Under the Sun

Archive/June 2003

2002/04/21 アンコールスタンディングスペシャル 東京BAY N.K.ホール

[ライブレポ] 2003.06.02(Mon)

今度こそ、本当に最後のFILM GIG。のはず。終わっちゃうのはさみしい…はずなんですけど、先日の国際フォーラムでさんざん終わっちゃうさみしさを噛み締めたせいか、追加は全体に棚からぼた餅的にただただ楽しかったりしてまして。フォーラムのときの登場で、YOSHIKIが復活してくれたという実感がいつもよりかは強いせいもあるかもしれません。

そんなわけで私的にはすっかりお祭り気分でうきうきと追加最終です。

この日の会場。

Xは基本的には晴れバンドだったはずなんですが。ひどい雨です。どの雨男が来てんだよ畜生、と思いましたが、どちらかというと、この段階で誰かさんは来ていないのだとも言えたかも(笑)。

会場外、大混雑の屋根の下でトレカを開けていたところ、そのすぐそばで気合入れが始まる。スタッフさんがメガホンで「こちら、これから列を作りますので、おやめください〜」とそんなにヒステリックでもなく注意をしているんですが、やっぱり止まりません。聞こえているのかも怪しいところ。で、結局最後までやっちゃいまして。しょうがねぇなぁという雰囲気でいたところ、気合入れを呼びかけたと思われる男性が「ご迷惑をかけてスイマセンでしたッ!!」といかにも体育会系な謝罪を叫ぶ。そしてそれに「いえいえ、どういたしまして」と笑うでもなくメガホンで答えるスタッフさんもとっても素敵(笑)。なんだか…やっぱりいろいろ迷惑もかけるしいろいろ問題も多いかと思いますけども…このバンドのファンもこのバンドを取り巻くスタッフも…好きだな…………(笑)。

まったりと開演前。とつぜんSEでsg.「紅」のC/Wである「20th Century Boys」が流れ出し、スタッフが出てきてデカ風船をいくつか飛ばしてくれたりなんかして。だからどうして突然こんなことし始めるかなここのスタッフたちは(笑)。愉快すぎですよもう!(笑) そのあとはあんまり気付いていた人はいないようでしたが、5/16にリリースというhideちゃんのソロバージョンのMiscastがこっそり流れてました。

ちなみに本日も再び前座も前置きもなし。でもあとで判明したことですが、レディースルームのGEORGE氏は呼ばれていたようです。どう考えても司会をしろとゆーことだったと思いますが、結局仕事はなく、Xジャンプをしていた模様。<しなくていいって。

いまさらサンタのシーンの話、その他。

えっとずっと聞こえてなかったんですが。秘蔵映像「サンタの衣装を着るYOSHIKI」のところで、衣装を着たYOSHIKIさんのところにHIDEちゃんがやってくるんですね。HIDEちゃんも着てるんですが、このひとはなんだか普通に着こなしてまして(ただ上着を羽織っているだけだし、そのうえ下に着ている緑の衣装と合わせると単に赤い上着に見える…(笑))。で、普通に着こなしてるHIDEちゃん、帽子に白ヒゲまでつけているよっちゃんに「かわいいよ」とか言ってあげてます。そ、そか。かわいいのか。うん、かわいいよね……(笑)。

あと、ステージに出て行くときのサンタ衣装のYOSHIKIさん、めっちゃ恥ずかしがってます(笑)。後ろを向いてこそこそこそと出てきたりして。その横で上着&帽子って姿にもかかわらず、堂々としているHEATH。あまりにも対照的で笑えます(笑)。さらに恥ずかしがっておずおずと(^^;;歩いているよっちゃんの奥で、余裕で水なんか飲んでいるHEATHがやさぐれサンタ風でなんだかロックです(笑)。ある意味かっこいい(笑)。

さらに秘蔵映像ネタ。楽屋で先にメイクが終わったのかヒマそうなYOSHIKIさん。最初にヘアメイク中のHIDEちゃんのところに行ってなにを話しているのかはわからんのですが、そのあと同じくメイク中のHEATHのところに行って、一言二言話したあとに突然「歯医者、行った? 行くよ、歯医者」。飲み物を飲んでいたHEATH、それを聞いて吹き出してむせてます。何だよ歯医者って。お前が行くんか? さて、HEATHをむせさせて、またHIDEちゃんの方に行きながら「TOSHIは〜?」。ヘアメイクさんの横をうろちょろしながら(邪魔だろーに…)、はさみを手にしてHIDEちゃんの後ろ髪を切る真似をしながら、「切っちゃおうかな〜」。はさみを置いて、HIDEちゃんと鏡の間に身体を入れて(さらに邪魔じゃないだろうか?)、テーブルに置いてあるタバコを手にして「ライト?」とかHIDEちゃんに種類を訊いている模様。んで、背後からカメラを構えてこっそり近づいていたTOSHIに気付いて「わぁ!カメラやめてよ〜!」と騒いで(笑)、鏡を持って逆襲。てな感じが、ある日の大将の行動記録でした。……しみじみ怪獣って感じがする(笑)。

天からの声。

さて、終了間際。昨日いなかった段階で半分ぐらいはあきらめ入ってたんですが、半分ぐらいは希望もあったんですけど。国際フォーラムにて登場したENDLESS RAINも何事もなく過ぎて、エンディングのTearsに入ってしまいました。あ、やっぱりいませんね(笑)。L.A.帰っちゃいましたね。残念だけど楽しかったからまぁいいかぁ。

と思っていたら、SEのTearsの音が急に絞られまして。「ん?」と思ったら。「…………もしもし〜?」と天から声が降ってきました(笑)。おおおお?あまりにも唐突で緊張感のない台詞に思わず「…え?なに?よ、YOSHIKI?」と呆気に取られていると、YOSHIKI「もしもし?あれ?聞こえる〜?」とさらに気の抜ける台詞(笑)。うわぁん、間が抜けているけど、YOSHIKIだぁ〜!

しかし、基本的にこの人には臨機応変のひとりしゃべりをさせてはイケマセン(笑)。ほとんど打ち合わせもなくとりあえず電話をかけてきているらしく、なんだかわけがわからない。微笑ましいというか、バカだというか。話した内容は「LAでレコーディングをしてまして」「行きたかったんですけど、どうしても行けなくて。ごめんなさい」「LAはいまは夜中の2時……(笑)」「フィルムどうだった?」「楽しかった?」えーと。これ、全然スムーズに話してませんで、あいだ何度も照れちゃって笑ったり詰まったり困ったり話が行ったりきたりしています(笑)。

さらに、突然思いついたらしく「感想でも聞こうかな。マイクとかありますか?」で、誰かがマイクを受け取って、なんだったかなぁ。「ありがとうございますー!!」だかなんだか叫びまして。「ありがとう。でも叫ぶと聞こえにくいよ(笑)」あ、そう(笑)。「じゃあ次…HIDEコスの人」指定かい(笑)。でも、なかなか話す人を見つけるのに時間のかかっているスタッフ。その間、間が持たないYOSHIKIさん、意味なく困惑照れ笑いをしてみたり、やっぱり間が抜けています…(笑)。

次、出てきたのはTOSHIコス。「HIDEコスじゃないですけど。見えてますか?」「ごめんなさい、見えてません(笑)」「今度見てください」「あ、一回見ました。作るときに」……いえ。そういう意味ではなく。この会場を見てくださいとゆー意味だと思うんだけど…。あいかわらず話の噛み合わない人です(笑)。TOSHIコスさん「来てくれると思ってました」うわぁ!言うか!!(^^;;YOSHIKI「ごめんなさい!!」(これは苦笑しつつ思い切り謝ってます)「あ、いえ、そういう意味じゃないですけど。頑張ってください」「はい、頑張ります」……てな感じだったかな。

続いて「じゃあ〜…YOSHIKIのコスプレの人!(笑)」(また指定かい)。しばし探す時間があって出てきたYOSHIKIコスさんはパニクってしまっていてまともに話ができません…(^^;;。「どうしよう〜(T_T)」とか小声で隣の友達に言ったりしてるんですが、電話の向こうのYOSHIKIさんはなにがどうなっているのかさっぱりわからず、ひたすら困惑笑い(笑)。ああ〜間が抜けている…(笑)。

で、とりあえずファンとの会話は終了。確かこの辺で「またしばらく会えないんですけど」「今年の秋には復活する予定です……けど、少しズレるかな(笑)」すでに遅れる予告(笑)。「ステージにも戻ろうと思っています」「何年後かわからないけど、またFILM GIGもできたらいいなと思います」な、なにい?!予想外の発言です!「またみんなが集まれる場所が作れればいいと思って…」……それってほとんど同窓会ではないでしょうか(笑)。あと「今年はいい年にしましょう……もう春か(笑)」。はい、もう4月ですよ。

終始、ちゃんと会場に聞こえてるのか繋がっているのか不安そうで戸惑いがちにひとりしゃべりしてましたYOSHIKIさん(笑)。まったくもう…いつまで経っても慣れなくて可愛いヤツだなぁ…(笑)。

…こっそりと、よっちゃんへ

冒頭に書いたとおり「今回こそ最後のFILM」のつもりで行っていたのですが……最後じゃなかったみたいです(笑)。うん、何年後でもあったら、また行ける限りは行きますので、待ってます(笑)。VUKでのよっちゃんの復活も心から待っておりますので、好きなように頑張ってください。先刻は生来のツッコミ心に負けてツッコミ入れまくってますが、本心はあと一年だろが二年だろが、どれだけ遅れても余裕で待ちますから。

YOSHIKIさんのいいように、好きなようにしてください。本音はこれです。

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TOSHIについて・index

[TOSHI関連雑記] 2003.06.08(Sun)

何度も書こうとしては玉砕してきた「TOSHIについて」。今度こそはと思ってますが、どうなることか。

TOSHIの現状について一言で言いますと、Xやその周辺から完全に決別し、倉渕雅也(MASAYA)氏主催のレムリアという団体(現在はホーム・オブ・ハートと改名しているらしい)に身を寄せています。そしてそのレムリアに身を寄せた経緯がマスコミで取り上げられ、かなりの騒動を引き起こしました。あれから5年が経ちますが、現在も報道されたときと状況はほとんど変わっていません。

私のファンとしての動向は、98年報道時、激しく動揺しました。あまりにも動揺したので、一時TOSHIからは離れておこうと決意、そのまま現在にいたっています。一応、緊急対処のつもりだったんですが、そのまま5年が過ぎちゃいましたね…。もうここまで来たら5年だろうが10年だろうがなんだろうが、構いやしませんが(笑)。

ここで書こうと思っている内容は、私が思うTOSHIについてのすべてです。いまだ未整理のところもあるし、自己矛盾も多々あるけど、思うことがものすごく大量にあるので、一応自分なりにまとめておきたいなと思っています。

いまとなっては98年以前のTOSHIソロを知っていた人も減ってきているであろうし、いまさら聴こうという人も少ないでしょう。また騒動自体もレムリアもあまり知らんとゆー方もいらっしゃると思いますので、推測混じりの説明(わからないことも多いのです)もしつつ、話を進めていこうと思います。結果的に事実に対しての、私の認識を明らかにすることにもなるだろうし。そんなわけで、ものすごく長いです。ごめんなさい。

この文章を書くに当たり、一応調べはしましたが、誤りも多くあるかもしれません(私の記憶ははっきり言って何の役にも立たないし)。事実誤認などありましたら、ぜひ教えてくださいませ。それから、98年時のことを調べる際に、「WhitePoem(リンクページ参照)」様のなかにある、一連のTOSHI関係のスレッド、及び、98年当時のTOSHIのマスコミ露出の際のインタビューなどを総括したページを、特に参考にさせていただきました。

TOSHIとToshiの表記は特にわけていません。それから、レムリアは上記の通りホーム・オブ・ハートと改名しているようですが、ややこしいし、いつ変わったのかわからないので、一貫してレムリアで記述しています。

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TOSHIについて1「TOSHIソロの大雑把な紹介」

[TOSHI関連雑記] 2003.06.09(Mon)

昨今ではすっかり「洗脳された人」というパブリックイメージで固まってしまい、それ以前のTOSHIソロとゆーのはほとんど知られていないのではないかと思います。別に過去のTOSHIソロを聞くべしなどとは思いませんが、原点ではあります。ここを飛ばすと98年以降の現状に関してもわかりにくいと思うので、とりあえず大雑把に彼の98年までのソロ活動を整理してみます。

また私は一応ソロデビューから1998年まで彼のソロ活動を継続的に見てきました。関東近郊のライブはだいたい行っているし、インタビューなどもずっと読んでいました。なので、流れとして感じるところもあります。その辺の私感なども付け加えてみます。

ソロデビュー〜1stアルバム「made in HEAVEN」

92年TOSHIのソロデビューを皮切りに、Xのメンバー全員がソロをはじめていくわけですが、言い出したのはYOSHIKIだったという話です。「全員がソロでばらばらにひとり立ちして、かつバンドをやっていくというスタイルがいいんじゃないか」と(実際YOSHIKIのソロ活動ってXが忙しすぎて全然形にならなかったけど、契約自体は早かった)。で、彼はボーカリストだという単純な話でひとり立ちしやすいですから、92年から即座にソロが始まってます。ちなみにデビュー曲である「made in HEAVEN」のシングルはhideちゃんがギターソロを弾いてますね。

そして92年11月には早々とデビューアルバム「made in HEAVEN」がリリース。このアルバムでの、髪を下ろしていかにもJ-POP(場合によっては歌謡曲ちっく)な歌ものを歌い上げるというTOSHIソロのスタイルは、Xファンには仰天だったはずです。が、個人的にはまだはまって一年足らずだったのでナチュラルに受け入れてました。「ほぉ。こういうものなのね」とすごくナチュラルに(笑)。アルバムでは「Somebody loves you」でPATAちゃんが参加してます。THE ALFEEの坂崎幸之助さんもいますね。

内容的にはとにかく、アコースティックから、R&Bから、アメリカンロック、果ては歌謡曲かいなってとこ(「Stranger in my love」なんかは92年当時でもすでに近藤マッチか西城秀樹かと思うぐらいに古臭かった)まで、何でもかんでもぶちこんであったという印象です。作曲作詞も、多少TOSHIも手がけていますが、基本的には外注。とゆーわけで「ボーカリストTOSHIがいろいろ歌ってみました」というのがこのアルバムでしょう。私は「Welcome to my destiny」という曲が好きでした。久しぶりに聞いてもいちばん覚えていたのはこの曲でしたね。作詞作曲ともに外注ですけど、いいですよね。このタイトルが妙にTOSHIらしいし。<「Voiceless Screaming」の歌詞参照。

個人的な印象ですが。真っ先に活動をはじめたこと、その後もずっと活動を恒常的に続けていたこと、最終的にXを脱退していることなどから、TOSHIはXのなかではすごくソロに積極的だった印象が強いのですが、とっかかり自体は成り行きだったのではないかと推測しています。理由は、まず上記の通りソロの話はそもそもYOSHIKI発案だったらしいこと。91年以前に私が知る限りではソロ活動を考えているらしい雰囲気はないこと。そして最大の理由。この92年ごろのTOSHIソロは、「Xでできないこと」という以外の明確なヴィジョンがなかったような気がするからです。

「made in HEAVEN」の音の傾向は「歌もの」。そして、それ以外の傾向が見つけられないぐらい、とっ散らかってます。それにhideちゃんやPATAちゃん、坂崎幸之助氏をゲストミュージシャンとして呼んでいたり、基本的な発想が「お祭り」なんですよね。普段できないことをやるぞって言う。てなわけで、とっかかりは継続的な活動としては考えていなかったんだろうと思うのです。まぁそこまで深く考えてなかっただけだという気もしますけど(笑)。

音的にかなりバラエティに富んだこのアルバムの共通項は、「Xではやらない曲」それに尽きています。もともとなにか作りたいことがあって始めたのではなく、まず「ソロをやる」ことが決定していて、じゃあなにをやろう、普段できないことをやろう、っていう発想ですよね。自作曲が少ないのもその辺の所以かなと。なにを書くのか、自分でもいまいち方向性が決まってなかったんじゃないでしょうか。

93年2月にNKホールで行われた初ソロライブも、二日ともHIDEちゃんPATAちゃんHEATHが登場するというサービスっぷり。さらには一日目には坂崎幸之助氏、二日目には福山雅治氏もやってきました。これも、お祭りでしたね。

ソロ一歩目としての「Looming」からハムレットまで

「made in HEAVEN」後の動きですが。NIGHT HAWKSの青木秀一氏との出会いがあって、93年5月には「Looming」というシングルがリリースされました。TOSHIは作詞を手がけてますが、個人的にはこれがTOSHIのソロとしては第一歩だったのではないかと考えています。お祭りノリから踏み出して、彼が表現したい、伝えたいことを形にした、最初のソロ曲だったのではないかと(ちなみにVoiceless Screamingはソロではないけど、TOSHIのなかでは同じ流れの曲だと思いますが)。

「確かめたいのさ 望んだものだけを信じ 求め続けた 日々の意味を」なんてあたりがすごくTOSHIらしいというか、ナマの言葉だなと思うのですよね。そういうナマの言葉を歌詞として出してきたって意味で、TOSHIソロの流れのなかでは大きな意味のある曲だと思います。

ちなみにこの曲のラストの「紅の色が褪せ始めた この丘降りよう 戸惑いと切なさ置いて」は当時ファンの間でも話題になったようですね。私は周辺にファンがいなかったのでウワサは聞いてませんでしたが、一読した瞬間にやっぱり「……これってさあ」と思ってはいました(笑)。「えっ、紅の丘降りちゃうのかい」っていう(笑)。いまでも私はそういう意味を含ませていると考えています。でも、そういう意味を含ませてあったとしても、やっぱりこの曲はTOSHIの思いが、よく出ていてすごくいい曲だと思います。実はそれまではTOSHIソロはあんまりピンと来る曲がなかったのですが、「Looming」でソロ大好きになりました。ま、そういうことで私自身にとっての始まりの曲だから、第一歩と感じるのかもしれないですが…。

で、第一歩を踏み出したかと思ったら、その後なんかシングルを連発し、あげく、ROCK OPERA「HAMLET」の主人公ハムレットまでこなすTOSHI(笑)。当時はかなり面食らいましたね(笑)。

まずシングルリリースについて。93年5月に「Looming」、9月に「PARADISE」、12月に「Always」と「My Treasure」がリリースになってます。PARADISEはとんがりコーンのCMソングとしてお茶の間に流れまくり、多分TOSHIソロでいちばんヒットしたんじゃないかな。それからMy TreasureはポッカコーヒーのCMソングでした。しかもTOSHIの絵がCMに出ていて、その絵がちょっと怖かった記憶(^^;;。多分タイアップをがんがん取っちゃって、その締め切りに追われていてこういう状況になっていたんじゃないかなと推測しています。

それから93年11月ごろにROCK OPERA「HAMLET」の公演がありました。主演です。金髪サングラスのハムレット。出演者を見てもローリー寺西にデーモン小暮、山本リンダなど、どうにもこうにも色物企画だったわけですけど。TOSHIはステージ上をローラースケートで滑ったりしてました(笑)。実は、この話がきたとき、最初はHIDEちゃんが反対したんですよね。Xの活動をかなりお休みすることになるし。でも、結局YOSHIKIが「いいよ」と了解して出演が決定したんです。でもってHIDEちゃんはちゃんと中野サンプラザに見に行ったという(笑)。あと、YOSHIKIが出演者の顔合わせの際にいきなり、あたかも保護者のように現れたという話もありましたよね(笑)。あと、一応。オフィーリアはオーディションで選ばれた女性でした。このオフィーリア香さんが、のちのTOSHI夫人です。

「Looming」路線を進めた2ndアルバム「MISSION」

93年のシングルリリースラッシュのあと、94年6月に2ndアルバム「MISSION」がリリースされました。1stがJ-POPや歌謡曲方面だったし、93年のシングルもいかにもCMソングなポップな曲が続いていたので、いったいどうなるのかなぁと思っていたら、いきなりハードロック方面に進みました(めちゃ意外でしたが)。でも、ハードロックといってもXとは全然方向が違って、アメリカンな感じです。

このアルバムについて、私が思うこと。まず、いちばんヒットしたであろうPARADISEを含むシングル曲が入っていないこと、MISSIONというタイトル、先行シングルが「Bless You」だったこと、この辺から推測するに、この時期のTOSHIはわりとシリアス方面に行っていたように思います。シングルラッシュなどいろいろ周辺の状況、レコード会社の動きなどがあったにせよ、TOSHIソロ自体としてはLoomingの流れを継続しており、かなりシリアスに言いたい、伝えたいことがあったのではないかと思います。Loomingで、自分の気持ちをナマの言葉で表現する場としてのソロを始めて、それを推し進めていったアルバムだと。

作詞が増えたのもその傾向のひとつでしょう。次のGRACEに比べるとまだ多少YOSHIKI詞の言い回しの影響は残っている気がしますが、言いたいことはほぼ定まってきていて、無理が減ってきている気がします。むしろ無理を感じるのが、「Rusty Eyes」や「CHASE OF TIME」とかのハード系の歌詞(笑)。「こういう語彙自体があんまりTOSHIの中にはなかったのではないか」という印象で、MISSIONはハードロックアルバムと言われていますが、逆に私としてはそのハードロック曲のほうこそに無理を感じてましたね。当時。

個人的にMoonstoneという曲が大好きだったのですけど、この歌詞の「想いは遥か 消えそうになっても あなたの夢 かならず 叶うように祈る」って、「祈っちゃうあたりがTOSHIだよなぁ」(笑)と思って、大好きでしたね。この辺が多分TOSHIの素の言葉で、素の感覚ですよね。このアルバムはそーゆー素のTOSHIが端々に見えるところが好きでした。

TOSHIのスタイルがいったん完成した「GRACE」

「MISSION」から一年も経たずにリリースされた3rdアルバム。またがらりと方向が変わって、ハードロックのハの字もなく、どちらかというとアコースティック中心の音作り。作詞はすべてTOSHI、作曲も半分弱手がけています。

このアルバムについては、個人的にもとっても思い入れが大きいのですが、TOSHIソロのなかでひとつの到達点であり、かつ分岐点にもなった重要なアルバムであると考えています。

MISSIONからあまり時間が経っていないにも関わらず、言葉の選び方が明確に変わっています。実はかなりスケジュールに追いまくられて慌てて作ったアルバムらしいのですが、それが逆に気負いを忘れることに繋がって、TOSHIの普段思っていることがストレートに出てきたような気がします。それまでは歌詞なんだから、ロック的な言い回し、歌詞っぽい言い回しをしないとという感じで、かなり言葉を選んでいたのが、このアルバムで突然彼がフツーにMCやラジオで使っていた言葉を使ってくるようになった印象です。

私は、Loomingのときから、彼が自分のなかの「ナマの言葉」「素の言葉」を歌い上げるときにこそ、「TOSHIソロ、いいよなあ…(;;)」としんみりしてきた人ですから、これは本当大歓迎でしたね。なにを歌うのかよくわからないまま作った1st、端々にTOSHIソロのスタイルが見え始めたもののまだ無理が仄見える2ndときて、3rdでようやく気負いなくナマの言葉を歌ったと。そういうわけで、個人的にはこのGRACEはTOSHIソロの傑作で、デビューから進んできたTOSHIソロのひとつの到達点、と思っているのです。今もって、このアルバムは大好きです。

ちなみにこの時期のTOSHIは、いろんなことを信じることができていた時期だったような気がします。もともと根本的には素直な彼のこと、当時は普段からそんなネガティブ方面に突っ走ることはなかったけれど、この時期は特に信じるところに向かって、はじけてるなぁと(笑)。

「きっと 何かいい事が 起こってしまう自由を 君をそっと抱くように深く感じて」「深い悩みさえ そこからの贈り物」「苦しみのなかでもがき嘆き続けていても 太陽が朝を運ぶように 信じ始めたなら You can find your dreams」「君が存在してる事を 愛し始めたなら you can find your love」などなど。恥ずかしいぐらいに(笑)素直な言葉ですよね〜。

なかでも「Beautiful Harmony」はここまで言ったかというぐらい、はじけてます。「愛する言葉は愛だけ伝える」「希望の言葉は 希望を伝える あなたが「絶望」と言うなら…」「届けよ あいつのもとへ 響けよ 宇宙までも」てな感じで。ここまで言っちゃってたのです。でも、ここまで言ってしまうTOSHIに本当に感動していたのですよ、私(笑)。

この時期、TOSHIはもちろん、苦しみを「ない」とは言いませんでしたが(ここで取り上げていないだけで、歌詞でももちろん苦しみや迷いにたくさん言及してます)、それを乗り越えて行こうという意思表明がこのアルバムでした。と、私は思っています。乗り越えていこう、乗り越えていけるよ、という彼の素直な気持ちがそのまま出ている曲たちだったと思います。

私とかは、そうそう乗り越えていこうと言われてひょこっと信じることができる人じゃないですが、でも、そう歌うTOSHIはとても素敵に見えました。彼のメッセージが正しいとか正しくないとかそういうことではないんですよ。それが真実かとか、そんなのも関係ないんです。ただ、私は「届けよ あいつのもとへ」と歌うTOSHIという人が、その彼の姿が、とっても好きだったんです。そういうことなんです。

分岐点としての「GRACE」

これだけお気に入りで今もって大好きなGRACEなので、分岐点だったと考えるのは、個人的にとほーな気分ではあるんですが。でも、実際私の目にそう見えているのだから、書かないわけにもいかない…ってことで書きます(笑)。

この時期のTOSHIがある種のメッセージ性を強めていたことは、前段で引用の歌詞からもうかがえると思います。もっともメッセージ性が強いのは、やはり「Beautiful Harmony」ですね。私はこの曲のTOSHIがすごく好きです。これは私としては「引いてしまうライン」前の曲だったので、かまわなかったんです。が、その先に「引いてしまうライン」が見えたことは事実です。つまりこの曲はオーケーだったけれど、この思想を推し進めていくと、私も引かざるをえない危険な域に入りかねない気配は漂っていたと(笑)。

私はTOSHIの思想に惚れていたのではなくて、TOSHIという人が見える表現そのもの(…ってことはつまりTOSHIという人自体…?)が好きだったので、私とは相容れない思想が彼の表現の中にあっても別に全然困りはしなかったです。とゆーか、GRACEは大好きだったわけだから、困るどころじゃなかったんです(笑)。まぁ突き進んだなぁとは思ってましたが。でもこの辺は根本的にTOSHIを信用してまして、究極のところではバランス感覚が働くであろうと……楽観していたんですよねぇ…(^^;;。

話がまとまりませんが。つまり、GRACEでは、すでにその種の思想に行くかもしれない萌芽は見えていたわけです。そして、私自身当時すでにそう感じていたんですよね。ただ、GRACEの段階では、そういう考え方もあるというレベルに留まっていると思います。この段階に留まっていたならば、単なるひとつの考え方に過ぎないし、問題はない、と私は考えています。結果的に現状がこうだから「95年からすでにTOSHIはおかしかったのだ」と言われてしまうかもしれないけど…。

4th Album「碧い地球の旅人」

前作から2年近く空いてリリースされた4枚目「碧い地球の旅人」。この間はXのDAHLIAがリリースされてますので、おそらくXのボーカル録りでまとまったソロ活動をできる状態ではなかったんでしょうね。その間、川田龍平氏と親しくなり、一緒に本を出したり(ゲストで川田氏が来たこともあったね)、マスコミで交流が伝えられたり、そういうボランティアやチャリティーといった活動にかなり接近していました。

音的には「GRACE」が素朴なアコースティック中心の音作りだったのをさらに推し進めた…というよりも一部強調したというべきでしょうか。ヒーリング音楽にとても接近しました。接近というかそのままかも(笑)。GRACEとは印象がかなり違います。曲タイトルを見ただけでもいわゆる普通のポップソング(TOSHIはわりと一般的なラブソングを普通に歌ってきた人ですので)から大きく離れたことがわかります。「さまよえる地球人」「HANA〜いのちの芽ばえ〜」「ガイアの祈り」とかね。

前段で述べたとおり、GRACEの一部からある種の思想に行くことも可能だなぁとは感じていたのですが、まさか本当にどストレートにヒーリング音楽に突き進むとは思いもしなかった私。GRACEの先に見えていた道のなかでもあまり可能性が高くないと見ていた方向に進んでしまった感じでした。それで、「ああ…そっちに行っちゃったのかあ…」と。でも、まだこの辺でも私は全然楽観的で、「ああ、かぶれちゃったのね」と思ってました。一時的なものと認識していたわけですね。

アルバムとしては、個人的にTOSHIソロで好きだったのはどんな姿であれTOSHIという人の姿そのものが歌として表れるところでしたから、ヒーリング音楽で地球だの宇宙だのという方向に進むことはあまり嬉しくありませんでした。もっとナマの彼の姿を見たい人だったので。正直、リアルに感じませんでしたし。なので、私的にはこのアルバムは評価が下がるんです。でも、まだ先を期待していたので別段失望とかはありませんでした。前回だってGRACEに辿り着くまで3枚かかってるんだから、今回も3枚待ったらこなれてきていいものができるんじゃないかなぁとなんとなく思っていたものです。

ですが、このアルバムに関しては当時は知らなかった事実があります。まず、TOSHIは当時香さんと付き合っていて彼女が深く内容にも関わっていること(表面的には別名で作詞に参加。でも影響は当然それだけではなかったでしょうね)。彼女がもともと倉渕氏に深く傾倒していたこと。TOSHIもセミナーはまだ受けていなかったけれど、CDや香さんを通じてすでに傾倒していたのではないかと思われること。

結果的にはこれがリリースされて1ヵ月後に香さんと結婚、3ヵ月後にはXを脱退することになります。

その後。

X解散後、98年4月に葉加瀬太郎氏とコラボレーションアルバム「壊れた世界でカナリヤは歌う」がリリースされました。先行シングルの「Natural High」が元気な曲だったし、葉加瀬氏とのコラボレーションも楽しそうにやっていたので、そういう方向なのかなと思っていたら、TOSHI作詞の曲はおそろしく内省的なものでした。

半分ぐらい作曲作詞してますけど、音的には葉加瀬氏が主導のアルバムなので(プロデュースも葉加瀬氏)、音楽的にはTOSHIソロの流れに入れるのはちょっと違うかなと思います。ただ、このアルバムでの内省的なTOSHIの歌詞は、当時の彼をすごくよく表していると思います。聴いてて本気でつらいけど(^^;;。彼の悲鳴のようなアルバムですよね…。

そして、カナリヤ以降、私はもうまともに聞いておりません。「君はいないか」だけはテレビとかで見ましたが、一曲だけでは音的にどうなったかはちょっと不明。とりあえずTOSHI自作の楽曲(作詞含め)がなくなったとは聞いています。

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TOSHIについて2「洗脳騒動の経緯。」

[TOSHI関連雑記] 2003.06.15(Sun)

1998年9月、雑誌及びテレビで、TOSHIの洗脳報道がされました。ワイドショーなどでもトップ項目に近い扱いで連日取り上げられ、わりとマスコミに近かったX関係の過去の騒動の中でも、一二を争う規模だったと言えると思います…とほー。

ここでは洗脳報道の経緯、それから、その報道のなかで出てきたTOSHIとレムリアアイランドレコード(倉渕氏)との関わりについて、書いておこうと思います。わからないことも多いので、推測混じりです。

実を言うと洗脳騒動前後の肝心な時期の記録が、私の手元にはほとんど残ってないんです。「君はいないか」リリース時にNHKの「世界悠々」でTOSHIがイングランドを旅したんですけど、この番組は6時間ぐらいあって気が遠くなりながらも一生懸命編集をした記憶があるのに、この番組のビデオも残ってないし。どこ行っちゃったの。って多分腹立てたときに捨てちゃったんでしょうが…(^^;;。同時期のミュージックフェアとかは残してあるんですけど。

「碧い地球の旅人」〜洗脳騒動に至るまで。

簡単な当時の流れを書きます。

  • 97.01.22 アルバム「碧い地球の旅人」リリース
  • 97.02.14 香さんと入籍
  • 97.09.22 X解散発表
  • 97.11.21 シングル「NATURAL HIGH」リリース(葉加瀬太郎氏とのコラボレーション)
  • 97.12.31 X LAST LIVE
  • 98.04.01 シングル「さようなら/幻の少年」リリース(同コラボレーション)
  • 98.04.22 アルバム「壊れた世界でカナリヤは歌う」リリース(同コラボレーション)
  • 98.06.24 移籍に伴うベストアルバムリリース
  • 98.07.23 シングル「君はいないか」リリース(MASAYA氏の手による曲)
  • 98.09 洗脳騒動勃発

細かいことはすっ飛ばしてますけど。

洗脳報道

この報道の記録は手元にはひとつも残っていません。当時リアルタイムで見ていて腹を立てて「ふざけるなー!!」とビデオを捨てたことを覚えているので、残っていないと断言できます(^^;;。そういうわけで確認ができないのですが、怪しい記憶を頼りに書いてみます。

報道の発端は週刊誌の記事だったようです。TOSHIがレムリアアイランドとかいう団体にマインドコントロールされている、広告塔になっている、という内容の記事が出ました。でも、私自身はこの記事を見たのかよくわかりません。騒動初期に一冊雑誌を読んだ記憶はあるんですが、それはワイドショーのほうで報道されたあとのことです。でも、ワイドショーで最初に見たときに一応状況を把握していた記憶なので、セミナーがどうのという大雑把な内容は知っていたと思います。知っていて、なおかつ、たいして気にしていませんでした。全然マスコミを信用してなかったんで(笑)。

ちなみに私が報道に接した最初の明確な記憶は、「ワイドスクランブル」。TOSHI夫妻が二人でホテルの一室にてインタビューを受けたものです。VTRが流されました。この番組の詳細は全然わからないのですが。ただ、私は、このワイドスクランブルが、洗脳報道に関して初めてTOSHIが出てきた番組だったと認識しています(日付が不明なので、本当かわかりませんけど)。この段階ではまだ怒ってはいなかったんですが、かなりの不安を覚えました。「何を言っているのかよくわかんない」と感じました。マスコミが変なネタを出してきても本人の言葉を聞けば納得できるというのが常なのに、このときは逆にTOSHI本人のインタビューで不安になってしまったのです。

続いての記憶はその翌日だったと思われる「ザ・ワイド」。TOSHI一人の生出演でした。そしてこれが私にとっては致命的な番組でした。「TOSHIが変だ!」「こんなの見てられない、聞いてられない!」となって、番組途中にビデオ録画をぶった切りました。そして同日、バイトに行こうとしたら事務所からの葉書(TOSHIの次兄英二氏が出したもので、あとでTOSHIが「勝手に出した」と怒っていたもの)が届いていて、バイト先で怒りのあまり涙ぐみそうになりながらレジを打っていた(^^;;と記憶してます。で、この葉書が9/11付けなので、「ザ・ワイド」がおそらく9/12か9/13のことだったのだと思います。

正直言って、雑誌だけなら、本来タレントではなくミュージシャンで、ワイドショーネタとしては大きくはないTOSHIですから、ここまでの騒動にはならなかったし、世間に知られることもなかったと思います。ワイドショーというのは映像がなければなかなか大きくは扱いませんから、TOSHIが出演しなければまずテレビでこんなに大きく長々と取り上げられることもなかったと思います(一週間以上出続けていた)。この時期はちょうど貴乃花の洗脳報道もあって一緒に取り上げられていたんですが、確か最初は貴乃花のほうが全然ネタとしては大きかったんですよね。が、TOSHI本人がワイドショーに出演を始めたこと、個人の問題だった貴乃花の件よりも、企業、団体が関わっているTOSHIのほうが洗脳問題としては社会的な問題が大きかったことなどから、どんどんTOSHIの問題の方が大きく取り上げられるようになりました。

レムリアとの接近の経緯

一応、報道とTOSHI発言から判明する、TOSHIとレムリアとの関係を書いてみようと思います。ただし、なにが本当でなにが嘘であるのかなにが間違いなのか、推測で判断せざるをえない点もとても多く、断言できる事実は少ないです。推測混じりであることをご了解くださいませ。

まずTOSHIが説明している倉渕氏とのかかわりですが。TOSHIが彼を知ったのは、95年に彼のCDを偶然聞いたとき。CD屋で自分で買ったそうです。それから時間が流れて、97年6月ごろ、屋久島の倉渕氏プロデュースのコテージとやらに宿泊して彼と対面。97年8月、コンサートに行って、9月下旬(解散会見よりあと)初めてセミナー参加…ということになってます。基本的に、TOSHIが意図的な嘘をついているとは思わない(本人も思い込んでいる嘘とかはあるかもしれないが…)ので、これはそのまま受け取っていいと思っています。

この言い分を事実だとすると、時系列は、

  • 97年4月 X脱退
  • 97年6月 倉渕氏と対面
  • 97年9月 X解散発表
  • 97年9月 セミナー参加

となって、Xを脱退したこととレムリア傾倒は無関係ということになります。実際TOSHIは関係がないと言ってます。

ただ、実際問題、97年1月にリリースされた「碧い地球の旅人」はすでにそういう宗教色というか、レムリアが主張しているような内容を色濃く持っています。私が見る限り、この時点で実際に倉渕氏には会ってなくともセミナーは受けてなくとも、思想的にはそうとう影響を受けていたと思います。また、夫人…って当時は夫人ではありませんが、彼女がもともとレムリアに傾倒してました。そして「碧い地球の旅人」には彼女も参加しているよう(TOSHIじゃない作詞の人がそうですよね?)ですし、発売の翌月、97年2月に入籍してますので…やっぱり思想的な影響はこの時点でかなり大きかったんじゃないかと推測。

それから、注釈。この前のGRACEは、レコーディング時期が94年なので、レムリア自体は知らないはずだと思います。ただ私の見る限り、その後レムリアに傾倒していく思想の萌芽はあるとは思います。逆に言うと、もともとそういう思想を自ら持っていた人ではあったのだ…とも言えますが。この辺についてはまた別項にて詳しく書きます。

ちなみに報道時TOSHIはレムリアの所属アーティストではありませんでした。TOSHIはデビューのときからずっとBMGビクター所属だったのですが、98年6月に契約が切れて、テイチクと契約しました。98年7月の倉渕氏作詞作曲の「君はいないか」は、テイチクからのリリースです。報道時のインタビューでTOSHIはよく「自分はレムリアに入らせてほしいと言ったが、断られた」「だから広告塔として利用されているということはない」というようなことを言ってました。ところがその後、この騒動のためにテイチクから契約を切られてしまい、結局レムリアに身を寄せることになります。その後、99年3月からだったかな?「詩旅」という、ツアーというか、CD売り歩きの旅…というか…なんなんですかね、あれ?(笑) まぁ、そういうものが始まりまして、それから3年間ずっとTOSHIは全国を歌い歩いています…んだと思います…(直接知らないので、語尾が怪しい…(^^;;)。うちの地元にも一度来ましたね。私は結局行きませんでしたが〜……。

TOSHIの事務所及び家族の問題

レムリアにはまってしまったことがマスコミに取り上げられている横で、事務所問題、及びご家族との問題ってのも生じてました。

この洗脳騒動がややこしかったのは、マスコミ側がレムリアアイランドレコードという企業の「自己啓発セミナー」や「宗教性」を問題としており、TOSHIが洗脳されているという論点で取り上げていたのに対して、TOSHI側が「これはTOSHI事務所社長である、兄の陰謀だ」と、事務所の問題及び家族の問題で反論していたという点です。まったく別のふたつの問題が入り乱れてしまっているわけですね。なので、マスコミがレムリアのセミナーなどについて問い詰めても、TOSHI側は兄が自分をコントロールするためにマスコミを仕掛けてきた、兄の陰謀だ、という話をしたいわけで、言いたいことがそもそもずれているわけです。

マスコミ報道としては

  • TOSHIと夫人の電話の会話を載せ、この異常な会話はレムリアのセミナーを受けて、マインドコントロールを受けているものだと報道。
  • TOSHIはセミナーに多額なお金をつぎ込んでいる。消費者金融などに借金をしてまで、レムリアにつぎ込んでいる。
  • レムリアの広告塔として、勧誘をしている。

てな感じでした。この手の宗教関係の報道としてはスタンダードな報道スタンスで、とてもわかりやすい構図ですね。

ところがそれに反論するTOSHIの主張は。

  • マインドコントロールは受けていない。自分の考えでこうしている。
  • TOSHI事務所社長である次兄が、自分が言いなりにならないので、マスコミを使ってこの話を流した。
  • 次兄は使い込みをしていた。裁判で訴えるつもり。
  • 自宅に盗聴器が仕掛けられていた。それをマスコミに流された(次兄の仕業であると考えている口ぶり)。
  • 自分の給料が3ヶ月未払い。痩せたのはそのせい。

ほかにも「昔から兄は僕をいいようにコントロールしようとしてきた」って内容の話が多出してますが、この時期の話に絞るとこんな感じだと思います。

ま、全体のTOSHIの主張としては、この洗脳騒動自体が次兄が自らの「背任横領と不正経理」を秘匿するためにマスコミに仕掛けた陰謀、ということになるわけです。TOSHIは週刊誌で自分の通帳やらまで証拠として出しました。結局訴えたのかなー。訴えるといきまいていたのは覚えているんですけど。でも翌年99年3月ごろに「和解」ってのも覚えているので、やっぱり訴えたのかもしれません〜。<ご存知の方、教えてください。ちなみにこの辺の事実関係については、闇の中です。テレビのこちら側でわかるようなことでもありませんし。

騒動についての私感

当時のこの状況をかんがみて、現在の私の思うところですが。

まず、レムリアの問題と、TOSHIのご家族間の関係(特に次兄との関係)の問題を切り離すべきですよね。もしもTOSHIの言うとおり、もともとこの騒動の発端が次兄氏であったとしても…次兄氏がレムリアがこれほどにマスコミに叩かれるように仕掛けてきたのだとしても、ファン側から見ると問題は変わらないです。この時期のTOSHIサイドはそれがわかってないと思います。

そりゃ盗聴をしていたことは問題でしょう。それはもちろん罪に問われるべきことでしょう。もしも本当にTOSHIが言うとおり、背任横領やら不正経理やらがあったならば、それもまた法律に照らしてしかるべき処置が必要でしょう。それはそうすればいいと思います。

でも、この場合、マスコミなりファンなりが首をひねっていたのは、TOSHIが自らを「アゴ」とか呼んでたり、倉渕氏が彼を「アゴ」と呼んだりする状況ってフツウじゃないんだけど、いったいどうしちゃったの?って疑問だったわけです。それに対して「盗聴だ、犯罪だ、陰謀だ」と答えられても、困ってしまうわけです。だって、陰謀っつーたって、アゴと呼んでたりするのは、事実なわけでしょ?と(本人ら、これは認めてました)

とゆーことで、いくらインタビューしても話が食い違っててろくに進展がなかったわけなんですけど、TOSHI側からすれば、実際レムリアに傾倒していく原因としても、まさにその兄との確執、家族との関係、というのが大きいものだから、そこを話さざるをえない。それで二つの問題がこんがらがってしまっているわけです。冷静に話を聞ける状態になかった当時の私が、状況をまったく把握できなかったのも納得できます(笑)。当時は本当なにがなんだか…って思ってましたからね〜。

Posted by koko at 12:00 AM | Comment (0)

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