県などの公式発表ではないのは事実です。だから、公式に発表したと書いてあったらこれは虚偽報道です。でも、この記事はそういう内容ではないんですよね。あくまで「方針が決まった」という内容です。
なので、現状ではデタラメだ、嘘だ、虚偽報道だと断言することはできない状況です。
公式発表はまだないのですから。

で、公式の発表以前に内部の話を勝手に出したことについて非難をしているのであれば(その場合は「嘘の記事をだしました」という表現がおかしいわけだけど)、TOSHIも「その地元新聞社に対して、県は出入り禁止を通告し、抗議文も出されたということです」とか書いてるんで、まったく同じことをしていますね。そんな公式発表はないようですよ。県の広報課は否定しているそうです。
状況はまったく同じではありませんか?
TOSHIがそういった状況である下野新聞の記事を、「嘘だ」「デタラメだ」「悪質だ」というのなら、TOSHIの文章も同じく、「デタラメの悪質」なものだということです。TOSHI自身が、嘘をついていることになります(そんな正式な発表はないのですから)。

もちろん、子どもたちのプライバシー問題で、こういったスクープが出て、大々的にマスコミに取り上げることは問題では?という話はありますけどね(この記事はその問題についてのものです)。
「マスコミの暴力」についての憤りはわからないわけではありません。
でもね、だとしたら、やっぱりTOSHI自身がソースのない悪意のある風評を流したらダメですよ。これまた、新聞社に対しての名誉毀損になっちゃいますよ。

どうもTOSHIとかはこの辺をごっちゃにして考えがちなんですが、この場合はね、正義だ正義じゃない正しい間違っているの話じゃなくてね、客観的に見て、言い分に筋が通ってないわけよ。破綻しているわけよ。
それがダメだと今回は言いたいです。いつもそれについてだけ文句を言っているわけじゃないけど。

ただ、さっきも書いたけど、マスコミを使うことに関してのTOSHIの憤りはわかります(同時に、紀籐氏がマスコミを使う理由も理解していますんで、それについて納得していますけど)。
うん、まあ、TOSHIの言い分も感情的には理解できますよ。確かにマスコミの圧倒的な暴力というのは、今回のイラク人質事件のお三方のことや松本サリンの河野氏のことを考えると、わかりますからね。
でも、いろいろと思うことはあるけど、それはそれであまりにも大きな問題なんで、ここでちょろっと考えられるような話ではないですね…。

あと、後半の「(自分たちはしてないけど)共同生活をしていると悪いのか、差別するのか」とか、今回じゃないけど「(自分たちは違うけど)宗教だと悪いのか、危険なのか」等々の記述ね。あー、もう、って言う感じです。こうやって話を撹乱するんだよこの人は…(98年時からね)。

共同生活が悪いわけじゃないです。ただ、ある種の共同生活の場合はまずい場合がある
宗教が悪いわけじゃないです。ある種の宗教の場合は、まずい場合がある
そういうことですよ。
いちいち言うのもバカらしいですけど、そんなの、ケースバイケースに決まってるじゃないか。

私が、HOHに関して危険なんじゃないかと疑う理由は前にも書きましたが、
・根本的に「反社会」「アンチ社会」の発想があると私は見ている(彼らの理念はまずアンチから始まっていると思います。その思想を進めていった結果が今の理念だと思う)。
・閉鎖性が強い(ちなみに、私がどうしてそう感じるのかなあと思ったら、TOSHIの印象だった。今のTOSHIが非常に閉鎖的に見えるからだった…)。
・そのうえMASAYAが教祖化している可能性がある。
っていう三点です。
最後のはまた「(自分たちは違うけど)教祖がいたら悪いのか!」と噛みつかれそうなので補足しますが、別に根本的なありようが危険でなければ教祖でも宗教でもいいんですけど、
1で述べたとおり、私はHOH(というかMASAYA)の理念そのものに危険な気配を感じています。社会的には犯罪と呼ばれる行為を行う可能性があるという意味で。そういう理念を持っている閉鎖的な団体(別に会社だって、団体だよね)が、絶対的な教祖を持っていたら、危険度はあがります。
そういう意味で、「教祖化している可能性」を入れました。

宗教が悪いわけじゃないっすよ。
自己啓発セミナーだって(私は絶対やりたくないけど)人それぞれだと思うから、否定してないですよ。
私がいま文句を言っている相手は、宗教でも自己啓発セミナーでもなく、HOHそのものです。
話を拡散させて、撹乱するなっつーの!とTOSHIに言いたいです。

なんか異様に長文になっちゃった。すみません。MASAYAのメッセージについても一緒に書くつもりだったのに(でもそんなに書くことはないですけど。私のような一般人には到底理解できないから(笑))。

Posted by koko at 04:26 AM | Comment (0)

MASAYAメッセージ

2004.05.19(Wed)

昨日書き損ねたMASAYAのメッセージに対しての雑感。
つか、本当感想の書きようもない文章なんですけど(^^;;。
理解できないし。

ま、この人が
「人が嫌がるあらゆるものが私にすべてあると言って下さい それでいいのです
世界中のすべての汚れが私にあると言って下さい
みなさんがお好きなようにお塗ください」

だとか、
「すべてを抱きしめていきたいです」
だとか、
「あらゆる非難を言って下さってけっこうです
世界中の非難された人の同じ苦しみを全部背負います
よごれものにして下さってよいのです」

だとか
口で言っているような綺麗事(?)を実践している人ではないことは、98年のテレビ出演時の彼の様子を思い出せばわかりますけどね。

でも、これって、オウム裁判で最初のうちの麻原がやってたような戦術の文章ですよね。
何を言っても、叩けば叩くだけ叩く方が虚しくなるという…
相手にしないのがいちばんっていうヤツ。
あ、それが最終的な結論かもしれません(笑)。

よし。決めました。
こいつが今後この手の得体の知れない戯言で登場した場合は、
スルーっつーことで!(笑)

今後は、日本人にも理解できる日本語で(あるいは英語圏の方にも理解できる英語で)、意味の通じる文章をよろしくお願いします。>倉渕氏
ところで、なんで今回に限り、英文つき?

Posted by koko at 03:23 AM | Comment (0)

本音。実はキレてました。

2004.05.29(Sat)

民事ですけども、裁判始まりましたね。
山本氏が冒頭で意見陳述を行ったそうで、その内容がHTPの最新情報に載ってます。まあ、本当裁判のことも法律のこともさっぱりわかりませんので、どうなるとか予想もつけようがありませんけど、とにかく一歩ずつでも事態がいい方向に進んでくれるといいなと。

ちなみにこの場合のいい方向というのは、HOHがつぶれることですけどもね。

その結果、TOSHIが歌を歌う場がなくなる、あるいは本人の言うように引退する、というようなことになってもです。むしろそれは、紀籐氏らが意図したとおりに物事が進んだならば、確実に訪れる未来だろうとも思っています。
そして、それでよいと思っています。そうなれと思っているのです。それが私にとって「いい方向」です。

私ね、98年時、TOSHIが「このままじゃ歌えなくなる」と泣いたという話を聞いたときは、さすがに胸が痛みました。どこでこのエピソードを見たか忘れちゃいましたが、本当に歌が好きでしょうがなくて歌えなくなることへの恐怖みたいなのがすごくリアルに感じられた。マインドコントロールされていようとMASAYAの歌しか歌わなかろうと、それでもそういう彼から歌を取りあげるのは酷であるように思えました。

でもねえ、オフィに載ったTOSHIのメッセージの一文「悪事によって真実の愛が曲げられその愛しき真実が歌えないならもう歌は歌いません」ってのがね、来ましたね。
実は、この一文で、私、キレました。
ぶっちゃけ、「ああ、そうかい、そんならもう歌わなくていいよ!!」って思いました。

もう、「歌いたい」っていうただそれだけの純粋な気持ちすらなくしてしまったのね…とHOH風に言わせていただきます。
98年時は、そういう純粋な気持ちを感じたから、せめて歌だけは取り上げたくないと思いました。
でも、もういまのメッセージには、そんな「歌いたい」という気持ちをまったく感じません。

ああ、そう。それなら、もういいよ。歌いたくないんでしょう?ならいいよ、歌わなくて。

普段は冷静に書くように、ファンとしての個人的な感情をぶつけないように気をつけていますが、実のところ、いまの個人的なファンとしての本音はこれです。

このメッセージから私が感じたことを書きます。
TOSHIが自分の歌を大事にするつもりはまったくないこと。歌はあくまでMASAYAのメッセージを伝える道具のひとつであること。TOSHI自身に純粋に「歌いたい」という欲求は特にないこと(あったら書けねえだろ、これ)。
要するに「それほどまでにMASAYAだけが大事なわけね。歌を歌えるかどうかなんてことは実はどうでもいいわけね」ってことですよね。

…もうねえ、どこまで、人が心から大事にしてきたものを無残にぶち壊せば気がすむのかと。
ああ、そうかよ、MASAYAのメッセージを伝えられないなら、歌う必要もないわけだ。おまえの歌そのものには、価値はないわけだ。
Xに続いて、こんどはてめえの歌を投げ捨てるのかよ、どれだけ人が、てめえの歌を心から大事にしてきたと思ってんだちくしょう!ってなもんですよ。

しかもキレたのは、TOSHI本人のメッセージにですからね。実は周囲の状況全然関係ないわけ。98年もそうだったけどね。あのときも、キレたのはTOSHI本人の発言でしたからね。ワイドショーは変に演出するとか文句つけてましたけど、演出するもなにも生出演のTOSHIの発言に「このやろう!!(怒泣)」だったからこそショックを受けたんですよ。にっちもさっちもいかなくなったんですよ。
今回もね、TOSHIの歌に対するこころ模様がね、「てめえの歌をなんだと思ってやがる!!このやろう!!(怒泣)」ってな感じで、もうにっちもさっちも。

まあ、これを読んだのはかなり初期ですから、内心キレながらも、これまでまあそれなりに冷静に書いてきたと思うし、今後もそれなりに冷静に書いていけると思うけど。でも、やっぱり、本音も書きたくなりました。
こういう本音もあるんだぞということで。

Posted by koko at 06:05 AM | Comment (0)

虐待と認定はされなかったみたい

2004.06.04(Fri)

児童相談所の判断が出たらしく。
就学児童に関しては、なんですか。不適切な養育環境とのことで、児童保育士の指導は入るようですが、一応親元に返されたそうです。んで、乳児二人に関しては、乳児院に入所。
とりあえずは虐待として認定はされなかったようです。

紀籐氏は虐待と認定されなかったことに対して不満を述べており、TOSHIサイドは勝ち誇ったコメントを掲載。

でもさ、虐待として認定はされなかったけども(基本的に親によるものでない限り、現行法では虐待とはならないっていうのがあるようなことが書いてありますが…よくわからんです)、とりあえず乳児二人は乳児院に入所するわけでしょ?指導も入るわけでしょ?不適切な養育環境であることは認められてますよね。そんな勝ち誇ったようなメッセージを載せるような状況なのかしら…。
よくわかんないですが。

でも、うーん…かなり面倒くさい事態になっちゃった気はしますね。

Posted by koko at 04:46 AM | Comment (0)

伊藤芳朗氏まで出てきた…。

2004.06.05(Sat)

とりあえず、訂正。セルフ突っ込み(笑)。
昨日のエントリー、「児童保育士が指導」とか書いちゃって、今日読み返して「保育士が指導してどうすんだ…」と自分で突っ込んでしまいました(笑)。すいません、児童福祉司の指導、です(笑)。まあ、これまでもありえないような数々のマチガイ(自分が気付いているものもあれば気付いていないものもありましょう…)を繰り広げてきた私ですので、いつものことですけど。でもちょっとわらけたので(笑)。

虐待とは認定されなかった、でも、不適切な養育環境だということで指導は入ることになった、という状況なんですけど。つまりこれはどういうことなのか?
今日「最新情報」として更新をしたHTPの説明がいちばんわかりやすいかも(紀籐氏のはちょっと意味がつかみにくかった。でも多分同じことを言っているんだと思う)。つまり、HTP及び紀籐氏サイドの言い分としては、「虐待の有無を判断するところまで踏み込まなかった(その理由は虐待防止法が規定している環境にあてはまらないから。つまり虐待の主体が保護者ではないという特殊事情による)」ということのようです。ただ、この辺はちょっとマスコミ的にも捕らえ方がいろいろのようなんですよね。なので、実際どうなのかわかりかねますね。

ただ、ぶっちゃけ、最初の段階で(つまり記事だけ見た段階で)私は全然白になったとは思わなかったので、紀籐氏のコメントにもビックリしたし、TOSHIの勝ち誇ったコメントにはもっとビックリだったんですよね。つまり、全然灰色とゆーか黒に見えた。だって、児童福祉司の指導つきだし、そのうえ、幼児は結局親元に帰されてないわけじゃないですか。全然問題ないようには見えなかったですよ。でも、なんか紀籐氏悔しそうだったので、「あれ?」と思ってようやく虐待認定はされてないっつーことに気付いたぐらいなんです。
まぁ、多分裁判や刑事事件的に、これが虐待と認定されないといろいろ難しいんだろうな…とは一応思ったんですが、そういう戦術とかは素人の私にはよくわからないので、紀籐氏に任せるとして。

やっぱり、普通に考えれば、これでTOSHIサイドが「問題ない、児童虐待問題は捏造だった」なんていうのは、勘違い、筋違いとゆーものだと思いますよ。だって、「不適切な養育環境」だって言われてるじゃん。不適切な養育環境であったことは認定されてるじゃないですか。だとすると、あとはそのていど問題、あるいは法律上の判断の問題だったってことじゃないの〜?普通に考えるとそうなりませんか?
やっぱりTOSHIの言い分は変ですよ。

しかしね、TOSHIが事実から思いがけない斜め上に飛び出す見解を持ち出してくるのは、すでに毎度のことだと思うけども、突如としてTOSHIオフィサイトにわいて出てきた伊藤芳朗弁護士もなんか同じようなことを言ってはるので「はい〜…?」ってな感じになっちゃうんだよね。よくわかんないっす。

でも、伊藤氏まで出てくるとは思いませんでしたね。なんか両方とも私でも知ってる弁護士で、ビックリですよ。マスコミ的に面白い対決じゃなかろーか(とほ)。

しっかし、伊藤氏、いつのまにか、なんか変なことになってたんですね。マスコミに戸籍謄本を流して懲戒処分を受けた?なんだそりゃ。しかも、その件についての懲戒処分期間は5/30までだったってことになるですよ。記事によると

あの〜、TOSHIオフィサイトでコメントを出したの6/3ですよ。この人、コメントの中でHOHはカルトではないと見極めてらっしゃいますけど、たった4日間で見極めたんすか? いや、4日間もないよね。だって、31日仕事再開して、依頼されて、引き受けて、そんであのコメントを出す時間が必要だもんね。
それとも、その前から調べてたんですか?業務停止処分中だったから、
それもダメよね?
いったい、この人は、いつ、どういう根拠をもって見極めたんすか?

ぶっちゃけ、付け焼刃に横からしゃしゃり出てきた感が否めません。
オウムの頃は紀籐氏と同じく若い熱血弁護士さんと思って見てましたけど、その後すごい恰幅がよくなって「あらぁ、ずいぶん恰幅がよくなって」なんて思ったことしか覚えてないなあ。

さて、今回のTOSHIの勝ち誇ったコメントについてはまた後日。

Posted by koko at 02:41 AM | Comment (0)

本音2

2004.06.07(Mon)

ずらずらTOSHIのメッセージに関して書いてるんですけど、どうにもまとまらなくて。いつまとまるのか怪しいので、とりあえず本家サイトの日記で書いた剥き出しの本音をコピペしておきます。
まずこの感情が先にあるとゆーことで(笑)。
そのうえで、なお冷静になれたらいいなと思って昨日から頑張っているんですけどね〜…。言いたいことはあるんですよ。こんな感情的なものだけじゃなくて。でも、はぁ〜…。もう頭混乱しちゃってて、なにをどう書けばいいのかわかんないよ…。

以下、自分の日記のコピペ。

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TOSHIのことなんかになると、もう頭が混乱してるから、書き始めると延々書いちゃ消し書いちゃ消しになっちゃうしな。

つーかさあ、最近なんかもう本当中指立てて「ガッデム!!」とか叫びそうになりますからね(笑)。

「いまだに子供たち、若者たちの間でも「伝説のビジュアル系カリスマバンド」などとよばれ、大きな影響力を持つ私」

…なーんて鳥肌の立つような文章を読んだ日には、血が瞬間沸騰して「…FXXKFXXKFXXK!!」ですよ。

どの口が言うか!!

ああ、蹴倒してやりたい。
大きな影響力をもつ私。大きな影響力をもつ私…

ああ、ちくしょう、

黙れ、甘ったれの卑怯者の偽善者が!!!

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Posted by koko at 05:07 AM | Comment (0)

6/3付TOSHIのメッセージについて

2004.06.09(Wed)

怒り狂ったりしつつ、考え込んでいるうちに時間が経ってますが。
結局のところ、もともと何年も前からX系ファンサイトで語り尽くされている問題に戻っているという話ですか、これ(笑)。つまり、過去(X時代)を否定するTOSHI、それに対して怒りを覚えるファン、過去を否定しながら堂々と「ヴィジュアル系カリスマバンドなどと呼ばれ、大きな影響力をもつ私」などと自称するTOSHI、「否定しておきながらそういうときだけXの看板利用すんじゃねえ!」と怒り狂うファン、っていう構図ですよね(笑)。

TOSHIが脳内で勝手に「虐待ではない」→「紀籐氏と山本氏の事実捏造だ」という斜め上にすっ飛ぶ結論を出して(このときには「不適切な養育環境」と指摘されている事実は脳内から消えていると思われます)、その結果、安心したんでしょうね。落ち着いて、ここ何年かのTOSHIのお話に戻っちゃってるんですよね。それで問題点もまた同じところに帰ってきたっつーことでしょうね。

まあ、まず、児童虐待問題について勝ち誇っている様子も、状況がわかっていないということで反感を買っていると思います。私も正直「虐待認定」に関しては、紀籐氏も書いているお役所の「ぬえ的」表現のおかげで、「つまりはどういう結論出したワケ?」と混乱しているところがありますが、どっちにしても確実であるのは、「不適切な養育環境であった」ということです。養育環境に問題があったことそのものは確実に認定されてんだから、それを受け止めろっていう話ですよね。まあ、それはTOSHI側はこの問題を親子の問題にしたいっつーことかなって気もしますけど。しかし、それを個々の親子の問題にしようとするのもやっぱ不誠実なわけで、結局はこの問題については不誠実に見えるのはいかんともしがたいと思いますです。

さて。私自身が怒り狂った肝心のポイントなんですけど。
うーん、まあ、腹立てまくってるんですけど、でもこの話難しいんですよね(笑)。多分正しい正しくないという観点で語るのは、私には無理かなという気がするんです。私自身、TOSHIが間違っているから怒り狂っているとは思っていない面があるし。Xファンとしての私の感情を激しく逆撫でされてるだけといえば、それだけなのだとも思います。

あんまり、主義主張に関しては言いたくないというか。それこそ、「世界がひとつになれば」なんて言われると怖気が立つほど大嫌いな私なので、こっちが人様の主義主張にあれこれ言うのも苦手なんですよね。なので、TOSHIの根本的な主張(何者にもならなくていいっていうやつ)に対してもあんまり言うことはないんですが。

でも、根本主張の「ありのままでいい」とかその辺に対しては特に言うことはないけど、やっぱりその価値観をもってして「世界がひとつになれば」には、私は抵抗しますよ。そんな価値観でひとつになんかなりたくねえっつの。っつうか、どんな価値観であれ、ひとつになんかなりたくねえよ。
ここがどうしても、根本的に矛盾してると思うんですけど。TOSHIの言うことって。
競争も比較もいらないのではないかっていうTOSHI自身の気持ちはまぁいいんですけど、競争しながら日々生きている人たちってのはいますわね。いちばんわかりやすいのはスポーツ選手ですけど。そういう人たちはTOSHIのいう「世界がひとつになれば」の「世界」に入れないんじゃないですか?っていう疑問。「世界」の構成要素として認めてもらえないの?っていうね。たとえばYOSHIKIなんかは入れてもらえないわけですね?(笑)

TOSHIの言い方だと今後は「世界がひとつになれば」のメッセージを伝えていく、ような感じでしたけども、私はこっちのほうが問題アリだと思うんだよなあ。根本主張にも矛盾してるし(「ありのまま」を認めるのであれば、そういうTOSHIとは主張の違う人たちの「ありのまま」の闘争本能も認めてもらわないとねえ?)、そもそも押し付けがましいうえに非常に排他的になっちゃうわけで(つか、もともと実際問題は排他的なんだけどさ(笑)。これかざしてると主義主張自体が排他的になっちゃうじゃん?)

でも、今回のメッセージでは、押し付けじゃないということは強調してますけどね。「そして私もMASAYAもそのことに慎重であるだけに、お金をもらってしかそのようなことを伝えていないし、コンサートや本やトレーニングやCDや歌の中でしかそのような自らの見解は述べていません。」とか言ってるし。でも、そもそもこの主張自体がどうかっていう話だし。
とにかく私は「世界がひとつになれば」主張はやめてもらいたいです。そっちに関しては自分がそういうのを嫌いだということだけではなく、主張として反対です。

でもさ、多分、ハイセイコーよりハルウララの生き方がいいななんていうのは、今の時代、めーっちゃ普通の発想ですよね。いまどき「勝つことが一番大事」なんて思ってる人は、普通の生活を送っている人には少ないんじゃないですか?多くの人は別に出世のために頑張っているんじゃなくて、生活をしていくために頑張っているんでしょうし。
んじゃなんでそういう普通のことを言っているだけのハズのTOSHIは変に見えるのか。根っこに矛盾があるからだと思うんですよ。その矛盾っつーのは、TOSHIの発想が根本的に「否定」から始まっていて、いまだに「否定」に立脚した論理だからだと思うんです。TOSHIの話は常に「こういうつらい目に自分はあってきた」「そんな社会はマチガイだと思う」「だからそういう生き方はよくない」っていう展開でしょ。自分の養育、教育環境を否定、X時代の価値観を否定、スターであった自分を否定、そういう価値観を強要した現代社会の在り方を否定、そんでもってMASAYAの言う「ありのままで生きていていいんだよ。ありのままを受け入れよう」をオススメ。もう最後以外が、全部が否定否定否定の話ですよね。このあらゆるものの否定に立脚した論理展開と、「ありのままでいい」という主張があまりにも相反していると思うんですけど。

こっちを否定して、こっちを肯定する、というその論理展開自体が、あんた、比較してるやんか

っつーことです。
まあ、「どうすりゃいいのか」ってわかりませんけどね。ただ、とにかくあの否定ベースの論理展開である限り、TOSHIの言う「ありのままでいい」のうさんくささは消えないと思いますよ。他の人に言われたら納得できることも、TOSHIに言われると「むちゃくちゃうさんくさーい、嘘っぽーい」と感じちゃうもんね。ちなみに「世界にひとつだけの花」も同じ論理展開をしている曲なので、私には嘘っぽく聞こえてダメです。

と、気付いたら今回のTOSHIのメッセージに限らない話になってしまいました。まあ、ぶっちゃけいつも同じことを話しているだけでだからね。ま、要するにこれが私の、現在のTOSHIに対する基本見解なのだと思います。いっぱい書いたから、今回はここまで。

さて、問題の「大きな影響力をもつ私」については…私は冷静に語ることができるのでしょうか…。はー。今回のエントリーも、ここまで書いてた分にはそんなきつくないんだよ。でも、「大きな影響力をもつ私」この一言を書き写すたびに、こう、私の中でメラメラメラメラと燃え上がるものが…。

Posted by koko at 03:01 AM | Comment (0)

本を立ち読みした

2004.06.19(Sat)

図書館行きましてね。偶然手にとったカルト系に関する本(タイトル忘れた)に、偶然貴乃花と一緒にTOSHIの件も取り上げられていたのでそこだけ立ち読みしてきました。でも、貴乃花に関してはこれはこれでって感じの論調でしたが、冒頭から「TOSHIに関しては深刻である」なんて書かれちゃって、ああ、やっぱりなんて気分でした。MASAYAに関してもけっこう書かれてて、ヤマ師だとか単なるセミナー屋で終わるつもりはなかったとかいろいろ。その本だけ読むとTOSHIはいかにもあくどい山師、詐欺師に引っかかってしまったって感じに取れる書き方でした。

で、思ったんだけど。確かに当時はそうだったんじゃないかなと思うんですけどね。
MASAYAもマスコミにも出てきてたし、多分に一発当てよう的な面があったんじゃないかと私も思うのですが、最近のMASAYAはちょっとまた違うような気がしてるかもです。
なんかさ、もう本人も変になってませんか?多分自家中毒に近いんじゃないかと思うんですけど。麻原もそうなんだけど、間違いなくもともとは自分の妄想ででっちあげで詐欺なのに、それに自分自身が中毒しちゃってわけわかんなくなっちゃって、傍から見ると「え?こいつなんなの?」ってなることってあると思うんですよ。本気なの?って周りから見るとわかんなくなるっていうか。
MASAYAも昨今はそういう状態にいるような気がしなくもなくもないです。
といっても直接見てるわけじゃないので、サイトのコメントだけの印象ですけどね。
山師で一発狙っててそのために都合のいい教義をでっちあげて…とかやってるうちならいいけど、本人も自家中毒しちゃってるような状態だと、なんか周りからは手に負えない気がしますね。自分自身でもわかんなくなってるんじゃないかっていう気がするし。

あと、マインドコントロール否定論みたいなのが載ってて、つまりセミナーなんかで引っかかる人は別にマインドコントロールにかかっているわけではなく本人の意志でそういう状況に入っていくのである、みたいな話だったようです。
これは、ちょっとわかるような気もしなくもないかな。
私も「TOSHIの人間が全部変わってしまった」とは思わないとは書いてますよね。冷静な頃の長文でも(笑)。実際多分コンサートとかではMASAYAに否定的な人でもTOSHIのことは肯定している人もけっこういます。きっと、直接接したらTOSHIらしさが端々に見えるんだろうなと想像してます。また、おそらく、意志としてはそれ以前から地続きなのだろうとも書きました。GRACEからその萌芽はあったと書きましたし。そういう状態がマインドコントロールと呼べないのであれば、マインドコントロールではないとも言えるでしょう。
ただ、私が認識しているマインドコントロール手法とは「視野を狭め」「判断力を奪う」手法なんですよ。だから、本人の意志としては継続しているし、人間も変わらないけれど、その視野が極端に狭められ、判断力を奪われているんだろうという状態を指して、マインドコントロール状態にあると書きました。

だからさ、マインドコントロールとは言ってるけど、TOSHIに対して、被害者でもあるけれど、やっぱり一人の大人としてこういう団体に関わった責任を和らげてあげる気にはなれないですよ。
今のTOSHIも「TOSHIではある」と思ってます。
彼はもともとこういう人間ではあったと思っています。
上記の本の「マインドコントロール否定論」を読んだら、マインドコントロールだと言ってるからと言って、「こいつはTOSHIじゃない!」なんて思っているわけではないということだけは強く言っておきたくなって。改めて書きました。

今のTOSHIも、TOSHIですよ。
そして、私はそのTOSHIの今のありかたは、受け入れられないと言っているのです。
MASAYAに依存する彼を受け入れることはできない。
YOSHIKIと一緒にいた時期は、もちろん状況的に事実上依存してたとは思う。
でも、ヤツはソロを始めて、それを何年間にも渡って続けていたわけだし、少なくともYOSHIKIに依存したそのままでいいと思っていたわけではなかったはずです。YOSHIKIには敵わないと思っていたかもしれないが、それでも、少なくとも自分自身であろうとはしていたでしょう?
そして、私は、その自分自身を表現していたソロを好きだと言っているのです。
弱い人だとは思うよ。でも、その弱さを、GRACEっていうアルバムでステキな歌に昇華していたじゃない。
どうして、そんな自分自身を捨ててしまうんだよ。
わかるんですけどね。多分そうやって自分自身であろうとすればするほど、YOSHIKIと自分を比較してしまい、届かない自分を自覚してしまって、苦しいばかりだったんでしょ?でもだからって、誰かそばにいて支えてくれないといられなくて、MASAYAにべったりくっついて、あげく自分自身を捨ててんだよ?今。
それが、どれだけ卑怯な逃避かって本当にわかんないの?

…って、何回同じことを繰り返して書いているのでしょう(笑)。
正直根っこを書こうとすると、TOSHIに関してはこれしか書けないんでしょうね…。

Posted by koko at 04:46 AM | Comment (0)

ご無沙汰です。

2004.07.11(Sun)

が。懲りずに同じことを言いにでてきました(苦笑)。全然別のところで「いや、だからさ…」と言いたくなるような文章を拝見したもので。
まったくTOSHIとは関係のないサイトさんで、こんなところからリンク張られても迷惑なだけなのでリンクは張りませんが、大好きなサイトさんなんです。更新されるたびに通ってて、全体としての主張にはとても共感しているんですが…
前々からSMAPの「花」に関してだけは、真逆の意見なんです(笑)。
ってあちらさまはこんな辺境サイトのことは知りませんから、一方的に真逆だと思っているだけなんですが(笑)。

詳しくは書く時間がありませんし、繰り返しになるだけだから、簡潔に。
確かにいまの世界は癒しを求めているのだろうと思う。だからこそ花があれほど売れたのでしょう。そして、その癒しっていうのは、いま、「あるがままの自分を肯定する」という形を取って出てきているのでしょう。
私は、ぶっちゃけ世界が競争社会からそういう社会に変貌しつつある…というのなら、それはそれでよいと思います。
大本の意味では、「あるがままの自分を肯定する」という言葉の内容自体には反対はしてません。というよりも積極的に肯定しているし、そもそも私は本来そういうスタンスの人間なんです。

けれど、それは、表層的な「競争をなくすべきだ」とか「社会の階級を無くすべきだ」とか「観念を植え付けちゃいけない」なんて方向に発動するようなものではないはずです。
たとえば「負けず嫌いな自分」も「勝利に喜ぶ自分」も「ありのままの自分」ではないのですか?「褒められて嬉しい自分」も「ありのままの自分」ではないのですか?
「そういった感情を植え付けられる教育が悪い」とHOHなどは言うのですが、私からすれば、そういった感情があることも知ることもできないような閉ざされた環境で一方向に育てられるほうが、はるかに恐ろしいです。自分がそもそもそういう選択肢があることも知らずに生きていくかと思うと。

たしかに、TOSHIが育った頃の社会は、あまりにも一方向に向きすぎていたのでしょう。高度成長期ですもんね。それは理解します。それはやはり偏っていたと思う。そのなかで「ありのままの自分でいい」と言えるまでが大変だったという状況は理解します。
けれど、だからと言って、そういう方向を一切排除するHOHの言う世界は、同じ地平線上で逆方向に恐ろしい世界なわけですよ。
どっちも教えてもらわないと、そしてその上で生き方を選択させてもらえないと、困るわけです。

花もTOSHIも同じ罠が仕掛けられているような気がしてなりません(花は無自覚でしょうが)。
「ありのままの自分でいい」ということを実感するために、他の生き方を否定する、というね。
それは根本的に「ありのままの自分でいい」という言葉の本質を否定してしまいますよね。
「No.1にならなくてもいい」のは事実です。でも、「No.1になってもいい」んです。それはまったく等価のはずです。No.1になることを否定する必要はないし、否定したらおかしい。それぞれの価値観にしたがって行動すればよいだけの話です。
TOSHIが言ってることは、他者に対しての「存在の否定」なんです。競っている人たちのあり方を否定したら、その段階でTOSHIが槍玉に挙げる「競争に負けた人たちを認めない社会」と同じ穴の狢です。

ポイントはそれぞれがそれぞれの価値観を認め合えるかという一点にかかっていて、価値観そのものについてうんぬんされるいわれはないわけです。それぞれの価値観を認め合えるなら、おのずと「ありのままの自分を肯定」することになるはずです。「これが自分だ」「これが自分の生き方だ」と肯定できますよね?

TOSHIは「生き方」の啓蒙をしていますが、それ自体はまあ構わないのですが、啓蒙をする際に常に「他の生き方を否定する(他の生き方をしてきたが、つらかった。死にたかった等々)」という方法を使っています。これが、ダメなんです。HOHなんかは他の価値観を「観念」という言葉で完全否定、存在抹消するわけです。とんでもない話ですよ。
そんでもって、この方法論でもって「世界がひとつになれば」ですからね。恐ろしいことこの上ないです。

ミスチルの掌って曲があったじゃないですか。あれがこの辺の感覚に関してわかりやすいと思うです。
あの曲は、道筋は見えていないなかでも、本当の意味での(…ああ、HOHっぽい言い回しだな…いやん)「世界がひとつになれば」という希望を歌っている歌だと思います。だからこそ「ひとつにならなくていいよ」と歌っている。
この詞と比べると、TOSHIの言う「世界がひとつになれば」がいかに問題があるか、怖いことか、如実に見えてくるように思うのですが。

…さぁ、どこが簡潔だったのでしょうか(笑)。ごめんなさい(^^;;。

Posted by koko at 04:19 AM | Comment (0)

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